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Psycer Brain ─ 神に抗え。その力で運命を変えろ。─  作者: n217 (嘯江 新)


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158/163

第158話「答え」

「もう、やめよう」


 ネネの小さな声が、荒れ果てた戦場に落ちた。

 決して大きな声ではなかった。


 怒鳴ったわけでも、泣き叫んだわけでもない。

 それなのに、その一言は能力同士がぶつかり合う轟音よりも鮮明に、そこにいる全員の耳へ届いた。

 能研ハウス周辺は、もはや元の街並みを残していない。

 砕けた道路。倒壊した建物。抉られた地面。

 そしてマランのexcidium(壊滅)によって、存在そのものを削り取られたかのような空白。

 その中心で。

 ペインは拳を構えたまま、動きを止めていた。

「…………」

 全身は傷だらけだった。

 イレイダの斬皇破断――カイザーインパルスを受けた両腕からは血が滴り、呼吸も荒い。

 それでも、能力向上によって変化した――

 bloodbath Slaughter――殺戮真化。

 その力は、まだ消えていない。

 殺戮者としての力だけなら、まだ戦える。

 だが身体は正直だった。

 グゥゥゥゥ……。

「……」

 静寂の中。

 場違いなほど大きく、ペインの腹が鳴った。

 ソウヤが思わず眉をひそめる。

「……やっぱ腹減ってんじゃねぇか」

「うるせぇ」

「いや、さっきからすげぇ音してるぞ」

「黙れって」

 ペインのこめかみに青筋が浮かぶ。

 そのやり取りにイレイダは呆れたように息を吐いたが、刀を下ろしはしなかった。

「緊張感ぶっ壊すんじゃねぇ、お前ら」

「俺のせい!?」

「半分くらいはお前だ」

「なんでだよ!」

 ほんの一瞬だけ。

 戦場に奇妙な空気が流れた。

 だが――。

「ペイン」

 ネネがもう一度、その名を呼んだ。

 空気が戻る。

 ペインの視線が、ゆっくり少女へ向けられた。

 ネネのすぐ傍には、倒れたグランがいる。

 結衣のHealer(回復)によって一命こそ取り留めているものの、未だ意識は戻っていない。

 あれほど絶対的だった男。

 

