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Psycer Brain ─ 神に抗え。その力で運命を変えろ─  作者: n217 (嘯江 新)


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第176話「存在しない座標」

 能研ハウスへ緊急招集が掛かったのは、東京で発生した能力自律化が収束してから一時間も経たない頃だった。


 現場から戻ったばかりのソウヤたちは、休む間もなくリビングへ集められていた。大型モニターには太平洋を中心とした世界地図が表示され、その上に複数の光点と時刻が重ねられている。タジは椅子に座ったまま何度も解析結果を確認していたが、その表情はいつもの得意げなものとは程遠い。


「で、緊急って何?」

 柚季がソファの背もたれに身体を預けながら尋ねた。


「能力異常の原因候補が見つかった」


 その一言で空気が変わる。


 ソウヤがモニターへ近づいた。


「原因?」

「正確には、原因かもしれない場所だ。まだ断定はできない」


 タジが画面を操作すると、日本、フランス、アメリカ、インド、オーストラリアなど、世界各地で確認された能力異常の発生地点が表示された。


「これまで俺たちは、能力自律化が世界中でバラバラに起きてると思ってた。でも発生時刻を細かく比較したら違った。ほぼ同時に見えた異常にも、僅かな時間差がある」

「その時間差に規則性があったのね」

 燕がすぐに理解する。

「そう。発生地点の位置と時刻を逆算すると、全部ここへ収束する」

 タジが地図を拡大する。

 そこにあるのは海だけだった。

 太平洋の広大な海域。島も都市もなく、少なくとも通常の地図上には目立った施設すら存在しない。

「……何もないじゃん」

 ソウヤが言う。

「だから困ってる」

「海底施設とか?」

 アリスが尋ねる。

「最初に疑った。でも公開されてる海底地形データと照合しても、それらしいものは出ない。軍事施設や観測施設の記録も、俺が確認できる範囲じゃ該当なし」

「確認できる範囲って、お前一体どこまで見たんだ」

 イレイダが呆れる。

「聞かない方がみんな幸せ!」

「お前、そのうち本当に捕まるぞ」

「能力で侵入できる人間にそれ言う?」

「むしろお前だから言ってる」


 いつもなら笑いが起きるやり取りだったが、今回は誰も完全には緊張を解かなかった。


 世界規模で発生している能力異常。その発生時刻を遡った先に、何もない海域が存在する。偶然と片付けるには不自然すぎる。


「信号みたいなものが出てるの?」

 結衣が尋ねた。

「そこが分からない」


 タジは別の解析画面を開いた。


「電波、音波、既知の放射線、衛星通信……俺が調べられるものは一通り見た。でも異常なし。少なくとも普通の観測装置で拾える何かが世界中へ飛んでるわけじゃない」

「では、なぜ能力者だけに影響する」

 惣一の問いに、タジは腕を組んだ。

「それが最大の謎なんです。もし本当にこの座標が原因なら、そこから出てる何かは能力そのものに作用してる可能性があるからだと」


 マランが壁際からモニターを見る。


「俺が暴走したのも、それが原因だと?」

「あくまでも可能性の話だ」

「……気に入らないな」


 マランの声が低くなる。


「自分の力に呑まれたと思っていたら、外から何かされていたかもしれないということか」

「まだそうと決まったわけじゃない」

「だからこそ、気に入らないと言っている」


 マランは自分の手を見た。


 能力自律化によって、自分は自分でなくなりかけた。その原因が自分の中だけにあるのか、それとも誰かの手によって引き起こされたものなのか。それは彼にとって決して小さな違いではない。


