第170話「死守」
無数の金属構造物が、フランを守るように中枢区画を埋め尽くした。
床から突き出した装甲板が壁となり、天井から伸びた梁が槍のように角度を変える。さらに奥では配管や機械部品までもが組み替えられ、人型の兵器へと姿を変えていく。そのすべてが、フラガラッハ・F・ミストルティンのstructūra imperium(構造物制御)によって動いている。
ただし――命令しているのはフランではない。
『対象を排除します』
艦内全域から響いたのは、紛れもなくフランの声だった。しかし中央に立つ本人の口は動いていない。
「私ではない……!」
フランは苦痛に顔を歪め、自分の右腕を左手で押さえ込んでいた。
「そいつの言うことを聞くな!ベルト、来るな!」
「嫌です!」
ベルトは即答した。
「だから、なんでお前はこういう時だけ言うこと聞かないのだ……!」
「普段は聞いてます!」
「嘘をつけ!」
「今それ言います!?」
こんな状況でも二人の関係は変わらない。
だが次の瞬間、フランの右腕が本人の意思を無視して振り上げられた。
それに呼応して中枢区画が動く。
「来るぞ!」
イレイダが叫んだ。
天井から金属柱が落下する。惣一がiddhi-vidha-ñāṇa(神足通)を発動し、全員の足場を一気に横へ移動させた。直後、巨大な柱が床を貫き、轟音と衝撃が区画全体を揺らす。
「破壊は最低限だ!ここはフランの身体でもある!」
「承知している!」
イレイダは刀を抜きながらも、斬皇破断-カイザーインパルスを放つ気配はない。あれほどの威力を艦内で使用すれば、フランを救うどころではなくなる。
刹那も同様だった。
「動きを止めます!」
周囲に半透明の剣が展開される。
「hallucinatio gladius――幻剣!」
放たれた幻剣が、襲い来る構造物の関節や接合部分へ突き刺さった。完全には破壊せず、その動きだけを一時的に固定する。
「今です!」
「行くぞ!」
ソウヤたちは一斉に走った。
フランまで十メートル。
九。
八。
しかし、あと僅かというところで床そのものが隆起した。
「うおっ!?」
巨大な壁がソウヤの目前へ出現する。
その壁へ惣一が手を触れた。
「邪魔だ」
神足通。
壁を壊すのではない。
その向こう側へ存在するという現実を作る。
ソウヤの視界が一瞬揺らぎ、次に足を踏み出した時には壁の反対側へ抜けていた。
「行けッ!」
「名取さん!」
「私はこちらを抑える!」
惣一の周囲では、ハルシオンの構造物が次々と形を変えている。
そして奇妙なことに。
惣一の神足通もまた、先ほどから僅かに揺らいでいた。
「……またか」
惣一は眉を寄せる。
自分が望んでいない場所へ移動しようとする感覚。マランの暴走時に経験したものと同じだった。
能力自律化の共鳴。
「私まで巻き込むつもりか」
惣一は強引に神足通を抑え込む。
「悪いが。」
その目が鋭くなる。
「私の身体を使いたいなら、まず私を納得させろ」
能力の揺らぎが僅かに収まった。
◇
海上では、二隻の戦艦が異様な追走戦を続けていた。
『ハルシオン、速度三十五ノット!』
『また上がったぞ!』
『この巨体で何なんだよ、その速度は!』
戦艦イーゼルの艦橋に怒号が飛び交う。
ハルシオンは日本列島へ向けて加速を続けている。しかも単純な直進ではない。イーゼルが側面から進路を塞ごうとすれば、まるでその意図を理解しているかのように艦体を変形させ、巨大な構造物で牽制してくる。
『左舷から構造変化!』
『回避!』
ハルシオンの側面装甲が海上へ伸びた。
巨大な金属壁が、イーゼルへ迫る。
『右舵二十!』
船体が傾く。
イーゼルは紙一重で回避した。
しかし離れない。
『艦長命令を忘れるな!』
指揮を任された艦員が叫ぶ。
『撃沈させるな! 損傷もさせるな! 進路だけを削れ!』
無茶な命令だった。
巨大な戦艦を相手に、ほとんど攻撃せずに止めろと言っている。
それでも、誰一人として命令に異を唱えなかった。
なぜならあの戦艦にはハルシオンの艦長、フラガラッハ・F・ミストルティンがいる。
『イーゼル、ハルシオン左舷へ接近!』
『距離五百!』
『四百!』
『三百!』
『近すぎる!』
『そのまま行け!』
二隻の巨大艦が並ぶ。
海面が激しく荒れ狂い、互いの船体が生み出す波が衝突する。
イーゼルが僅かにハルシオンの進路へ入った。
ハルシオンが避ける。
進路が数度ずれた。
『よし!』
歓声。
たった数度、それだけだ。
だが、日本へ到達する時間は確実に伸びる。
『もう一度だ!』
イーゼルは再び。
巨大なハルシオンへ挑んだ。
◇
「イーゼルが進路をずらしています!」
