第172話「艦長と艦 フランとハルシオン」
最深部に現れた巨大な構造体は、フランの心臓とまったく同じ周期で脈動していた。
無数の金属部品が複雑に絡み合って形成されたそれは、機関にも兵器にも見えない。しかし一定の間隔で収縮する姿だけを見れば、まるで戦艦ハルシオン自身が新たな心臓を手に入れようとしているようだった。そこから伸びた淡い光は床や壁を伝い、透明な容器の中で鼓動するフランの心臓へ接続されている。
ドクン、と二つが同時に脈打つたび、フランは胸を押さえて苦しそうに息を吐いた。
「艦長、もう下がってください。ここからは私たちが調べます」
「無理だ。あれが私の心臓と繋がっているのであれば、私が離れてどうにかなる問題じゃない」
「でも、その身体で――」
「ベルト」
フランは自分を支える後輩へ視線を向け、弱々しくも笑った。
「さっき『自分の身体くらい自分で取り戻せ』って言ったの、お前だろ」
「……こういう時だけ私の言ったこと覚えてるんですね」
「都合のいい上司だからな」
「威張らないでください」
ベルトは呆れたように言いながらも、フランの身体から手を離さなかった。
少し離れた場所では、ヴァブとウルスラが端末を使って謎の構造体を調べている。しかし表示される数値は安定せず、解析するたびに内部構造そのものが変化していた。
「駄目です。固定された設計が存在していません」
ヴァブの報告にソウヤが首を傾げる。
「どういうこと?」
「文字通りです。数秒前まで存在していた部品が消え、その代わり別の場所に新しい構造が形成されています。これでは機械というより……」
「成長している、か」
惣一が言葉を引き継いだ。
その表現に、全員の視線が巨大構造体へ集まる。
能力が自律化しただけなら、既存の構造物を勝手に操るだけでも十分に異常だ。しかし現在起きていることは、それを遥かに超えている。structūra imperium(構造物制御)は、フランの意思を離れたことでハルシオンを操るだけでは飽き足らず、自ら必要な構造を組み上げ始めている。
「能力が自分の都合のいいように身体を作っているってことか?」
イレイダが刀の柄に手を置いたまま尋ねる。
「可能性は高い」
マランが答える。
「俺の能力は壊すための力だから、暴走しても行き着く先は壊滅だった。だがフランの能力は構造物を操る。なら自律化した能力が最も効率よく自分の性質を発揮しようとした場合――」
「自分で構造を作るようになる……」
ソウヤの言葉にマランは頷いた。
「そして今のこいつにとって最大の障害は、能力者本人の意思だ」
フランの表情が険しくなる。
その意味は、誰に説明されなくても理解できた。
フランがいるから、命令に逆らえる。フランが人間として自分を認識しているから、ハルシオンとの完全な融合を拒絶できる。ならば自律化した能力にとって最も効率的なのは、フランを殺すことではない。
フランという人間とハルシオンという構造物の境界そのものを消してしまうことだ。
「……随分勝手な話だな」
フランは低く吐き捨てた。
「私の能力のくせに、私を邪魔者扱いか」
「俺も似たようなものだった」
マランが肩を竦める。
「能力ってのは、持ち主への敬意が足りないらしい」
「お前に言われると妙に説得力あるな」
「嬉しくはないがな」
ほんの僅かな会話だったが、それだけでもフランの呼吸は落ち着いた。
ところが次の瞬間、巨大構造体の表面を走る光が一斉に強くなった。
フランの身体が大きく震える。
「ぐっ……!」
「艦長!」
ベルトが支えた直後、最深部の床が激しく揺れた。壁を走っていた光がフランの心臓へ集中し、透明な容器の周囲から新たな金属部品が伸び始める。
それらは心臓を守ろうとしているのではない。
取り囲み、固定し、巨大構造体の内部へ組み込もうとしていた。
「まずい!」
ヴァブが叫ぶ。
「心臓の格納ユニットそのものが移動しています!」
「止められるか!?」
「制御を受け付けません!」
ベルトが端末へ手を伸ばすが、フランが止めた。
「触れるな!今のハルシオンに外部命令を入れたら、また敵だと判断される!」
「じゃあ見てろって言うんですか!」
「そうは言ってない!」
二人が言い争う間にも、心臓を収めた容器がゆっくりと巨大構造体へ引き寄せられていく。
そこで惣一が一歩前へ出た。
「私が止める」
「待て、名取」
マランが制止する。
「神足通で無理に動かしたら、フランの心臓そのものに負荷が掛かる」