マスタークラウンの統帥。


 そのグランが今は、一人の負傷者として地面に横たわっている。

「グランは負けた」

 ネネは言った。

「でも、生きてる」

 ペインは何も答えない。

「アランダも、ラルゴも……もう戦ってない」

 アランダは沈黙したまま人形たちを停止させている。

 ラルゴも巨大な両腕を下ろし、ただ成り行きを見守っていた。

 そして――。

 ネネの視線がマランへ向かう。

 マランもまた、動かない。

 グランの強制執行から解放された今も、能研にもマスタークラウンにも加勢せず、戦場の中央からすべてを見ている。

「だから……」

 ネネはペインを見る。

「もう誰も死ななくていいよ」

「…………」

「帰ろう」

 その言葉に。

 ペインの眉が、僅かに動いた。

「帰る?」

「うん」

「どこに?」

 ネネが言葉を失った。

 ペインは笑った。

 けれど。

 いつもの笑い方とは違った。

「俺たちに帰る場所なんてあったっけ?」

「……」

「グランがいて」

 ペインは倒れている統帥を見る。

「マランがいて」

 次にアランダ。

「そこの色っぽい姉ちゃんがいて」

「誰が色っぽい姉ちゃんよ」

「お前以外いねぇだろ」

「殺すわよ」

「ほら、そういうとこ」

「……やっぱり戦闘続行していいかしら」

「お姉さん!」

 ネネが慌てる。

 アランダは小さく息を吐いた。

「冗談よ」

「目が本気だったけど」

「黙りなさい」

 ペインが鼻で笑う。

 そしてラルゴを見る。

「デカブツもいて」

「……デカブツ。」

 ラルゴが自分を指差す。

「お前以外いないだろ」

「……そうか。」

「納得するんだ……」

 ソウヤが思わず呟いた。

 だが。

 ペインの笑みは、すぐに消えた。

「そういう奴らがいて」

 最後に。

 ネネを見る。

「それがマスタークラウンだった」

 ネネの瞳が揺れる。

「グランが倒れたから解散?」

「もう戦わない?」

「今日から善人になります?」

「……そんな簡単な話じゃねぇだろ」

 拳が強く握られる。

「俺は人を殺してきた」

 空気が変わった。

 ソウヤの表情からも、僅かに緩んでいたものが消える。

「殺すのが楽しかった」

 ペインは淡々と言った。

「悪いことだって分かっててもな」

「それでもやった」

「俺はそういう人間だ」

 ネネが俯く。

「だから――」

「それがどうした」

 声を挟んだのは。

 イレイダだった。

「……あ?」

 ペインが見る。

 イレイダは刀を肩へ乗せる。

「お前がクソ野郎なのは、とっくに知ってる」

「おい」

「殺人狂で、頭イカれてて、口も悪くて、性格も終わってる」

「喧嘩売ってんの?」

「事実だろ」

「否定しづれぇな」

「だが」

 イレイダの目が鋭くなる。

「それと今ここで戦うかどうかは別の話だ」

 ペインの表情が僅かに変わった。

「過去に何をしたから、これからも同じことを続けなきゃならねぇなんて決まりはない」

「……」

「戦いたいなら来い」

 刀を構える。

「今度こそ叩き潰す」

 そして。

 少しだけ刀を下げた。

「だが、戦わないのなら追いわしない。」

「イレイダ……」

 結衣が彼女を見る。

「勘違いすんなよ」

 イレイダはペインから視線を外さない。

「許したわけではない」

「やったことが消えるとも思っていない」

「ただ――」

 一拍。

「今この瞬間に殺す理由もないってだけだ」

 ペインは黙っていた。

     ◇

「……甘いな」

 少し離れた場所。

 マランが呟いた。

 その隣にいたネリクマが横目で見る。

「そう?」

「ああ」

「でも、嫌いじゃないでしょ」

「……何がだ」

「そういうの」

 マランは答えない。

「昔からそう」

「何が」

「マランって、なんだかんだ言って――」

「ネリクマ」

「はいはい」

 ネリクマは楽しそうに口を閉じた。

 マランは小さく息を吐き、再びペインへ視線を戻す。

 その横顔には。

 ほんの僅かに、以前とは違うものがあった。

     ◇

「どうする」

 ソウヤが尋ねた。

 ペインはソウヤを見る。

「俺?」

「お前以外に誰がいるんだよ」

「……」

 再び沈黙。

 ペインは自分の拳を見る。

 bloodbath Slaughter――殺戮真化。

 まだ力は残っている。

 ソウヤも傷ついている。

 イレイダも消耗している。

 ここから戦えば。

 勝てる可能性はある。

 殺せる可能性だってある。

 いつもなら。

 それだけで十分だった。

「……チッ」

 舌打ち。

 拳から力が抜けた。

「今日はやめた」

「!」

 ネネが顔を上げる。

 ペインはその場に――

 ドサッ。

 大の字になって倒れた。

「腹減った」

「…………」