 ソウヤも同じことを考えていた。


「これは、調べに行くしかないか」

「そうなる」

 タジが頷いた。

「ただし問題がある」

「今度は何?」

「その海域、普通じゃない」


 ソウヤが嫌そうな顔をする。


「何もないのに?」

「何もないから普通じゃないんだよ」


 タジは衛星画像を表示した。


「ここ数年分の画像を比較した。雲が掛かってる時期もあるけど、それ自体は普通だ。問題は海面」


 画像を拡大する。

 一見すれば、ただの青い海だ。


「波がない」

 燕が気付いた。


「正解」


 周囲の海面には当然ながら波や海流による変化がある。しかし問題の座標を中心とした一帯だけ、異様なほど海面が均一だった。


「こんなことあるの?」

 結衣が尋ねる。


「短時間なら条件次第で似た状態はあるかもしれない。でも過去の衛星画像を遡っても、同じ場所だけ妙に安定してる」

「いつから?」

「確認できた範囲だと――」


 タジがデータを切り替えようとした時、玄関側から電子音が鳴った。


「来客?」

 ソウヤが振り返る。


 タジが監視カメラを確認すると、そこには見覚えのある黒い車両が停車していた。


「……また来た」

 千太の顔が露骨に曇る。


「誰?」

 柚季が尋ねる。


「親父」


     ◇


 数分後。


 柊聖舩は再び能研ハウスのリビングにいた。

 先ほど東京で別れたばかりだというのに、今度は数名の国連安全保障機構職員を伴っている。ただし部下たちは玄関付近で待機し、聖舩だけが大型モニターの前へ進んだ。


「随分と早い再会だな」

 千太が嫌味を込める。


「私も望んではいなかった」

「だったら帰れ」

「そうしたいところだが、事情が変わった」

「……何かあったげだな」

 千太の声から冗談めいた調子が消えた。


 聖舩はタジが表示していた太平洋の座標を見る。


「やはり君たちも辿り着いたか」

「知ってるのか?」

 タジが立ち上がる。

「ああ」

 その返答だけで、室内の空気が一段重くなった。

「何があるんだ、ここに」

 ソウヤが尋ねる。

 聖舩はすぐには答えなかった。

「正確には、我々にも分からない」

「……は?」

「国連が把握している場所ではない。ただし、存在そのものは以前から認識していた」

「矛盾してない?」

「存在している『何か』は把握している。しかし、それが何なのか分からないという意味だ」


 聖舩が持参した端末を接続すると、モニターに新しい資料が表示された。


 日付は十年以上前。


「最初に異常が確認されたのは十四年前だ」


 海洋観測船が偶然その海域へ接近した際、複数の観測装置が同時に故障した。磁気異常も通信障害も確認されなかったにもかかわらず、船は航行不能に陥ったという。


「エンジン故障?」

「違う。機関そのものは正常だった」

「じゃあ何で動かなかったんだよ」

「船員の証言では――」

 聖舩は記録を表示する。

「進んでも、同じ座標から離れられなかった」

 ソウヤたちの表情が変わる。

「……今日の東京と同じ?」

「似ている」

 千太が父親を見る。

「十四年前から知ってて放置してたのか?」

「調査は行われた」

「結果は?」

「三度失敗している」

 聖舩は淡々と説明した。


 一度目は無人探査艇。問題の海域へ侵入した直後に通信が途絶え、その後発見されていない。


 二度目は潜水調査。海中へ入った無人機が深度を示す数値だけを増加させ続けた。しかし、搭載された水圧計には変化がなかった。つまり、数値上は何千メートルも潜っているのに、実際にはほとんど沈んでいなかった可能性がある。