「承知している。だから動かすのは心臓ではない」
惣一は巨大構造体へ視線を向けた。
「接続されるという結果そのものを、一時的に遠ざける」
ソウヤが眉を寄せる。
「そんなことまでできるんですか?」
「できるかどうかではない。やる」
「名取さんのそういうところ、相変わらず怖いな……」
惣一は返事をせず、静かに右手を伸ばした。
ddhi-vidha-ñāṇa(神足通)が発動する。
空間そのものが歪んだような感覚が走り、心臓と巨大構造体の距離が僅かに広がった。実際に床が伸びたわけではない。それでも、接続寸前だった金属部品は目標へ届かなくなり、空中で行き場を失ったように震えている。
「止まった!」
ソウヤが声を上げる。
「いや、まだだ」
惣一の額に汗が浮かぶ。
次の瞬間、巨大構造体が惣一の能力へ反応した。
床と壁が同時に変形し、距離そのものを埋めようとする。惣一が遠ざければ、ハルシオンは構造を変えて近づける。まるで神足通の性質を理解し、その結果へ対抗しているかのようだった。
「学習してる……?」
ネリクマが呟く。
マランの表情が険しくなる。
「学習というより、目的達成のために最適化してるんだろう。邪魔されれば別の方法を選ぶ。あいつにとって重要なのは手段じゃない」
「フランとハルシオンを一つにすることだけ……」
「ああ」
その時、能研ハウスに残るタジから通信が入った。
『聞こえるか!かなりまずいことが分かった!』
「今日はそればっかりだな!」
ソウヤが叫ぶと、通信の向こうから苛立った声が返ってくる。
『俺だって「朗報です!」って言いたいわ!でも解析するたび悪化してんだよ!』
「で、今度は何!?」
『あの第二の心臓みたいな構造体、ハルシオンだけの部品で作られてない!』
フランが顔を上げた。
「どういう意味だ?」
『艦内のいろんな区画から素材を集めてるのは分かってた。でも構成データを詳しく見たら、物理的な部品だけじゃない。フランの能力反応そのものが構造体の一部になってる』
「能力が……構造物になってる?」
『そうとしか説明できない!能力が自分自身を「構造」として定義し始めてる!』
その言葉に、マランさえ一瞬黙り込んだ。
能力は本来、能力者が発動する現象だ。それ自体が物質として存在するわけではない。ところが今のstructūra imperiumは、自らを構造の一部として組み込み始めている。
つまり、あの巨大構造体を壊せば終わるとは限らない。
能力が残っている限り、再び作り直される可能性がある。
「面倒どころの話ではないな」
イレイダが小さく舌打ちする。
「斬って終わりなら楽だったんだが」
「絶対に斬るな」
フランが即座に言った。
「分かっているさ」
「お前の場合、本当にやりそうだから怖いんだ」
「信用がないな」
「火力に対する信用だけはある」
「それは信用と言うのか?」
フランは苦笑したが、その直後に再び心臓が強く脈打ち、表情を歪めた。
ベルトが支えながら、今度は真剣な声で尋ねる。
「艦長。何かできませんか?」
「何かって?」
「ハルシオンに命令するんです。さっき一度、止められたでしょう」
「……やってる。でも今は届かない」
「なら命令じゃなくていいです」
ベルトは巨大構造体を見た。
「話してみてください」
「戦艦と?」
「さっき艦長が『私は私、お前はハルシオン』って言った時、最深部への扉が開きました。ハルシオンが本当に意思を持ったなんて言うつもりはありません。でも、少なくとも先輩の認識には反応してる」
フランは黙った。
荒唐無稽な提案だった。しかし、この艦で起きている現象そのものが既に常識の外にある。
「……分かった」
ベルトから身体を離し、フランは自分の足で立った。
「艦長?」
「大丈夫だ。これくらいは一人で立たせろ」
ふらつきながらも、フランは透明な容器の中で脈打つ自分の心臓へ向き直った。その向こうには、ハルシオンが自ら生み出した第二の心臓がある。
自分と戦艦。
長い間、あまりにも深く繋がりすぎた存在。
「ハルシオン」
フランの声が最深部へ響いた。
反応はない。
「聞こえてるなら、いい加減にしろ。私を守ろうとしてるのか、私になろうとしてるのか知らないけどな……どっちにしても余計なお世話だ」
「艦長、戦艦相手でも言い方変わらないんですね」
「静かにしとけ。集中させろ」
ベルトが口を閉じると、フランは少しだけ息を整えた。