ウルスラの報告に、ベルトが一瞬だけ通信端末を見る。
「さすが……!」
「余所見するな!」
フランが叫んだ。
「え?」
ベルトの前。
床が割れる。
巨大な金属腕が飛び出した。
「ベルト!」
フランの左腕が動く。
本人の意思ではない。
だが。
右腕が。
それを掴んだ。
「……っ!」
フラン自身が。
自分の腕を止めている。
金属腕も。
ベルトの目前で止まった。
「艦長……!」
「早く……離れろ……!」
「嫌です」
「お前……!」
「さっき言ったでしょう!」
ベルトは。
一歩、前へ出る。
「私がそっちへ行きます!」
「来るな!」
「行きます!」
「これは艦長命令だ!」
「今の私はイーゼル艦長です!」
「私はハルシオン艦長だぞ!」
「だから何ですか!」
「上官だ!」
「今だけは知りません!」
「お前ぇ……!」
フランの顔に、ほんの一瞬だけ。
いつもの表情が戻った。
ソウヤが気付く。
「マラン!」
「ああ」
マランも見ていた。
「意識が強くなってる」
感情。
怒り。
焦り。
心配。
それらが、フランという人間をハルシオンから切り離している。
「ベルト!」
ソウヤが叫ぶ。
「もっと話しかけろ!」
「え?」
「何でもいい!フラン本人を引っ張り出せ!」
「何でもって……!」
「思い出でも悪口でも!」
「悪口!?」
「何でもいい!」
ベルトは一瞬戸惑った。
そして、フランを見る。
「艦長!」
「何だ!」
「寝相悪いですよね!」
「今言うべきことか!?」
「あと寝起き最悪!」
「ベルト!」
「コーヒー飲まないと全然喋らない!」
「お前、帰ったら覚えてろよ!」
「あと書類仕事溜めすぎです!」
「それは……!」
「否定しないんですね!」
「黙れ!」
フランが怒鳴った。
その瞬間、中枢区画の動きが止まった。
「……。」
全員が。
固まる。
「止まった……?」
ネリクマが呟く。
フラン本人も。
驚いていた。
「私が……止めた?」
マランが静かに言う。
「そうだ」
フランが見る。
「お前が止めた」
「……。」
「能力に自分を思い出させろ」
マランは自分の胸へ手を置く。
「俺も同じだった。力を抑え込もうとするほど、自分と能力の境界が分からなくなった」
「じゃあ……どうした」
「受け入れた」
「簡単に言うな」
「簡単じゃなかった」
マランの声には。
経験した者にしか出せない重さがあった。
「俺は自分自身の能力が大嫌いだ。今でもな」
ソウヤが僅かに笑う。
「そこは変わってないんだ」
「黙れ」
「はい」
「だが、嫌いだからって切り離せるわけじゃない」
マランは続ける。
「俺の力は俺のものだ。なら、俺が責任を持って使う。それだけだ」
フランは。
自分の手を見る。
「笑の……」
その時。
ドクン――
再び。
鼓動。
フランの表情が変わる。
「……っ!」
『干渉を確認』
艦内へ。
もう一人のフランの声。
『自己認識の修正を開始します』
「何だそれ……!」
タジから緊急通信。
『全員聞こえるか!』
「タジ!」
『今、フランの能力反応が急激に変化した!』
「どうなってる!」
『分からん!でも一つだけ分かった!』
キーボードを叩く音。
『ハルシオンからフランへ流れ込んでる能力反応!あれ、ただの逆流じゃない!』
惣一が尋ねる。
「では何だ」
『フィードバックだ!』
「フィードバック?」
『フランがハルシオンを操る。ハルシオンの状態がフランへ戻る。そしてフランがその情報を元にまたハルシオンを操る。本来は循環してたんだ!』
ベルトが理解する。
「身体と艦を繋ぐための仕組み……」
『そう!でも今はその循環が暴走してる!』
タジの声が大きくなる。
『フランがハルシオンを自分の身体だと認識してる! 同時にハルシオン側の能力反応も、フランを自分の構造の一部として認識してる!』
「互いが互いを自分だと思っている……?」
『そういうこと!』
ソウヤの表情が変わる。
「だから境界がなくなってるのか」
『多分な!』
マランがフランを見る。
「なら。」
「切り離す必要はない」
「え?」
「逆だ」
マランは。
ハルシオンを見回す。
「どっちが主人か。」
「それを、思い出させる。」
◇
その頃。
能研ハウス。
タジはハルシオンから送られてくる膨大なデータを解析し続けていた。
その隣で結衣がモニターを見る。
「どうすればいいの?」
「分からん」
「またそれ!?」
「今回は規模おかしいんだよ!」
タジが頭を掻く。
「マランは本人の中で完結してた。でもフランは違う。心臓が艦内にあるせいで、肉体と戦艦の両方が一つの能力系として成立してる」
「だったら心臓を止めるのは……」
「絶対駄目」
即答。
