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Psycer Brain ─ 神に抗え。その力で運命を変えろ─  作者: n217 (嘯江 新)


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168/181

第168話「生きる戦艦」

 戦艦ハルシオンが日本列島へ向けて航行を開始した。


その事実が艦内へ伝わった瞬間、ベルトの表情から明らかに余裕が消えた。現在のハルシオンは、フランの命令を受け付けないだけではない。操艦システムを停止しても機関を起動し、自ら進路を選択している。しかも、艦内では今なおstructūra imperium(構造物制御)による再構築が続き、通常の指揮系統はほぼ機能していなかった。


「現在速度は?」

 惣一が尋ねる。

「二十三ノット……二十五、まだ上がっています!」

 ウルスラが端末を操作しながら答える。

「このままの進路なら日本近海への到達は?」

「正確には出せません。機関出力が安定していないうえ、航路も一定ではありませんから。ただ――数時間単位です」

「十分とは言えんな」

 惣一は目の前の壁へ視線を戻した。


 ほんの数分前まで、そこには艦隊中枢へ続く通路が存在していた。しかし現在は継ぎ目すらない金属壁に置き換えられている。破壊して進むこと自体は可能かもしれない。イレイダやマランが本気を出せば、通常の装甲なら問題にならないだろう。


 だが、ここはフランの身体とも言える戦艦だ。

 むやみに破壊するという選択肢は取れない。

「名取さん、本当にいけますか?」

 ソウヤが壁を見ながら尋ねた。

「試す価値はある」

「また神足通が勝手に動いたりしないですよね?」

「その時はお前が止めろ」

「どうやって!?」

「考えておけ」

「無茶振りにも程があるだろ!」

 惣一は答えず、壁へ右手を当てた。


 iddhi-vidha-ñāṇa(神足通)。


 本来なら、壁をすり抜けることも惣一にとって難しいことではない。しかし今回は、自分一人が向こう側へ行けばいいわけではない。フランを救出するための人員を中枢へ運ぶ必要がある。


