第167話「救難信号」
能研ハウスに響く通信音の向こうで、巨大な金属が軋み続けていた。
『こちら戦艦ハルシオン! 能研、応答を――ッ!』
直後、耳をつんざくような轟音が通信を飲み込んだ。何かが崩壊したらしく、遠くから複数の人間が叫ぶ声まで聞こえる。
「聞こえてる! そっちの状況をもっと詳しく教えてくれ!」
タジが端末へ向かって叫びながら、同時に発信位置の逆探知を進める。通信は何度も途切れかけており、ハルシオン側の設備そのものが正常に機能していないらしい。
やがてノイズが一瞬弱まり、女性の声が聞こえた。
『――私だ。ベルソルト・ヴェルダンディだ』
「ベルト!ベルトなのか!?」
ソウヤにも聞き覚えがあった。
戦艦ハルシオン副艦長、ベルソルト・ヴェルダンディ。フランの部下であり、能力戦艦イーゼルの艦長も務める人物だ。いつもなら冷静さを崩さない彼女の声が、今は明らかに切迫している。
「何があった!?」
『フラン艦長のstructūra imperiumが制御不能になった。最初は艦内の一部設備が命令を受け付けなくなった程度だった。しかし十五分ほど前から、艦内構造そのものが勝手に変化し始めた』
「艦内構造が……?」
『隔壁、通路、機関区画、兵装区画――全部だ。今も変形が続いている』
タジが険しい顔でモニターを見た。
「フラン本人は?」
一瞬、返事が途切れる。
『……確保できていない』
「どういうことだ?」
『艦長が私たちから逃げている』
全員の表情が変わった。
「暴走して攻撃してるんじゃないのか?」
『違う!』
ベルトが強く否定した。
『本人には意識がある。少なくとも、最後に直接会話した時までは正常だった。艦長自身が一番異常を理解していた。「自分から離れろ」と命令されて、それから艦隊中枢へ向かった』
「一人で?」
『止めたのだ!だが……』
通信の向こうでベルトが息を呑む。
『通路が私たちを遮断した』
ソウヤが眉を寄せた。
「フランがやったのか?」
『本人は否定していた』
室内が静かになった。
それが事実なら、マランの時と同じだ。
能力者本人の意思と、能力の挙動が一致していない。
だが今回は規模が違う。
「現在位置を特定!」
タジがモニターへ海図を表示した。
「日本近海。ただし陸地からかなり離れてる。ハルシオンは現在、ほぼ停止状態……いや、待て」
「どうした?」
「動いてる」
タジの指が止まる。
「誰が操縦してる?」
『誰も操縦していない』
ベルトが答えた。
その一言に、誰もすぐには反応できなかった。
『操艦システムは切った。艦長からも、全システムを停止しろと命令されている。機関も出力を最低限まで落とした。それなのに……』
通信の向こうから、低い振動音。
『ハルシオンが、自分で航行している』
◇
「全員準備しろ」
惣一の判断は早かった。
「今回は現場が海上だ。通常の車両では向かえない。田島、現在地と周辺海域の情報を出せ」
「やってます!」
「イレイダ、ソウヤ、刹那、夢幻は同行。ネリクマは――」
「行く」
「まだ何も言っていない」
「どうせ聞くんでしょ?」
「……まあいい」
「扱い雑になってない?」
「信頼しているということにしておけ」
「じゃあそうする」
その横で、マランも立ち上がった。
「俺も行く」
ソウヤが振り返る。
「大丈夫なのか?」
「だから行くのだ」
「...無茶はするな」
「俺は能力自律化を経験した。フランとやらが同じ状態なら、俺にしか分からないことがあるかもしれない」
もっともな理由だった。
しかし惣一は即答しない。
「身体は?」
「問題ない」
「能力は?」
「安定している」
「本当か?」
「……お前ら、さっきから俺を病人扱いしてないか?」
「数時間前まで自分を消しかけてた人間に言われてもなぁ」
ソウヤが苦笑する。
