第173話「父と子」
戦艦ハルシオンの暴走が収束してから、数時間が経過した。
フランのstructūra imperium(構造物制御)は正常な状態へ戻り、異常な変形を繰り返していた艦内も少しずつ本来の姿を取り戻している。完全な復旧には時間が掛かるものの、機関や操艦系統に致命的な損傷はなく、隣を航行する戦艦イーゼルの支援を受けながら安全な海域へ移動することになった。
能研の面々も役目を終え、ひとまず能研ハウスへ戻っていた。
しかし、彼らに休む時間はほとんど残されていなかった。
「……百四十七件」
リビングの大型モニターを見つめながら、タジが低い声で告げた。
画面には世界地図が表示されており、各地に赤い印が点在している。その一つ一つが、能力者の異常が確認された場所だ。
「ハルシオンへ向かう前は六十八件だったよな?」
ソウヤの問いに、タジは椅子へ深く腰を沈めた。
「確認できたものだけでな。しかも今は報告速度そのものが上がってる。軽度の能力誤作動まで含めれば、実際の数はもっと多いはず」
「倍以上か……」
イレイダもさすがに表情を険しくする。
マラン、そしてフラン。二人の能力自律化は何とか止めることができた。しかし、その成功例を世界中の能力者へそのまま適用できるわけではない。能力の性質も違えば、能力者本人の精神状態も違う。何より、世界には能研が把握していない能力者が数多く存在している。
タジが画面を切り替えると、今度は能力異常の発生件数を示すグラフが表示された。
「問題はもう一つある。異常発生地域に偏りがなくなってきた。最初は一部地域だけだった。でも今はアジア、ヨーロッパ、北米、南米……ほぼ同時だ」
燕がモニターを見ながら尋ねる。
「つまり、特定の場所から何かが広がっているわけではないというこですか?」
「今のところはそう見える」
「感染のようなものでもないということですか?」
「少なくとも、人から人へ伝染しているようなデータはない。そもそも能力自律化自体、病気なのか現象なのかすら分かってないんだ」
ソウヤは腕を組んだ。
「じゃあ、世界中の能力者が同時におかしくなり始めてるってこと?」
「簡単に言えばな」
「簡単に言ってほしくなかった……」
その場に重苦しい沈黙が落ちる。
マランは少し離れた壁際に立ち、世界地図を見つめていた。自分も数時間前までは、その赤い印の一つだった。そして能力が暴走した時、自分には能研やネリクマたちがいた。
だが、世界中の能力者全員に同じ救いがあるわけではない。
「この中には、自分が何者かすら分からなくなっている奴もいるだろうな」
マランの言葉に、ソウヤが振り返る。
「……助けたい」
「百四十七人全員をか?」
「できるのであれば」
「無理だ」
マランは即答した。
ソウヤが少し不満そうな顔をするが、マランは続ける。
「だから方法を探すんだろ。俺たちが一人ずつ殴って正気に戻して回るわけにはいかない」
「殴って戻した覚えはないけど」
「似たようなものだ」
「だいぶ違うと思う」
そんなやり取りを聞いていた結衣が、少しだけ笑った。
その空気が。
突然鳴り響いた警告音によって消える。
「今度は何だ!?」
タジが端末へ向き直った。
「外部通信……いや、違う。能研ハウス周辺の監視システムだ」
「誰か来た?」
柚季が窓を見る。
タジは監視映像を開いた。
門の前。
黒塗りの車両が三台、静かに停車している。
「……何だ、あれ」
ソウヤがモニターへ近づいた。
車体に派手な表示はない。しかし、前後の車両から降りてきた人間たちは全員が統一された装備を身につけていた。警察でも自衛隊でもない。
中央の車両。
後部座席の扉が開く。
一人の男が降りた。
年齢は五十代前後。大柄というほどではないが、姿勢が異様なほど整っている。スーツの上からでも分かる引き締まった身体つきと、周囲を確認する視線の鋭さは、事務職の人間とは到底思えなかった。
男は護衛に囲まれている。
それなのに。
ソウヤには、なぜか護衛よりその男本人の方が強そうに見えた。
「誰?」
ネリクマが首を傾げる。
その瞬間だった。
偶々、能研ハウスにいた千太が、モニターを見て足を止めた。
「……」
その表情が明らかに変わった。
「千太?」
ソウヤが気付く。
普段の千太なら、見知らぬ人間が来た程度でここまで険しい顔はしない。
だが今は違う。
拳が固く握られている。
「どうした?」
千太は答えなかった。
ただ。