 ならば、壁を越えるのではなく。

 この場所に「通過できる」という現実を作る。

「……開け」

 低い声とともに能力が発動する。

 壁の表面が僅かに揺らいだ。

「お……?」

 ソウヤが身を乗り出す。


 だが。

 次の瞬間。

 壁の向こうから強烈な圧力が返ってきた。

「……っ!」

 惣一の腕が弾かれる。

「惣一様!」

 刹那が支えた。

「大丈夫だ」

 惣一はすぐに体勢を戻す。

 しかし、その表情には驚きがあった。

「拒絶された」

「神足通が?」

「ああ」

 ベルトが壁を見る。

「艦長が拒絶したんでしょうか」

「それは分からん」

 マランが近づく。

「ただ、俺の時とは明らかに違う」

 ソウヤが振り返る。

「どういう意味だ?」

「俺のexcidiumは、自分の性質を無差別に遂行しようとしていた。壊滅。それだけだった」

 マランは壁へ手を伸ばしたが、触れる寸前で止める。

「だが、こいつは違う。明確に俺たちを中枢から遠ざけようとしている」

「やっぱりフランを守ってる?」

「そう見える」

「能力が自分で考えてるってことか?」

「そこまでは分からない」

 マランは首を振った。

「だが少なくとも、単なる暴発じゃない」

 その言葉が。

 全員の胸に重く残った。

     ◇

「別ルートを探します」

 ヴァブが艦内図を表示した。

 しかし、その地図はすでに役に立たなくなりつつあった。

「ここが現在地です。本来なら、この先を右へ進めば第三連絡通路、そのまま機関区画を抜けて中枢近くまで――」

 言い終わる前に。

 画面上の通路が消えた。

「……。」

「今消えた?」

 ソウヤが尋ねる。

「消えましたね」

 夢幻が淡々と答える。

「いや、そんな普通に言う!?」

 ヴァブが端末を更新する。

「別ルートを……」

 また一つ。

 消える。

「おい」

 さらに。

 もう一つ。

「……全部塞いでない?」

 ネリクマの言葉通りだった。

 中枢へ近づくルートだけが。

 次々と消えている。

「逆に分かりやすいな」

 イレイダが刀へ手を掛ける。

「どっちに中枢があるか教えてくれてるようなもんだ」

「壊す気ですか?」

 ベルトが即座に反応する。

「冗談だ」

「あなたが言うと冗談に聞こえません!」

「失礼だな」

「過去の実績です!」

 イレイダが僅かに眉を動かしたが、反論できなかった。


 その時。

 艦内照明が。

 一斉に消えた。

「……!」

 暗闇。

「全員動くな!」

 ベルトの声。

 数秒後。

 赤い非常灯が点灯する。

 しかし。

 そこにあった光景は。

 先ほどまでと違っていた。

「何だ……?」

 ソウヤが周囲を見る。

 通路が、広くなっている。

 いや。

 広くなったのではない。

 壁そのものが移動していた。

「後ろ!」

 ネリクマが叫ぶ。

 振り返る。

 さっきまで存在していた道が。

 ない。

「閉じ込められた?」

「違う!」

 ヴァブが端末を見る。

「区画ごと移動している!」

「は?」

 ソウヤが聞き返す。

「この部屋そのものが艦内を移動しています!」

 轟音。

 足元が大きく傾く。

「うわっ!」

 ソウヤが壁へ手をつく。

 ハルシオンの内部構造が、巨大な立体パズルのように組み替えられている。


 通路。

 部屋。

 階段。

 隔壁。


 それぞれが。

 独立した部品のように移動していた。

「これが……structūra imperium……」

 刹那が周囲を見る。

「フランさんは普段から、これほどの規模で艦を操っているのですか?」

 ベルトは首を振った。

「可能ではあります。でも、こんな使い方はしません。艦長は乗員がいる状態で無意味な構造変更なんて絶対に――」


 突然。

 床が開いた。


「下!」


 全員が飛び退く。

 巨大な穴。

 その奥には、別の通路が見える。


「落とす気か!?」

 ソウヤが叫ぶ。

 だが。

 マランが穴を覗く。

「待て」

「何?」

「下を見ろ」

 そこには。

 矢印。

 非常灯によって、一本の道が示されている。


「……案内?」

 ネリクマが首を傾げる。


 ベルトの表情が変わる。

「艦長……?」


 その瞬間。

 艦内放送。


『――ベルト』

「艦長!」

 弱い声。

『聞こえるか……?』

「聞こえます!今どこに!」

『来ては……駄目だ……』

「でも今、道を!」

『私ではない』

 ベルトが固まる。

『私は……何もしてない』


 ソウヤたちが。

 穴を見る。

 なら、この道を作ったのは。

「ハルシオン……?」

 ネリクマが呟く。


『お願いだ……来るな』

 フランの声が震える。

『もう……私にも分からないのだ』

「何がですか」

『どこまでが私で……』

 通信に。

 ノイズが混じる。

『どこからが……ハルシオンなのか……』

 途切れた。

「艦長ッ!」

 返事はない。

     ◇

 結局。

 彼らは穴を降りることにした。

 罠の可能性はある。

 しかし。

 中枢へ近づくための道が他にない。

「私が先頭へ行く」

 惣一が下を見る。

「いや、俺が行く」

 マランが前へ出る。