「黙っていろ」
そこへ結衣が入ってきた。
「マランさん」
「何だ」
「行くなら、これ持っていってください」
小さな医療用ケースを差し出す。
「鎮痛剤と応急処置用品です。それから少しでも能力に異常を感じたら、絶対に隠さないこと」
「俺は子供扱いされているのか?」
「ネネちゃんと同じこと言わないでください」
「……。」
「返事は?」
「分かった」
ソウヤが小さく笑った。
「マラン、結衣には弱いな」
「お前もだろ」
「それは、否定できない」
そんなやり取りの最中にも、ハルシオンからは断続的に通信が届いている。
ベルトたちは現在、比較的構造変化の少ない区画へ生存者を集めているらしい。ヴァフズルーズ・ニル・ベルヴェルク――ヴァブを中心に艦内状況を把握し、ウルスラ・ケイティ・ベルモンティたちも避難誘導を続けている。
しかし問題は時間だった。
『また変形が始まった!』
ベルトの声。
『第三区画を放棄する!全員、第二区画へ!』
その直後。
通信映像が一瞬だけ繋がった。
「……何だよ、これ」
ソウヤが絶句する。
映っていたのは、かつて彼らも歩いたハルシオンの通路。
しかし今は。
床が壁へ。
壁が天井へ。
天井から巨大な金属柱が伸び、通路を貫いている。
単純に壊れているのではない。
構造そのものが組み替えられている。
『走れ!』
映像の中でベルトが叫ぶ。
後方。
通路が閉じていく。
隔壁ではない。
左右の壁そのものが中央へ迫り、空間を消そうとしている。
「ベルト!」
『まだ大丈夫だ!』
ベルトたちは滑り込むように別区画へ逃げ込み、その直後に通路が完全に消滅した。
ソウヤの顔から笑みが消える。
「急ごう」
「ああ」
惣一も頷いた。
◇
今回、惣一は長距離の神足通を使うことを躊躇した。
マランの事案で一度、能力が本人の命令を無視している。しかも能力自律化が周囲の能力者へ共鳴することも分かったばかりだ。フランの暴走域へ直接飛び込めば、何が起こるか分からない。
そこでタジが手配した移動手段を使い、まず海岸部まで移動。その先でハルシオン側から救援艇を出してもらうことになった。
移動中も、タジは能研ハウスから通信を繋ぎ続けていた。
『聞こえるか?』
「聞こえてる」
ソウヤが答える。
『ハルシオンから送られてきたデータ解析してるんだけど、妙なことがある』
「もう妙じゃないこと探す方が難しいぞ」
『それはそうなんだけどな』
「認めるんだ」
『フランの能力反応が一箇所じゃない』
惣一が反応した。
「どういうことだ?」
『普通なら能力反応の中心は本人になる。でも今のハルシオンは、艦内のほぼ全域からstructūra imperiumと同じ反応が出てる』
「能力が艦全体へ広がっている?」
『多分。ただ、一番強い反応は二つある』
「二つ?」
『一つはフラン本人』
タジが一拍置く。
『もう一つは――艦隊中枢だ』
ソウヤたちは互いを見る。
フランの心臓。
彼女の身体と戦艦ハルシオンを繋ぐ、最も重要な場所。
マランが低い声で言った。
「本人と能力の境界だけじゃないな」
「どういうこと?」
「俺の場合、壊滅の能力は俺自身を呑み込もうとした。だがフランの能力は構造物を操るんだろ」
「ああ」
「なら、自律化した能力が『自分自身』だと認識している範囲が違う可能性がある」
惣一が理解する。
「フランの肉体だけではなく……」
「ハルシオンそのもの」
マランが窓の外を見る。
「最悪の場合、あの戦艦全部が能力の一部になってる」
◇
海岸へ到着した頃には、空は完全に暗くなっていた。
海上には月明かりが伸びている。
その遠方から、一隻の小型艇が近づいてきた。
「能研か!」
乗員が叫ぶ。
「そうだ!」
「乗ってくれ!急ぐ!」
全員が乗り込み、救援艇はすぐに反転した。
波を切り裂きながら沖へ進む。