「笑はお前を道具だと思ったことはない。戦艦だからって、壊れたら交換すればいいなんて考えたこともない。お前が傷つけば私も痛い、お前が沈めば私も死ぬ。そこまで繋がっているのなら、私たちは普通の艦長と戦艦じゃないんだろうな」
壁を走る光が僅かに揺らいだ。
フランはそれを見ても言葉を止めなかった。
「でも、同じものじゃない。私がお前を大事にすることと、私がお前になることは別だ。お前が私を守ることと、私を取り込むことも別だろ」
巨大構造体の動きが僅かに鈍る。
惣一は神足通を維持したまま、その変化を見逃さなかった。
「続けろ。反応している」
「ああ」
フランは自分の心臓を見つめる。
「私は人間だ。飯も食うし、眠い時は機嫌悪いし、書類仕事は嫌いだし――」
「最後のは直してください」
「今はそれを言うな、ベルト」
ソウヤが思わず笑いそうになる。
だが、フランはすぐに表情を戻した。
「私には仲間がいる。ベルトがいる。ヴァブもウルスラもいる。ハルシオンに乗ってる連中も、私にとってはお前の部品じゃない。全員それぞれ別の人間だ。私も同じだ」
フランは右手を胸へ当てた。
「だから、私を勝手に完成させるな」
最深部が静まり返る。
「私は欠けててもいい。不完全でもいい。それを決めるのは、お前でも能力でもない」
そしてフランは、第二の心臓を真正面から見据えた。
「私だ」
その瞬間、巨大構造体の脈動が止まった。
「……止まった?」
ソウヤが声を潜める。
フランの心臓だけが、透明な容器の中で正常な鼓動を続けている。これまで完全に重なっていた二つの周期が、初めて分離した。
タジの声が通信から飛び込んできた。
『能力反応が分かれた!フランとハルシオンの境界値が戻り始めてる!』
「成功したのか?」
『まだ分からん!でも間違いなく変化してる!』
ベルトの顔に希望が浮かぶ。しかしマランだけは、第二の心臓から視線を外さなかった。
「……まだだ」
「マラン?」
「あれを見ろ」
巨大構造体の表面に亀裂が走っていた。
壊れ始めたのではない。内部から何かが形を変えている。第二の心臓としての構造を維持することをやめ、無数の金属部品が別の形へ組み替わっていく。
フランの言葉を受け入れたのか。それとも、別の方法で目的を遂行しようとしているのかは誰にも判断できない。
「全員、警戒しろ」
惣一が神足通を解除し、フランたちの前へ出た。刹那と夢幻も左右に構え、イレイダはいつでも刀を抜けるよう腰を落とす。ネリクマも構造体の変化を見つめ、マランは能力を発動しないまま前方へ立った。
やがて再構築が終わった。
そこに第二の心臓はなかった。
代わりに形成されていたのは、人間とほぼ同じ大きさの金属製の身体だった。顔には目も鼻も口もなく、表面にはハルシオンの装甲と同じ紋様が走っている。ただ、その胸部だけが淡く光り、フランの心臓とは異なる周期でゆっくりと明滅していた。
「……人型?」
ベルトが呟く。
「また金属人形か?」
ソウヤが身構えるが、マランは首を横に振った。
「違う。さっきの奴らとは能力反応の密度が桁違いだ」
タジもすぐに反応した。
『そいつがさっきまで第二の心臓だった構造体そのものだ!能力反応が全部、人型の内部へ集まってる!』
人型は動かない。
ただ、フランと向かい合って立っている。
「……私に何の用だ」
フランが問いかけた。
返事はなかった。
やがて人型が右腕を上げる。
ベルトがフランの前へ出ようとしたが、彼は片腕で制した。
「待て」
「でも!」
「攻撃するつもりなら、とっくにやっている」
フランは逃げなかった。
人型の右手が、ゆっくりと彼へ向けられる。
その瞬間、フランの頭の中へ膨大な情報が流れ込んだ。
「――ッ!」
「艦長!」
今度は苦痛だけではなかった。
長い航海。数え切れない戦闘。艦内を歩く乗員たち。機関室の熱。甲板を叩く雨。修理された装甲。イーゼルと並んで航行した海。そして、艦長席に座るフラン。
それらすべてが、ハルシオン側に蓄積されていた「記憶」のように押し寄せてくる。
「そうか……」
フランはようやく理解した。
「お前、私を消したかったわけではないのだろう」
人型は何も答えない。
「私を……失いたくなかったのか?」
ベルトが目を見開いた。
能力自律化によって過剰に増幅されたstructūra imperiumは、フランとハルシオンの繋がりを維持しようとした。その結果、フランが傷つくことも、離れることも、死ぬことさえ許容できなくなり、最も確実な方法として両者を一つにしようとした。