「お前は能力を使ったばかりだ」

「だから、異常が起きれば俺が一番早く分かる」

「……。」

「それに。」

 マランが僅かに笑う。

「俺なら多少のことでは死なない」

「それ、フラグってやつじゃないか?」

 ソウヤが言う。

「何だそれは」

「いや、気にしないで」


 マランが先に降りる。

 続いて惣一、ソウヤ、イレイダ、ネリクマ、刹那、夢幻。ベルト、ヴァブ、ウルスラたちハルシオン側のメンバーも続いた。

 降りた先。

 そこは、見覚えのない通路だった。


「こんな区画……あったのか?」

 ベルトが周囲を見る。

「ありません」

 ヴァブが即答する。

「少なくとも、既存艦内図には存在しません」

「じゃあ何だよここ」

「新しく作ったんでしょう」


 全員が黙った。

 ハルシオンが、自分の内部に新しい区画を作った。


「……船って、勝手に部屋増えるもんじゃないよな」

「普通はな」

 イレイダが答える。

「普通じゃないから聞いてるんだけど」

 通路は、中枢方向へ続いている。


 そして。

 壁。

 天井。

 床。

 そのすべてに、奇妙な模様が走っていた。

 一定間隔で、淡い光が脈打っている。


「これ……」

 ネリクマが壁へ近づく。

「触るな」

 マランが止めた。

「能力反応がある」

 惣一も気付く。

「かなり強いな」

 ベルトの顔色が変わる。

「この光……」

「知ってるのか?」

「艦長の心臓がある中枢で見たことがあります」


 ソウヤが壁を見る。

 光。

 脈動。

 まるで血管。

 そして。

 心拍。


 ドクン──


 艦全体が。

 微かに震えた。


 ドクン──


「……。」

 誰も。

 すぐには言葉を出さなかった。

 ドクン。

 ハルシオンが。

 脈打っている。

     ◇

 能研ハウス。

「嘘だろ……」

 タジは送られてきたデータを何度も確認していた。

「どうしたの?」

 結衣が尋ねる。

「ハルシオン内部の能力反応を解析してるんだけど……おかしい」

「何が?」

「フランの心臓から出てる能力反応が、艦全体へ流れてる」

「それは前からじゃないの?」

「程度が違う」

 タジは画面を拡大する。

「今まではフランが能力を使ってハルシオンを操ってた。つまり、フランが命令を出して、能力が艦へ作用してた」

「今は?」

「逆流してる」

 結衣の表情が変わる。

「逆流?」

「ハルシオン側から。」

 タジが。

 画面を見る。

「フランへ能力反応が戻ってる。」

     ◇

 艦内。

 マランが突然足を止めた。

「待て」

「どうした?」

 ソウヤも止まる。

「何かいる」

 イレイダが刀へ手を掛ける。

「人か?」

「違う」


 前方。

 暗い通路。

 何かが動いた。

 金属音。


 ガシャ─

 ガシャ─


 近づいてくる。


「ハルシオンの警備機構か?」

 ベルトが首を振る。

「こんなものは知らない」

 暗闇から。

 それが。

 姿を現した。

「……何だよ、あれ」

 ソウヤが息を呑む。


 人型。

 しかし。

 人間ではない。

 艦内の装甲。

 配管。

 機械部品。

 それらが組み合わされて、人間のような形を作っている。

 顔はない。

 武器もない。

 だが、その身体全体からフランと同じ能力反応。


「ハルシオンが……作った?」

 ベルトが呟く。


 そして。

 一体ではない。


 その後ろ。


 二体。

 三体。

 十体。

 次々と現れる。



「おいおい」

 イレイダが刀を抜く。

「結局戦うのかよ」

「破壊しすぎるな!」

 ベルトが叫ぶ。

「無茶言うな!」

「ハルシオンはフラン艦長の一部なんです!」

「襲ってくる奴に言え!」

 金属人形が。

 一斉に走り出す。

「来るぞ!」

 先頭の一体が。

 イレイダへ拳を振り下ろす。

 刀で受ける。

 激突。

「……重っ!」

 床が沈む。

 その横から。

 二体。

 ソウヤへ。

「ちょっ!」

 ソウヤが回避する。

 拳が壁へ当たる。

 しかし。

 壁は壊れない。

 拳そのものが。

 壁へ吸収された。


「は?」


 次の瞬間。

 壁から、新しい腕が伸びる。

「うおっ!?」

 ソウヤが後退する。

「こいつら、艦そのものと繋がってる!」

 マランが叫ぶ。

「倒しても戻されるぞ!」

「じゃあどうする!」

「止める!」

「どうやって!?」

「考えろ!」

「みんなそればっかり!」


 刹那が前へ出る。


「ならば、動けなくすればよいのです」


 周囲に半透明の剣。


 hallucinatio gladius――幻剣。


「刹那!」

「破壊はしません」


 幻剣が、金属人形の関節部分へ突き刺さる。

 腕。

 脚。

 胴体。

 動きを封じる。

「今です!」

「さすが!」

 全員が走る。

 だが。

 数秒後。

 幻剣を刺された金属人形の身体が。

 床へ沈んだ。

「……?」

 そして、前方の壁から新しい身体として再形成される。

「嘘だろ!」

 夢幻が険しい顔になる。

「ここにいる限り、無限に作れるということですか」

「だったら走れ!」

 イレイダが叫ぶ。