しばらくして。
水平線の向こう。
巨大な影が現れた。
「……見えた」
ソウヤが立ち上がる。
戦艦ハルシオン。
以前見た時も、その巨大さには圧倒された。
しかし。
今は違う意味で。
異様だった。
「何だ……あれ」
艦体の一部が。
変形している。
側面装甲が不自然に隆起し、巨大な金属の柱のような構造物が海面へ伸びている。砲塔の一部は本来とは違う方向へ向き、甲板も波打つように歪んでいた。
それでも。
沈んでいない。
むしろ。
まるで。
形を変えながら生きているように見える。
「……気持ち悪いな」
イレイダが率直に言った。
「戦艦というより、生物ですね」
夢幻も珍しく表情を曇らせている。
マランは無言だった。
彼には分かる。
あれは。
自分が能力に呑まれかけた時と。
似ている。
能力が。
能力者の意思とは別に。
自分の存在理由を遂行しようとしている。
その時だった。
「……?」
ネリクマが顔を上げる。
「どうした?」
「今……動かなかった?」
「何が?」
「ハルシオン」
全員が巨大戦艦を見る。
救援艇は正面ではなく側面から接近している。
ハルシオンは停止しているはずだった。
だが。
巨大な艦首が。
ゆっくりと。
こちらへ向きを変えた。
「おい」
ソウヤの頬を汗が流れる。
「これ……」
砲塔が動く。
一基。
二基。
三基。
次々と。
救援艇へ向く。
「マジかよ!」
乗員が操舵を切る。
直後。
轟音。
海面が爆発した。
「うわっ!」
救援艇が激しく跳ねる。
「撃ってきたぞ!」
「分かってる!」
第二射。
イレイダが刀へ手を掛ける。
「名取!」
「ああ!」
惣一が神足通を発動。
救援艇の進行方向を僅かに現実化し、海面を滑るように艇を押し出す。砲撃が後方へ着弾し、巨大な水柱が上がった。
「名取さん、能力大丈夫なのか!?」
「必要最低限だ!」
「最低限で船押せるのおかしいだろ!」
「今それを議論するな!」
第三射。
今度は。
来ない。
「……?」
砲塔が止まった。
そして。
ゆっくり。
別方向へ向く。
「止まった……?」
マランが目を細める。
「違う」
「え?」
「あいつ、撃つのをやめたんじゃない」
ハルシオンを見る。
「撃てなくなったんだ」
その言葉の直後。
艦体の一部が激しく震えた。
砲塔が救援艇へ向こうとする。
しかし。
逆方向へ戻される。
再びこちらへ。
また戻る。
「……フラン?」
ソウヤが呟いた。
フランが。
中から抵抗している。
◇
救援艇は砲撃を避けながら、どうにかハルシオン側面へ接近した。
そこにはベルトたちが待っていた。
「ソウヤ!」
「ベルト!」
艦内へ飛び移った瞬間、ベルトが駆け寄る。
「来てくれたか!」
「何とか!」
その後方にはヴァブ、ウルスラ、そして複数のハルシオンメンバーがいる。全員疲労しており、制服も所々破れていた。
「フランは?」
惣一が尋ねる。
ベルトの表情が曇る。
「艦隊中枢へ向かったままだ」
「追えないのか?」
「見てもらった方が早い」
ベルトが振り返る。
そこには。
壁。
「……?」
ソウヤが首を傾げる。
「ここは、通路?」
ベルトが言った。
「中枢へ続く最短ルートだった」
「だった?」
「ああ」
ベルトが壁へ触れる。
「五分前に消えた」
ソウヤは言葉を失った。
ハルシオンの構造が。
リアルタイムで。
書き換えられている。
「別ルートは?」
「三つ試した」
ヴァブが答えた。
「全部塞がれた」
「偶然じゃないな」
マランが壁へ近づく。
「俺たちを近づけたくないんだ」
「フラン先輩が?」
ベルトの声が僅かに揺れる。
「分からない」
マランは答える。
「本人なのか。」
「能力なのか。」
「あるいは。」
壁を見る。
「もうその二つを区別できなくなってるのか。」
その時。
艦内放送が。
突然。
起動した。