 三度目は航空調査。


「航空機は対象海域の上空へ侵入した。しかし操縦士は、海域を通過するまで三分程度だったと証言している」

「普通じゃん」

 ソウヤが言う。

「地上では二時間四十一分経過していた」

「……全然普通じゃなかった」

 アリスが右目へ手を添えながら資料を見る。

「距離だけじゃない。時間までおかしくなってる……?」

「その可能性がある」

「だったら私の能力で――」

「やめろ」

 イレイダが即座に止めた。

「まだ何も言ってない」

「時空操作で調べようとしただろ」

「……ちょっとだけ」

「今の能力異常が起きてる状況で、そんな場所にSpace-time Operatorをぶつけるな」

 アリスは少し不満そうだったが、反論はしなかった。

 惣一も聖舩の資料を見ながら考え込んでいる。

「十四年前……能力者との関連は調査したのか?」

 その質問に、聖舩の表情が僅かに変わった。

「当時は関連性が確認できなかった」

「当時は?」

「三日前、状況が変わった」


 聖舩が新しい資料を表示する。


「この海域を中心として、国連が観測している能力反応に異常が出始めた」

「三日前?」

 タジが食いつく。

「俺が世界的な異常の増加を確認し始めた時期とほぼ同じだ」

「だから国連も調査を再開した。そして今日、君たちと同じ結論へ辿り着いた」

「能力自律化の中心に、この場所があるかもしれない」

「ああ」


 リビングが静まり返った。


 これまで能力自律化は、能力者自身の内面に起きた異常だと考えていた。


 しかし、外部要因が存在する可能性が高まっている。

 しかもその場所は、少なくとも十四年前から存在していた。


「一つ確認したい」

 マランが口を開いた。

「そこへ行けば、何か分かるのか?」

「保証はない」

「なら行く価値はある」

「マランさん」

 結衣が心配そうに彼を見る。

「俺は行く」

「まだ完全には回復してないでしょ」

「だからだ」


 マランは視線を逸らさなかった。


「俺は実際に能力自律化を経験した。あの場所が原因なら、近づいた時に俺の能力が何か反応する可能性がある」

「それは危険ってことでもあるよ」

「ああ」

「分かってるなら――」

「だが、誰かが行かなければならない」

 結衣が言葉を失う。

 そこへ聖舩が口を挟んだ。

「マラン。君は連れてはいかない」

「何故だ!?」

「少なくとも第一陣には参加させない。能力自律化を経験した者を、能力へ影響を与えている可能性のある場所へ直接送るのは危険すぎる」

「俺に命令するのか」

「これは命令ではない」

 聖舩はマランを真っ直ぐ見る。

「合理的な提案だ。君ほどの能力者が再び暴走した場合、海上で止められる者が何人いる?」

 マランは答えなかった。

 ソウヤも内心では聖舩に同意していた。

 マランは最強格の能力者だ。もし海上で再び能力自律化が起こり、Davastater(壊滅)が制御を失えば、調査どころではなくなる。

「じゃあ、誰が行くんだ?」

 ソウヤの問いに、聖舩は答えた。

「まず無能力者を中心に調査隊を編成する」

「……無能力者?」

「あの海域が能力そのものへ作用するなら、能力者だけで行くのは危険だ」

 千太が父親を見る。

「まさか」

「ああ」

 聖舩は平然と告げた。

「私も行く」

「支部長が!?」

 ソウヤが驚く。

「私には能力がない。今回に限って言えば、それが最大の利点になる可能性がある」

「でも十四年前の調査は普通の人間でも失敗してるんだろ?」

「だから能力者にも協力してもらう」

「結局行くのかよ」

「必要最小限だ」


 聖舩の視線が惣一へ向く。


「名取惣一。君に同行を頼みたい」

 千太が反応した。

「ちょっと待て。名取さんの能力だって影響受けるかもしれないだろ」

「承知している。しかし撤退手段として神足通が必要になる可能性が高い」

 惣一は少し考えた後、静かに頷いた。

「構わない」

「名取さん!」

「千太。危険なのは承知している。だからこそ、私が適任だ」

 惣一ほどの能力者だから言える言葉だった。

「私も行く」

 イレイダが続く。

「却下する」

 聖舩が即答した。

「何でだよ」

「戦闘が目的ではない」

「何がいるか分からない場所に戦える奴なしで行くのか?」

「無能力者の特殊部隊を同行させる」

「それで能力者が出てきたら?」

「……」

「ほらな」

 イレイダは腕を組む。

「調査だから戦わない、なんて都合よくいくと思ってないだろ。私は行く」

 聖舩はしばらく彼女を見たあと、溜息を吐いた。

「勝手な人間が多いな、ここは」

「千太のいる場所だからな」

「俺を基準にするな!」

 久しぶりに少しだけ空気が緩んだ。

 しかし、ソウヤは地図から視線を外さなかった。

「船はどうする?」

 その質問にタジが反応する。

「普通の船じゃ厳しいぞ。過去の調査艇が消えてるんだろ?」

「こちらで専用船を用意する」

 聖舩が答える。

「いつ?」

「最短でも明朝だ」

「それまで異常が待ってくれるかな」

「待たないだろうな」


 タジが世界地図へ戻す。

 能力異常の発生地点は、会話している間にも増えている。


「……また三件」

 結衣の表情が曇る。

 聖舩はそれを確認すると、すぐに端末を取り出した。

「準備を前倒しする。可能なら夜明け前に出る」

 千太が父親を見る。

「俺も行く」

「駄目だ」

「何でだよ」

「今回は東京とは違う。帰還できる保証がない」