「相手してるだけ無駄だ!」

 全員が通路を走る。

 背後から金属人形たちが追ってくる。

 その途中、壁が開き道が分かれる。

「どっちだ!」

 ベルトが叫ぶ。

 右。

 左。

 両方。

 同じ光。

 同じ脈動。

 マランが。

 目を閉じる。

「右だ」

「分かるのか?」

「能力反応が強い」

 右へ全員が曲がる。

 そして、しばらく走った先。

 巨大な扉。

 そこに、文字が。

 ベルトが。

 立ち止まった。

「……ここ」

「知ってるのか?」

「中枢区画の外郭扉です」

「じゃあ!」

「でも。」

 ベルトが周囲を見る。

「こんな近くにあるはずがない。」

 ヴァブも。

 艦内図を見る。

「現在位置が……おかしい」

「どれくらい?」

「本来なら。」

 ヴァブが。

 困惑した顔で答える。

「ここへ来るまで。」

「あと二キロ近くあるはずでした。」

 ソウヤが。

 後ろを見る。

「……ハルシオンが。」

 マランも。

 扉を見る。

「俺たちを。」

 惣一が続ける。

「中枢へ運んだ。」

 ベルトの目が。

 揺れる。

「じゃあ。」

「艦長を守ってるんじゃ……?」


 答えは、誰にも分からない。

 拒絶する。

 攻撃する。

 道を塞ぐ。


 それなのに。

 時には、中枢へ導く。

 矛盾した行動。

 まるで。

 二つの意思が。

 一つの戦艦の中で。

 争っているように。

     ◇

 巨大な扉の前。

 ベルトがアクセス端末へ触れる。

「開きません」

「手動は?」

「無理です。構造そのものがロックされています」

 惣一が前へ出る。

「今度こそ通す」

「大丈夫なんですか?」

 ソウヤが尋ねる。

「さっきは拒絶されましたけど」

「ああ」

 惣一は、扉へ手を当てる。

「だが。」

 目を閉じる。

「今は。」

「拒絶されている感じがしない。」

 神足通。

 発動。

 扉が揺らぐ。

 今度は反発がない。

「……通れる。」

 惣一が目を開く。

「行くぞ。」

 全員が一歩前へ。


 その瞬間。

 艦内放送。


『――来るなッッッ!』

 フラン。


「フラン艦長!」

『駄目だ!』

 声が。

 明らかに。

 先ほどより近い。

『開けてはならぬ!』

「どうしてですか!」

『私が――』

 轟音。

 扉の向こう。

 何かが激しくぶつかる。

『もう……』

 フランが泣いている。

『身体を……止められない……!』


 ベルトが扉へ手を置く。

「艦長。」

『ベルト……』

「今まで。」


 ベルトの声は静かだった。


「私たちが何回、あなたに助けられたと思ってるんですか。」


『……。』


「一回くらい。」

 少し笑う。

「部下に助けらてもいいじゃないですか。」


 通信の向こう。

 フランは。

 何も答えなかった。

 だが、扉が僅かに開いた。

「……!」

 惣一は、神足通を止めた。

「私ではない。」

 ベルトが息を呑む。

 扉はゆっくり開いていく。

「艦長……?」


 その向こう。

 巨大な空間。

 艦隊中枢。無数の構造物が血管のように中心へ伸びている。

 そして、その中心に一人の人物が。


 フラン。


 俯いたまま。

 立っている。

「フラン艦長!」

 ベルトが一歩踏み出す。

「待て!」

 マランが叫ぶ。

 フランの身体が動いた。

 本人の意思とは明らかに違う。

 ゆっくり顔を上げる。


 目から。

 涙が流れている。


「……逃げてくれ。」


 口では。そう言った。

 だが、右腕が勝手に上がる。

 同時に。

 艦隊中枢。

 壁。

 床。

 天井。

 すべてがフランの動きへ合わせて変形する。


「お願いだ……!」

 フランが必死に腕を押さえようとする。

 しかし、左腕まで本人の意思を無視して動く。

「私を……止めてくれ!」

 次の瞬間。

 巨大な構造物が、ソウヤたちへ一斉に襲いかかった。


 惣一が神足通を発動し、全員を後方へ退避させる。金属の柱が先ほどまで彼らが立っていた床を貫き、その衝撃で中枢区画全体が激しく震えた。


 ベルトは、それでもフランから目を離さなかった。

「艦長!」

「来るなッッッ!」


 フランの叫びと同時に、背後の構造物が翼のように大きく広がる。まるでハルシオンという巨大戦艦が、フランの身体を中心として新しい形を得ようとしているかのようだった。


 マランがその光景を見て、表情を険しくする。

「やはり違う。」

「何がだ!」

 イレイダが刀を構える。

「俺の時より進んでる。」

 マランはフランを見る。

「能力が。」

「フランを呑み込もうとしてるんじゃない。」

 その視線が中枢全体へ向く。

「ハルシオンそのものが、フランを自分の一部にしようとしてる。」

 そして、中枢の奥。

 フランの心臓が存在する場所から。


 ドクン――


 巨大な鼓動が響いた。

 フランの身体が同じ瞬間に跳ねる。

 戦艦と人間。

 二つの境界が、今。


 完全に。

 失われようとしていた。


――第168話 完

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