『――ベルト』
全員が顔を上げる。
「フラン艦長!?」
ベルトが放送設備へ駆け寄る。
「聞こえますか!?」
『……来たのか』
弱い。
しかし。
確かにフランの声。
「今どこにいるんですか!」
『中枢だ』
「今すぐそちらへ行きます!」
『来るな』
「でも!」
『来るな!』
ベルトが言葉を失う。
「どうして……」
長い沈黙。
その後。
フランの声が震えた。
『私自身で力が……止められない』
「大丈夫です!能研も来てくれました!マランも――」
『違うのだ』
フランが。
遮る。
『私ではない』
全員の表情が変わる。
『私がハルシオンを動かしてるのではない』
艦内が。
軋む。
壁が。
僅かに動いた。
『ハルシオンが……』
フランの呼吸が。
乱れる。
『私の命令を……一切聞かない』
「艦長……」
『それどころか……』
その声に。
初めて。
明確な恐怖が混じった。
『私の身体まで……勝手に動くのだ』
ソウヤが息を呑む。
マランの顔色が変わる。
それは。
彼の時より。
さらに進んでいる。
『私は……ハルシオンを操ってるのではない』
フランが。
必死に。
言葉を絞り出す。
『ハルシオンが――』
轟音。
通信が大きく乱れる。
「艦長!」
『――私を……』
そして。
最後の言葉だけが。
鮮明に。
艦内へ響いた。
『操ろうとしている……!』
直後。
通信が切れた。
同時に。
ソウヤたちの背後で。
巨大な壁が。
音を立てて動き始める。
「全員離れろ!」
ベルトが叫ぶ。
壁。
床。
天井。
すべてが。
一斉に形を変える。
しかし、ソウヤは逃げながら違和感を覚えた。無秩序な崩壊ではない。壁は人間を押し潰す寸前で止まり、床の隆起も逃げ道そのものを完全には塞いでいない。砲撃も先ほどフランの抵抗によって逸らされた。
「……待て」
ソウヤが振り返る。
「何だ!」
「これ、本当に俺たちを殺そうとしてるのか?」
ベルトが目を見開く。
マランも。
同じことに気付いた。
「違う」
彼は変形する艦内を見渡す。
「攻撃じゃない」
「じゃあ何だよ!」
「拒絶だ」
中枢へ近づこうとする者だけを。
遠ざけている。
殺すのではなく。
入れないようにしている。
「フランを……守ってる?」
ネリクマが呟く。
その瞬間。
艦内全域に。
巨大な振動が走った。
戦艦ハルシオンが、再び形を変え始める。
ヴァブが通信端末を見る。
「まずい!艦首部から大規模構造変化!」
ウルスラが別の計器を見る。
「機関区画もです!出力が勝手に上昇しています!」
「何パーセントだ!」
「四十……六十……八十――!」
「止めろ!」
「操作を受け付けません!」
ベルトが叫ぶ。
「艦長ッ!!」
返事はない。
そして。
ハルシオンの巨大な機関が。
誰の命令も受けず。
完全に起動した。
海上。
停止していた巨大戦艦が。
ゆっくりと。
前進を始める。
タジから通信。
『おい!ハルシオンが動いたぞ!』
「こっちでも分かってる!」
『進行方向がおかしい!』
惣一が反応する。
「どこへ向かっている?」
数秒。
タジが。
答えた。
『――日本だ』
ベルトの顔から。
血の気が引く。
ハルシオン。
巨大な兵装を搭載した。
能力型超弩級戦艦。
その全システムが、フランの意思を離れ自律している。
そして。
その巨大戦艦が、日本列島へ向けて航行を開始した。
惣一は変形を続ける艦内を睨みながら、静かに告げた。
「時間がなくなったな」
マランが隣へ並ぶ。
「ああ」
「中枢まで行くぞ」
「道がない?」
ソウヤが言うと。
惣一は。
目の前の壁へ手を当てた。
「ならば。」
神足通の力が、静かに広がる。
「フランの元へ、我々を通してもらう。」
戦艦ハルシオン内部。
フラン救出作戦。
その本当の戦いが。
今、始まろうとしていた。
――第167話 完




