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Psycer Brain ─ 神に抗え。その力で運命を変えろ─  作者: n217 (嘯江 新)


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174/181

第174話「救う側と止める側」

 能研ハウスの大型モニターには、国連安全保障機構から提供された東京の映像が映し出されていた。


 場所は既に警察と国連安全保障機構によって封鎖されている。人の消えた道路には放置された車が並び、その向こうではビルの輪郭が陽炎のように揺れていた。映像そのものが乱れているようにも見えるが、そうではない。カメラは正常だった。


 歪んでいるのは、そこに存在する空間そのものだ。


 そして、その中心に一人の能力者がいる。


 人物の素性も、能力の正式な名称もまだ確認できていない。ただ、過去に観測された能力規模と比較して、現在の異常が本人の制御可能範囲を大幅に超えていることだけは明らかだった。


「現在の異常範囲は半径八百七十メートル。十分前から約五十メートル拡大している」

 柊聖舩が端末を操作すると、画面上に赤い円が表示された。

「現場周辺の住民は?」

 結衣が尋ねる。

「半径二キロ圏内まで避難を進めている。三キロ圏についても順次開始した。今のところ一般人の死亡は確認されていない」

「能力者本人は?」

「生存している。少なくとも映像ではな」


 聖舩が映像を拡大する。

 道路の中央に立つ能力者は、明らかに混乱していた。何度も周囲を見回し、遠くにいる国連部隊へ助けを求めているようにも見える。しかし、声は届いていない。


 ソウヤは画面を見つめながら眉を寄せた。


「自分でやってるって分かってないのか?」

「その可能性が高い」


 聖舩が別の映像へ切り替える。


 防護装備を身につけた隊員が、対象へ慎重に接近している映像だった。最初は問題なく進んでいたが、ある地点を越えた途端、隊員の歩き方がおかしくなった。


 走っている。

 間違いなく前へ進んでいる。

 それなのに対象との距離が縮まらない。

「……何だこれ」

 ソウヤが身を乗り出す。

「二百メートルの地点から三十分以上接近できなかった」


 聖舩の説明を聞きながら、惣一が映像を注意深く観察する。


「対象が移動しているわけではないな」

「ああ」

「ならば距離そのものへ干渉している可能性が高い。近づこうとする対象との間隔を引き延ばしている」

「俺たちでも近づけないんですかね?」


 ソウヤが尋ねると、惣一はすぐには答えなかった。


「私のiddhi-vidha-ñāṇa(神足通)なら突破できる可能性はある。しかし、相手も空間へ干渉している以上、神足通との衝突がどう作用するか分からない。まして今は世界規模で能力自律化が起きている。強引な能力使用は避けるべきだろう」