モニターに映る男を睨み続けている。
「……何故だ」
ようやく声が出た。
「何故、あいつがここにいる」
タジが振り返る。
「知り合い?」
「知り合いじゃない」
千太の声が低くなる。
「じゃあ誰だよ」
数秒の沈黙。
千太は吐き捨てるように答えた。
「私の……父だ」
部屋の空気が変わった。
◇
数分後、能研ハウスの玄関前。
ソウヤ、結衣、イレイダ、惣一、千太たちは来訪者を迎えるため外へ出ていた。
黒塗りの車両の前に、先ほどの男が立っている。
間近で見ると、さらに印象が違った。
年齢を重ねてはいるものの、身体には一切の弛みがない。肩や腕には鍛錬によって作られた厚みがあり、重心も常に安定している。立っているだけなのに、いつでも動ける姿勢が自然に完成していた。
イレイダが小声で呟く。
「……あれ、能力者か?」
「いや」
千太が答える。
「あいつは能力者じゃない」
「嘘だろ」
「本当だ」
イレイダの目が僅かに細くなる。
「なら、随分鍛えてるな」
男は能研側を一通り確認したあと、最後に千太を見た。
そこで初めて。
ほんの僅かに表情が変わった。
「……久しいな、千太」
「その名前を呼ぶな」
挨拶すらなかった。
ソウヤが思わず千太を見る。
明確な拒絶。
男は怒ることもなく、静かに受け止めた。
「相変わらずか」
「何しに来た」
「仕事だ」
「だったら俺を見る必要ないだろ」
「……そうだな」
男はそれ以上、親子の会話を続けようとはしなかった。
代わりに内ポケットから身分証を取り出し、能研側へ提示する。
「私は、柊聖舩。国連安全保障機構、日本支部長を務めている」
柊聖舩――ひいらぎ・みちふね。
千太の実の父親。
そして、能力者ではない男。
惣一が一歩前へ出る。
「名取惣一だ」
「存じ上げている」
「私のことをか?」
「名取家次期当主。現在、世界でも有数の能力者の一人。知らない方がおかしい」
惣一の表情は変わらない。
「では話は早い。何の用だ」
「能力者の一斉異常についてだ」
聖舩の言葉に、全員の表情が引き締まる。
「国連側も把握してるのか」
ソウヤが尋ねる。
「当然だ。現在、我々が確認している異常能力者は二百十三名」
「二百十三!?」
タジの集計より多い。
聖舩は淡々と続ける。
「軽度の異常を含めればさらに増える。既に複数の国で死傷者も出ている。軍が介入した地域もある」
結衣の顔が曇る。
「能力者たちは……?」
「拘束できた者は拘束。制御不能と判断された者については、各国の安全保障基準に基づいて対処されている」
その言い方に。
千太が反応した。
「対処?」
聖舩は息子を見る。
「そうだ」
「相変わらずだな」
「千太」
「何が『対処』だよ」
千太が一歩前へ出る。
「能力者を人間として扱う気なんて、最初からないくせに」
空気が張り詰めた。
護衛の一人が反射的に動こうとしたが、聖舩は片手を上げて止める。
「下がれ」
「支部長」
「これは命令だ」
護衛が戻る。
聖舩は千太へ視線を戻した。
「お前とここで昔の議論をするつもりはない」
「俺もない。とっくに終わっている」
「なら話を進めよう」
千太の拳がさらに強く握られた。
ソウヤは何も言わず、二人を見ていた。
親子の再会には見えない。
むしろ。
長年対立してきた二つの立場が再び向かい合っているようだった。
◇
会談場所は能研ハウスのリビングへ移された。
聖舩の護衛は外で待機している。
本人だけが中へ入った。
「護衛いなくていいんですか?」
ソウヤが何気なく尋ねる。
「必要ない」
聖舩は短く答えた。
イレイダが少し面白そうに彼を見る。
「お前、いかにも自信ありげな言動をするな」
「自分の身を守れない人間に、この仕事は務まらない」
「能力者相手でもか?」
「必要なら」
その返答に、イレイダの口元が僅かに上がった。
「へえ」
「イレイダ」
結衣が釘を刺す。
「何もしないさ」
「その顔で言われても信用できません」
聖舩は二人のやり取りを気にする様子もなく、持参した端末をテーブルへ置いた。
「本題に入る」
世界地図が表示される。
赤い地点。
能研が把握していたものより遥かに多い。
「能力異常は、既に一国家が処理できる規模を超えた。国連安全保障機構は本日付で緊急対策体制へ移行している」
「目的は?」
惣一が尋ねる。
「能力者による大規模災害の防止」
千太が鼻で笑う。
「能力者の保護じゃなくて?」
「第一優先は一般市民を含む人命の保護だ」
「やはり変わってないな」