「フランが死ぬ可能性が高い」
「じゃあ……」
「循環を一時的に弱めるしかない」
「できるの?」
「物理的に遮断したら危険。でも。」
タジが画面を見る。
「フラン自身が制御権を取り戻せれば。」
そこで。
別の警告。
「……何だ?」
新しいデータが入る。
「待て待て待て……」
「どうしたの?」
タジの顔から。
血の気が引いた。
「ハルシオンの進行方向。」
「日本でしょ?」
「違う。」
「え?」
「変わり始めた。」
◇
海上。
イーゼル艦橋。
『ハルシオン、変針!』
『何度!?』
『大きい!右へ急旋回しています!』
『日本から離れた!?』
『そうです!』
一瞬。
歓声が上がりかけた。
しかし。
航海担当の艦員が。
新たな進路を計算する。
「……。」
その顔が。
固まった。
『どうした?』
「この進路……」
『何だ!』
「ハルシオンは。」
艦員が。
ゆっくり顔を上げる。
「イーゼルへ向かっています。」
◇
「何だって!?」
ベルトの声が中枢へ響いた。
通信画面。
ハルシオンが急旋回をし始めその巨大な艦首をイーゼルへ向けている。
『距離二千!』
『接近速度上昇!』
『衝突コース!』
「回避させろ!」
ベルトが叫ぶ。
『やっています!しかしハルシオンが追尾してくる!』
「艦長!」
「私ではない!」
フランが叫ぶ。
「止めてる!」
しかし止まらない。
ハルシオンは、イーゼルへ向かう。
「どうしてイーゼルを……?」
ソウヤが呟く。
マランは、フランを見る。
そして、気付いた。
「……違う。」
「何がだ?」
「敵だからじゃない。」
マランの視線。
ベルトへ。
「ハルシオンが。」
「フランと繋がっているなら。」
ベルトが。
息を呑む。
「まさか……」
マランが。
静かに言う。
「フランが最も意識しているものにも。」
「反応している。」
フランの顔が。
変わった。
「……。」
ベルト。
そして。
ベルトが艦長を務める戦艦イーゼル。
「私の……影響なのか?」
「違います!」
ベルトが即座に否定する。
「今はそんなこと考えないでください!」
だが、ハルシオンはさらに加速する。
『距離千五百!』
「回避!」
『間に合いません!』
「艦長!」
「止まれ……!」
フランが。
両腕を押さえる。
「止まれ!」
ハルシオン。
静止しない。
「私の艦だろ……!」
フランが。
顔を上げる。
「私の身体なんだろ!」
ドクン。
鼓動。
「だったら!」
フランの声が。
中枢を震わせる。
「私の言うことを聞けッッッ!!」
その瞬間。
ハルシオン全体に。
強烈な能力反応。
海上。
巨大戦艦の推進器が一瞬、停止した。
『速度低下!』
イーゼル艦橋に歓声。
『止まったぞ!』
だが。
タジが叫ぶ。
『違う!まだだ!』
中枢。
フランの背後の巨大な構造物がゆっくり開いていく。
「……何だ?」
ソウヤが見る。
その奥。
今までら誰にも触れさせなかった場所フランの心臓保存室。
そこへ続く道が初めて姿を現した。
ベルトが息を呑む。
「艦長……?」
フラン自身も。
驚いている。
「私は……何もしてない。」
惣一の表情が。
変わった。
「では。」
「ハルシオン自身が。」
マランが続ける。
「開けたのか。」
拒絶していた戦艦が、
初めて自らの最深部への道を開いた。
まるで。
フランの命令を聞こうとしているかのように。
しかし。
その直後。
ドクン――!!
心臓が激しく脈打った。
フランが。
胸を押さえて膝をつく。
「ぐっ……!」
「艦長!」
ベルトが駆け寄る。
今度は。
ハルシオンが。
止めなかった。
「フラン艦長先輩!」
ベルトが初めて、フランの身体へ触れた。
「……ベルト。」
「はい。」
フランは苦しそうにそれでも笑った。
「捕まったな。」
「遅すぎます。」
「すまなかった。」
「本当に。」
ベルトがフランの腕を強く掴む。
「遅すぎです。」
その背後。
最深部への道。
フランの心臓。
そして。
戦艦ハルシオン。
三つを繋ぐ巨大な能力反応が、今なお激しく循環している。
マランはそれを見ながら静かに告げた。
「ここからだ。」
ソウヤが振り返る。
「まだ終わってない?」
「ああ。」
マランはフランとその先にある心臓を見る。
「今までは。」
「フランへ辿り着く戦いだった。」
そして。
一歩、最深部へ。
「ここからは。」
「フランに、ハルシオンを取り戻させる戦いだ。」
海上では、戦艦イーゼルが停止したハルシオンの隣へとゆっくりと並んだ。
二隻の戦艦。
そして、一人の艦長。能力者と能力。人間と戦艦。
その境界を取り戻すための戦い。
ついに。
最後の段階へ入ろうとしていた。
――第170話 完