 ハルシオンで惣一自身の能力にも僅かな異常が現れたことを考えれば、当然の判断だった。


「だったら、どうやって助けるんだ?」


 千太が尋ねた。


 その声はソウヤたちへではなく、聖舩へ向けられている。


 父と息子。

 数年ぶりに向き合った二人の間には、親子という言葉だけでは説明できない距離があった。

「まずは、現場へ行く」

 聖舩は淡々と答える。

「状況を直接確認した上で接触方法を決める」

「それでも無理だったら?」

「その時に判断する」

「……昔と同じだな」

 千太が吐き捨てる。

 聖舩は何も言わなかった。

「『その時に判断する』。便利な言葉だよな。危険だと思ったら隔離して、それでも駄目なら排除する。違うのか?」


 室内の空気が張り詰める。

 ソウヤが口を挟もうとしたが、その前に聖舩が息子へ向き直った。


「違わない」

 予想外の返答に、千太が眉を寄せる。

「……は?」

「人命を守るために必要なら、私はその判断をする」

「ほらな」

「だが、最初からそれを選ぶつもりなら私はここへ来ていない」

 千太が言葉を止めた。

 聖舩は能研の面々を見渡す。

「マラン。そしてフラガラッハ・F・ミストルティン。君たちは能力自律化を起こした二人を救った。現時点で、我々が持っていない実績だ」

「だから俺たちを呼んだ」

 ソウヤが尋ねる。

「ああ」

 聖舩は迷わず頷いた。

「私は能力者に対する警戒を解くつもりはない。しかし、救える可能性がある者を最初から切り捨てるつもりもない」


 千太は黙って父親を見ていた。

 かつての聖舩なら、こんな言葉を口にしただろうか。

 分からない。

 だからこそ、腹が立つ。


「……行く」

 千太が言った。

「俺も現場へ行く」

「千太?」

 ソウヤが振り返る。

「こいつを信用したわけじゃない」

 千太は父親から目を逸らさなかった。

「むしろ逆だ。だから俺が行く。もし国連が能力者を切り捨てようとしたら、俺が止める」

 聖舩は僅かに目を細めたものの、反対はしなかった。

「好きにしろ」

「その言い方も昔から嫌いなんだよ」

「知っている」

「……本当に腹立つ」

 そのやり取りに、ソウヤは何とも言えない顔をした。

 険悪なのは間違いない。しかし、本当に互いをどうでもいいと思っている親子なら、こんな会話にはならない気もした。

     ◇

 現場へ向かう車内で、聖舩は最新情報を確認し続けていた。


 今回同行するのはソウヤ、千太、イレイダ、惣一、刹那、夢幻。能力自律化を経験したマランも同行を希望したが、身体への負担が大きく、結衣の判断で能研ハウスに残っている。


 国連安全保障機構の車両が都心へ近づくにつれ、道路から一般車両が減っていった。

「異常範囲、九百二十メートルへ拡大」

 聖舩の報告にソウヤが顔をしかめる。

「また広がった?」

「拡大速度も上がっている。現場部隊には接触を中止させた」

「攻撃は?」

 千太がすぐに尋ねる。

「許可していない」

「……へえ」

「何だ」

「いや。あんたなら、とっくに狙撃位置くらい用意してると思っただけ」

「用意している」

 車内が静かになった。

「やっぱりな」

 千太の表情が険しくなる。

「だが射撃許可は出していない」

「同じだろ」

「違う」

 聖舩は端末から視線を上げた。

「最悪の事態に備えることと、最悪の手段を最初から選ぶことは別だ。私の立場では、どちらも放棄できない」

「能力者を信じるって選択肢はないのかよ」

「信頼と備えは両立する」

「そうやって何でも理屈で――」


「千太」

 それまで黙っていた惣一が口を開いた。


「少なくとも今は、彼の判断に間違いはない」

 千太が驚いたように惣一を見る。

「名取さんまで?」

「能力自律化が本人の意思と無関係に発生する以上、万一に備える者は必要だ。同時に、救う者も必要になる。どちらか一方だけでは成立しない」


 千太は納得していない様子だったが、それ以上は言わなかった。

 聖舩も惣一へ礼を言うことはなく、再び端末へ視線を戻した。

 そんな中、イレイダだけは聖舩を観察していた。


「さっきから気になっているのだが」

「何だ」

「あんた、本当に能力者じゃないんだよな?」

「ああ」

「それで現場まで来るのか?」

「問題があるか」

「いや。むしろ面白い」

 イレイダは腕を組みながら笑う。

「立ち方が普通じゃない。護衛される側の人間の身体じゃないだろ、それ」

 聖舩は少しだけ沈黙した。

「昔から身体を鍛えているだけだ」

「だけ、ねえ」

「能力者でなくとも、できることはある」

「能力者と戦ったことは?」

「ある」


 今度はソウヤも反応した。


「勝ったことは?」

「ある」

「マジか!」


「能力者だからといって、常に能力を使えるとは限らない。発動条件、射程、反動、死角。それを把握すれば対処できる場合もある」


 イレイダの目が楽しそうに細くなる。


「そのうち、お手合わせするのはいかがだろうか」

「断る」

 ほんの僅かだが、車内の空気が和らいだ。


 千太だけは窓の外を見たままだった。

 父親が強いことは知っている。

 昔からそうだった。

 能力を持たないにもかかわらず、能力者を制圧するための訓練を積み続けてきた男。それもまた、千太が父親へ疑問を抱くようになった理由の一つだった。

 聖舩にとって能力者とは何なのか。

 守るべき人間なのか。

 管理すべき危険物なのか。


 千太には、今でも分からなかった。

     ◇

 現場に到着すると、映像で見る以上の異常が広がっていた。


 封鎖区域の外側には警察車両と国連安全保障機構の特殊車両が並び、複数の隊員が測定機器を設置している。その先にある街並みは一見すると普通だが、注意して見ると明らかにおかしい。