それは感情と呼べるものではないのかもしれない。ただの能力の性質が、極端な形で現れただけかもしれない。
それでも、フランには十分だった。
「だったら、なおさら間違ってる」
彼は人型へ一歩近づいた。
「私を守りたいのならば、私の意思を奪うな。私が艦長で、お前がハルシオンだ。私はお前に命令する。でも、お前の状態も無視しない。今までみたいにな」
人型の胸部の光が、ゆっくりと弱くなっていく。
「だから戻れ」
フランは静かに告げた。
「私はここにいる。勝手にいなくならない。だから、お前もお前の場所へ戻れ」
数秒の沈黙の後、人型の身体が細かな光へと崩れ始めた。金属部品は床や壁へ戻り、能力反応も少しずつハルシオン全体へ分散していく。
やがて人型は完全に消えた。
最深部に残ったのは、透明な容器の中で規則正しく脈打つフランの心臓だけだった。
『……下がった』
通信越しのタジの声が、信じられないものを見たように震えていた。
『ハルシオン全域の異常反応が急速に低下してる。構造変化も停止。機関出力も落ちてる!』
ベルトがすぐに端末を確認する。
「操艦系統は?」
ヴァブが応じる。
「復旧しています!各区画からも制御回復の報告!」
「イーゼルとの衝突コースは?」
「完全に外れました。ハルシオン、停止します!」
安堵が広がった。
しかしフランはすぐには喜ばなかった。
彼は自分の心臓を見つめたまま、右手を壁へ触れる。
以前のような膨大な情報は流れ込んでこない。必要なものだけが、穏やかに伝わってくる。
機関正常。
主要兵装停止。
乗員の避難状況。
船体各部の損傷。
そして、隣で待機するイーゼル。
「……聞こえる」
ベルトが隣へ立った。
「何がですか?」
「ハルシオンの状態。でも、今度はちゃんと私の外にいる」
フランは目を閉じ、それから小さく笑った。
「戻ったみたいだ」
「……おかえりなさい、フラン艦長」
「ああ」
フランはベルトを見る。
「ただいま」
それは短い言葉だったが、ベルトには十分だった。
ソウヤもようやく肩の力を抜き、ネリクマと顔を見合わせる。イレイダは刀から手を離し、刹那と夢幻も警戒を解いた。マランだけはしばらくフランを観察していたが、やがて小さく頷いた。
「今度は大丈夫そうか」
「お前に診断されるのはなんか嫌なんだがな」
「俺も好きでやってない」
「でも助かった。ありがとう」
マランは少し意外そうな顔をしたあと、「礼ならこいつらに言え」とソウヤたちへ視線を向けた。
「いや、お前にもだよ」
「……そうか」
マランはそれ以上何も言わなかった。
その時、海上から通信が入った。
『こちらイーゼル!ハルシオンの構造変化停止を確認!ベルソルト艦長、状況を!』
ベルトは通信端末を手に取ると、フランを見た。
「何て答えます?」
「決まってるだろ」
フランは疲労の残る身体で、それでも艦長らしく背筋を伸ばした。
「戦艦ハルシオン、制御回復。心配をかけたって伝えろ」
「ご自分でどうぞ」
「お前が艦長だろ」
「今ここでは先輩が艦長です」
「面倒な部下だな……」
フランは苦笑しながら通信を受け取った。
「こちらハルシオン艦長、フラガラッハ・F・ミストルティン。イーゼル、聞こえるか」
『――聞こえています!』
「悪かったな。随分追い回したらしい」
『本当にですよ!修理費はハルシオン持ちでお願いします!』
「ベルトに請求しろ」
「何で私なんですか!」
最深部に笑い声が広がった。
ようやく、本当に戦いが終わったのだと誰もが思った。
しかしその直後、能研ハウスのタジだけは別のモニターを見つめたまま黙り込んでいた。
ハルシオンの能力反応は正常値へ戻っている。それ自体に問題はない。
問題は、世界各地から送られてくる能力異常の報告だった。
マラン。
フラン。
二人とも、自分自身と能力の関係を再認識することで暴走から帰還した。
だが、その間にも世界では新たな異常が発生していた。しかもタジの画面に並ぶ報告件数は、数時間前とは比較にならない速度で増えている。
「……嘘だろ」
結衣がその声に気付いた。
「どうしたの?」
タジは答えず、世界地図を拡大した。そこには能力異常が確認された地点を示す表示が、各地に次々と追加されていく。
「マランやフランだけじゃない」
「え……?」
「能力自律化が、加速してる」
その瞬間、新たな緊急報告が複数同時に届いた。
ハルシオンで起きた事件は、終わった。
しかしそれは世界規模で始まりつつある異変の、一例に過ぎなかったのである。
――第172話 完。