「千太」
「能力者だって一般市民だろ」
聖舩はしばらく息子を見た。
「そうだ」
意外な返答だった。
千太が眉を寄せる。
「なら――」
「だからこそ、暴走した能力者によって別の能力者が殺されることも防がなければならない」
千太が言葉を止めた。
聖舩は続ける。
「能力者を敵だと言っているのではない。だが能力は現実に人を殺せる。都市を破壊できる者もいる。世界そのものへ影響を与える者さえいる。それを『本人に悪意がない』という理由だけで放置することはできない」
ソウヤの頭にマランが浮かんだ。
もしあの時、マランを止められなかったら。
何が起きていたかは、誰にも分からない。
「でも救える」
ソウヤが言った。
聖舩の視線が向く。
「俺たちはマランを助けた。フランも助けた。能力が暴走してても、本人が消えたわけじゃなかった」
「報告は受けている」
「だったら――」
「二人だ」
聖舩は静かに遮った。
「君たちが救えたのは、現時点で二人だ」
ソウヤが黙る。
「現在、我々が把握しているだけで二百十三人。明日には五百人かもしれない。一週間後には一万人かもしれない。その全員へ君たちが会いに行くのか?」
「……それは」
「できないだろう」
厳しい。
だが、間違ってはいない。
千太が聖舩を睨む。
「だから隔離する?」
「必要なら」
「抵抗したら?」
聖舩は答えなかった。
その沈黙だけで。
千太には十分だった。
「……やっぱり来るんじゃなかったな」
千太が立ち上がる。
「おい、千太」
ソウヤが呼ぶが、彼は止まらない。
「こいつとは話しても無駄だ」
「千太」
聖舩が呼び止める。
千太が振り返った。
「何だ」
聖舩は数秒。
息子を見た。
「お前が私を嫌うことは構わない」
「……」
「だが今回だけは、感情で判断するな」
千太の目が鋭くなる。
「誰のせいでこうなったと思ってるんだ」
その一言だけを残し。
千太は部屋を出ていった。
扉が閉まる。
しばらく。
誰も話さなかった。
◇
「……それで」
沈黙を破ったのは惣一だった。
「国連安全保障機構の支部長さんが、思想の違う我々へわざわざ出向いた理由を聞いていない」
聖舩が惣一を見る。
「その通りだ」
端末を操作する。
「我々は君たちを拘束しに来たわけではない」
「では?」
「協力を要請したい」
ソウヤが驚く。
「俺たちに?」
「ああ」
「能力者を危険視してるのにか?」
「危険性を認識することと、能力者を否定することは同義ではない」
聖舩は画面を切り替えた。
そこに。
一つの映像が表示された。
都市。
逃げ惑う人々。
そして。
道路の中央に立つ一人の能力者。
周囲では、建物が不自然に浮いている。
車も。
瓦礫も。
信号機も。
すべてが一人の人間を中心に、宙へ浮かび上がっていた。
「これは?」
「六時間前。ヨーロッパで確認された事例だ」
別の映像。
今度は。
街一帯が氷に覆われている。
「こちらは三時間前」
さらに。
森林。
空。
海。
次々と異常映像が流される。
「これらすべてが。」
聖舩は、能研を見る。
「能力者本人の意思とは無関係に起きている。」
そして。
最後の映像。
ソウヤの表情が。
変わった。
「……日本?」
「ああ」
場所は。
国内。
「一時間前に確認された。」
聖舩の声が。
僅かに低くなる。
「既に日本国内でも。」
「新たな能力自律化が始まっている。」
タジが身を乗り出す。
「場所は!?」
聖舩は答えた。
「東京。」
全員の表情が変わった。
「そして問題は。」
聖舩が。
映像を拡大する。
「この能力者が。」
そこに映っていたのは。
一人の人物。
その周囲の空間そのものが歪んでいる。
「現在も。」
「自分が暴走していることに。」
「気付いていない。」
ソウヤが立ち上がる。
「行こう!」
だが、聖舩は動かなかった。
「待て。」
「何で!」
「現場には既に。」
聖舩の目が鋭くなる。
「国連安全保障機構の部隊が展開している。」
ソウヤが息を止める。
そして。
聖舩は静かに続けた。
「君たちが到着するまで。」
「能力者を生かしておける保証はない。」
その言葉を。
廊下で千太も聞いていた。
閉じた拳が僅かに震える。
父親は、何も変わっていない。そう思っていた。
だが。
その父親がわざわざ能研へ。
能力者を救える可能性を持つ者たちへ助けを求めに来た。
千太は、自分でも気付かないまま閉ざした扉へ。
もう一度、視線を向けていた。
――第173話 完