 百メートル先の建物が遥か遠くに見えたかと思えば、その隣の建物は目の前にあるように感じられる。直線であるはずの道路も、途中から僅かに湾曲していた。


「支部長!」

 現場責任者が駆け寄る。

「状況は」

「異常範囲、一〇三〇メートル。対象との接触は失敗しています。また、内部へ進入した隊員二名の位置を見失いました」

「生命反応は」

「あります。ただし距離が測定できません。同じ場所にいるように表示された直後、数キロ先へ移動した数値が出ます」

 聖舩は即座に判断した。

「救出を優先しろ。対象への接触は我々が行う」

「しかし、支部長自身が内部へ?」

「ああ」

「危険です」

「知っている」

 それだけ言って、聖舩は装備を確認した。

 千太がその姿を見て眉を寄せる。

「あんたも入る気か」

「当然だ」

「部下に任せればいいだろ」

「既に二人が取り残されている。これ以上、情報のない状態で部下だけを送るつもりはない」

 千太は何か言い返そうとして、やめた。

 ソウヤたちは聖舩と共に封鎖線を越えた。

 最初の数十メートルには何も起きない。

 しかし、さらに進んだ瞬間、ソウヤは奇妙な違和感を覚えた。

「……待って」

「どうした?」

「さっきから歩いてるのに、あの信号との距離が変わってない」


 全員が前を見る。

 確かにそうだった。

 歩いている。

 足も動いている。

 道路も後方へ流れている。

 なのに目的地だけが近づかない。


 惣一が周囲を確認する。


「対象との距離だけが引き延ばされているようだな」

「じゃあ、走っても同じってこと?」

「恐らくな」

「面倒だな……」

 イレイダが周囲を見る。

「斬れないのか?」

「空間を斬るな」

「冗談だ」

「お前の場合、冗談に聞こえん」


 その時だった。

 遠くから声が聞こえた。


「誰か……!」


 全員が振り返る。

 空間異常の中心。

 そこにいる能力者が、こちらへ向かって叫んでいる。


「誰かいるのか!助けてくれ!」


 ソウヤが反射的に答えた。

「ここにいる!助けに来た!どこだ!?」


 聖舩が振り返る。


「待て、刺激するな!」


 しかし遅かった。


 能力者がソウヤの存在を認識した瞬間、周囲の景色が大きく歪んだ。先ほどまで一キロ近くあったはずの距離が、まるで映像を切り替えたように消失する。


 気がつけば、ソウヤの目の前にその人物が立っていた。

「……え?」

 ソウヤ自身も理解できなかった。

 背後を振り返ると、千太たちの姿は遥か遠くにある。

「距離を縮めた……!」

 惣一がすぐに状況を理解する。

 能力者は助けを求めた。

 ソウヤに近づいてほしいと願った。

 その感情へ、自律化した能力が反応したのだ。

 ところが、突然目の前へ現れたソウヤを見たことで、能力者の表情が恐怖に変わった。

「来るな!」

 次の瞬間、空間が再び歪む。

 ソウヤは咄嗟に身構えたが、衝撃はない。ただ周囲の景色だけが猛烈な速度で遠ざかり、千太たちとの距離がさらに広がっていった。

「ソウヤ!」

 千太が叫ぶ。

 しかし声は届かない。

 ソウヤと能力者だけが、空間異常の中心へ取り残されてしまった。

 現場部隊から通信が飛んでくる。

『支部長!対象の能力値が急上昇! 狙撃班から射撃許可を求めています!』

 千太が聖舩を見る。

 父親が何を答えるのか。

 その一瞬だけは、時間が異様に長く感じられた。

「却下する」

 聖舩は迷わなかった。

『しかし、能研の一名が対象至近距離にいます!対象が攻撃行動へ移れば――』

「だから撃つな。対象へ刺激を与えれば空間異常がさらに拡大する可能性がある。それに、あの能力者はまだ誰も意図的に攻撃していない」

『ですが――』

「命令だ。狙撃班は待機を継続しろ」

 通信を切った聖舩を、千太は黙って見つめていた。

「……何だ」

「別に」

「言いたいことがあるなら言え」

「昔のあんただったら撃たせてたと思っただけだ」

 聖舩は少しだけ目を細めた。

「昔の私なら、そうしたかもしれない」

 千太が言葉を失う。

 聖舩は歪んだ空間の向こうへ視線を戻した。

「だから、お前は私から離れたのであろう」

「……」

「私も何も学ばなかったわけではない」


 その言葉は謝罪ではなかった。


 親子の間に生まれた溝を埋めるには、あまりにも足りない。

 それでも千太にとっては、父親の口から初めて聞く種類の言葉だった。


 聖舩はそのまま通信機を操作し、現場部隊へ救出経路の再計算を命じた。その横で惣一も能力の流れを探り、刹那と夢幻は万一の事態に備えて周囲を警戒する。誰も能力者を倒すことを目的にはしていない。今ここにいる全員が、ソウヤと能力者を生きたまま連れ戻す方法を探していた。