「だから?」

「だから駄目だ」

 千太の目が鋭くなる。

「またそれか」

「何?」

「危険だから能力者は遠ざける。結局昔と同じじゃねえか」

「話をすり替えるな。能力者だから止めているのではない」

「じゃあ何だよ」

 聖舩は答えようとして、一瞬言葉を止めた。

 その僅かな沈黙を、千太は見逃さなかった。

「……俺が息子だからか?」


 リビングが静かになった。

 聖舩は否定しなかった。

 千太の表情から怒りが少しだけ消える。


「今さら父親面すんなって言ったよな」

「ああ」

「だったら止めるな」

「それとこれとは別だ」

「別じゃねえ」

 千太は父親の前へ立った。

「東京であんたは俺に言った。俺が選んだ方法が正しいって言うなら証明しろって。俺は行って、あの能力者を助けた」

「それは認めている」

「だったら次も俺自身で決める」

 聖舩は息子を見つめた。

 しばらく誰も口を挟まなかった。

「……条件がある」

 やがて聖舩が言った。

「何だよ」

「私の指示には従え。独断で行動するな。危険と判断した場合は即座に撤退する」

「それはあんたもだ」

「何?」

「自分だけ残って俺たちを逃がすとか無しだからな」

 聖舩が黙る。

「条件か。だったらこちらからも条件を出す」

「……分かった」


 千太は少し驚いた。


「素直だな」

「お前に言われたくない」


 こうして、太平洋上の謎の海域へ向かう調査が決まった。


 聖舩を中心とする国連安全保障機構の調査隊。能研からソウヤ、千太、イレイダ。そして名取家から惣一。刹那と夢幻については惣一が同行の必要性を判断することになった。


 タジは能研ハウスから解析と通信支援を担当する。


 残る者たちは、世界各地で増加する能力異常への対応に備える。


 誰もまだ知らなかった。

 太平洋の中心に何があるのか。

 誰が能力自律化を引き起こしているのか。

 そもそも、それが人為的なものなのかさえ分からない。


 ただ、これまで点にしか見えなかった異常が、少しずつ一本の線で繋がり始めていた。

     ◇

 その夜。


 能研ハウスの照明が次々と消えていく中、タジだけは解析を続けていた。


 十四年前。

 その数字がどうしても気になっていた。

「何で十四年前なんだ……?」

 聖舩から受け取った国連資料と、自分が集めた能力者関連の記録を照合していく。


 能力者の歴史。

 太陽フレア。

 世界各地で確認された異常現象。

 公的記録だけでは足りない。


 タジはInvader(侵入)を使い、情報空間へ意識を潜らせる。

 ただし深くは入らない。能力自律化の原因が不明な以上、自分自身の能力を長時間使用するのは危険だった。


 複数の記録を高速で辿っていたタジは、やがて一つの古いデータへ辿り着いた。


「……何だ、これ」


 十四年前の国際観測記録。

 太平洋上で異常が確認された、その日。

 海洋観測とはまったく別の機関が、一つの数値を記録していた。

 宇宙観測データだった。

 太陽活動。

 磁気嵐。

 そして、地球へ到達した高エネルギー粒子。


 タジの表情が変わる。


「待てよ……」


 能力者誕生の起源とされる太陽フレア。


 そして十四年前。

 問題の海域が初めて確認された日にも、規模こそ異なるものの太陽活動の異常が観測されていた。

 偶然なのか。

 タジはさらにデータを掘り下げる。

 すると、削除された形跡のあるファイルが一つだけ残っていた。

 復元を試みる。

 破損している。

 それでも、断片的な文章だけは読み取れた。

 そこには、現在の研究資料ではほとんど使われていない古い表現で、一つの現象について記録されていた。


 能力因子共鳴現象。


「……能力因子?」

 タジは椅子から身を乗り出した。

 その直後、復元中のファイルに新しい一文が表示された。

 ――共鳴源、海面下に存在する可能性。

 タジの指が止まる。


 問題の座標。

 そこに何もないのではない。


 地図にも。

 衛星にも。

 海面にも。


 見えていないだけだ。


「……海の下か」

 そして、さらに最後の断片が復元された。

 タジはそこに書かれていた文章を読み、完全に動きを止めた。

 ――当該共鳴源を、人為的に生成された能力反応と暫定認定する。

「人為的……?」

 自然現象ではない。

 少なくとも十四年前、誰かがそう判断していた。

 ならば太平洋の海底には、能力自律化の原因となり得る何かが存在する。

 そしてそれは、自然に生まれたものではない可能性がある。

 タジはすぐに聖舩へ連絡しようとした。

 その時だった。

 モニター上の座標が変化した。

「……は?」

 問題の海域を示していた一点が、ゆっくりと移動している。

 地図の誤差ではない。

 数百メートル。

 さらに数百メートル。

 海底に固定されているはずの共鳴源が、明らかに移動していた。


 タジは通信端末を掴む。


「ソウヤ!起きろ!全員起こせ!」


 能研ハウスに再び緊急警報が鳴り響く。


 明朝、調査へ向かうはずだった場所。


 そこにある「何か」は、彼らが来るのを待ってはいなかった。


 太平洋の海面下で、十四年以上沈黙していた正体不明の存在が、ゆっくりと動き始めていた。


――第176話 完

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