 一方、空間異常の中心では、ソウヤが怯える相手から少し距離を取って座り込んでいた。


「近づかないから安心してくれ」

「……お前、誰なんだ」

「善良な能力者だ。能力者たちを助けるために来た」

「俺は……能力者じゃ……」


 その人物は震える自分の手を見た。


「いや……違う。能力はある。でも、こんなの知らない。俺はこんなことできない……!」

「分かってる」

「分かるわけないだろ!」


 感情が高ぶった瞬間、周囲の建物が一斉に遠ざかった。

 ソウヤはそれを見ても動かなかった。


「俺たちの仲間にも同じことが起きた」

 相手の呼吸が僅かに止まる。

「自分の能力なのに、自分の言うことを聞かなくなった。勝手に動いて、本人まで呑み込もうとした。でも戻ってきた」

「……本当か?」

「ああ」


 ソウヤは真っ直ぐ相手を見る。


「だから、あんたも必ず戻れる」


 能力者は何も答えなかった。


 ただ、先ほどまで激しく歪んでいた景色が少しずつ安定し始める。

 その変化は、遠くにいる惣一たちにも分かった。


「空間の揺らぎが弱まった」

 刹那が言う。

「ソウヤが話しているようだな」

 惣一が僅かに表情を緩める。

 千太もその光景を見つめていた。

「……なあ」

 隣にいる聖舩へ声を掛ける。

「何だ」

「あいつを救えると思うか?」


 聖舩はすぐには答えなかった。世界規模で能力自律化が始まり、既に犠牲者も出ている。安全保障の責任者としてなら、安易な希望を口にするべきではないのだろう。

 それでも聖舩は、空間の中心で能力者と向き合うソウヤを見ながら答えた。


「救える可能性があるから、我々はここにいる」

 千太は父親の横顔を見た。

「……昔はそんなこと言わなかった」

「昔の私は、お前が思っている以上に未熟だった」

「今さら父親らしいこと言うなよ」

「そのつもりはない」

「だからそういうところがムカつくんだよ」


 千太は前へ向き直った。


 まだ許してはいない。絶縁した理由も消えていないし、父親が能力者へ行ってきたことを忘れるつもりもない。それでも今の聖舩が、かつて自分が知っていた男と完全に同じではないことだけは認めざるを得なかった。


 そして聖舩もまた、息子との関係を修復するためにここへ来たわけではない。


 今はただ、一人でも多く生きて帰す。

 その目的だけが、対立してきた父と子を同じ場所に立たせていた。


 その時、惣一が静かに右手を上げた。


「道ができる」

「何!?」

「ソウヤが相手を落ち着かせたことで、空間の歪みに一定の周期が生まれ始めている。完全ではないが、神足通を通せる瞬間がある」

 千太の表情が変わった。

「ソウヤのところまで行けるのか?」

「可能だ。ただし一度に大人数は危険だ」

「なら俺が行く」

「待て」

 聖舩が止める。

 千太は苛立ったように父を見る。

「また危険だから駄目とか言うつもりか?」

「違う」


 聖舩は腰に装着していた通信機の一つを外し、千太へ投げた。


「持っていけ。内部では通常通信が使えない可能性がある。これは短距離用に調整してある」


 千太は受け取った通信機を見て、それから父親を見る。


「……止めないのかよ」

「止めれば聞くのか?」

「聞かない」

「なら時間の無駄だ」


 千太は思わず鼻で笑った。


「本当に嫌な父親だな」

「知っている」


 惣一が神足通を発動する準備に入る。

 千太はその隣へ立ち、歪んだ空間の中心を見据えた。


 救う側と、止める側。


 これまでなら決して交わらなかった二つの考え方が、世界規模の異常を前に初めて同じ目的へ向かい始めている。


 その中心にいるのは、能力者である息子と、能力を持たない父親だった。


「行くぞ、千太」

「はい」


 惣一の神足通が発動し、空間が僅かに揺らぐ。


 千太が踏み出す直前、聖舩は一言だけ告げた。


「必ず戻れ」


 千太は振り返らなかった。


「言われなくても」


 その返事を最後に、千太の姿が歪んだ空間の向こうへ消える。


 聖舩は何も言わず、息子が消えた場所を見つめ続けていた。


 能力自律化を止めるための戦いは、もはや単純に暴走した能力を封じるだけのものではない。能力者を救おうとする者、世界を守るため最悪の事態へ備える者、そしてその両方の間で答えを探そうとする者。それぞれの思想まで巻き込みながら、世界規模の異変は新たな段階へ進み始めていた。


――第174話 完

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