「もう無理」

 ソウヤが固まる。

「お前……」

「動けねぇ」

「さっきまで殺すとか言ってたじゃねぇか!」

「殺すにもカロリーいるんだよ!」

「知らねぇよ!!」

「肉」

「は?」

「肉食いてぇ」

「俺に言うな!」

「焼肉」

「知らねぇって!」

「白米も」

「注文すんな!!」

 戦場にソウヤの声が響き渡った。

 結衣が思わず吹き出す。

「ふふっ……」

「結衣!?」

「ご、ごめん……」

 柚季も呆れ顔で額を押さえる。

「なんなのよ、この終わり方……」

 燕も苦笑するしかなかった。

 張り詰め続けていた空気が。

 ほんの少しだけ。

 解けた。

 だが――。

「ペイン」

 ネネが呼ぶ。

「ん?」

「ありがとう」

 ペインは空を見上げたまま黙った。

「……。」

 やがて。

「別に」

 それだけ答えた。

     ◇

「これで三人」

 夢幻が静かに呟いた。

 惣一が横を見る。

「アランダ、ラルゴ、そしてペイン」

「戦闘を継続する意思はないようです」

「ああ」

「では……」

 夢幻の視線が、一人の男へ向く。

 マラン。

「残るは彼ですね」

 惣一も見る。

 マランが気付く。

「……何だ」

「お前はどうする」

 惣一が尋ねた。

 戦場に再び静けさが戻った。

 マランは答えない。

 ネリクマも。

 ネネも。

 ペインも。

 アランダも。

 ラルゴも。

 マスタークラウンの全員が、マランを見る。

 グランに次ぐ立場。

 そして。

 その力だけを見れば、誰より危険とも言える存在。

 excidium(壊滅)。

 宇宙すら破壊可能と噂される、底の見えない能力。

 マランが敵意を向ければ。

 終わりかけた戦いは――

 一瞬で再開する。

「俺は……」

 マランが口を開いた。

「マスタークラウンを抜ける。」

 ネネが目を見開く。

 アランダも。

 ペインも。

 ラルゴも。

 誰も言葉を挟まない。

「グランのやり方には、もう従えない」

 倒れているグランを見る。

「だが。」

 次に。

 ソウヤたちを見る。

「能研に入るつもりもない。」

 ソウヤは何も言わなかった。

「俺は能力者を憎んでいた」

 マランの声は静かだった。

「今も。」

「全部を捨てられたわけじゃない。」

 両親を殺した能力者。

 あの日から始まった憎悪。

 それは。

 たった一度の戦いで消えるほど、軽いものではない。

「だから。」

 マランは踵を返す。

「一人で考える。」

「自分が何を憎んでいたのか。」

「何を壊したかったのか。」

「これから何をするのか。」

 一歩。

 戦場から離れていく。

「それを。」

「今度は誰かに決めてもらうんじゃなく――」

 足を止める。

「俺自身が決める。」

     ◇

「マラン!」

 ネネが叫んだ。

 マランが振り返る。

「また……会える?」

「……。」

 マランは少しだけ考えた。

「ああ。」

 ネネの表情が明るくなる。

「約束?」

「約束はしない」

「えぇ……」

「だが。」

 マランはネネを見る。

「お前が困っていたら。」

 ほんの僅かに笑う。

「その時くらいは顔を出す。」

「……うん!」

 ネリクマが横から口を挟む。

「私は?」

「知らん」

「扱い違くない?」

「お前は勝手に来るだろ」

「よく分かってるじゃん」

 その会話を聞いていたソウヤは。

 ふと。

 マランが本当にただの敵だったのか。

 分からなくなった。

 いや。

 敵だったことは間違いない。

 これまでやってきたことも消えない。

 それでも。

 人間は。

 たった一つの言葉だけでは括れないのかもしれない。

     ◇

 そして――。

 戦場から遥か遠方。

 高層建築物の屋上。

 デウスとアメスは。

 その一部始終を見届けていた。

「マランが離脱しましたね」

 アメスが静かに告げる。

「ああ」

 デウスは短く答えた。

「予想通りですか?」

「いや」

 即答だった。

 アメスが僅かに目を細める。

「意外ですね」

「人間の選択を完全に予測することなど、面白くない」

「あなたがそれを言いますか」

 アメスが微笑む。

 デウスは答えない。

 ただ。

 遠ざかっていくマランの背中を見ていた。

「だが。」

「彼はまだ終わっていない。」

「マランですか?」

「ああ。」

 デウスの瞳が細くなる。

「excidium(壊滅)。」

「あの力は。」

「いずれ――」

 一瞬。

 風が吹いた。

「我々の前にも立つ。」

 アメスはその言葉に何も返さなかった。

 覇者の集い。

 二人はまだ動かない。

 まだ。

 傍観者であり続ける。

     ◇

 戦場では。

 結衣によるグランの治療が続いていた。

 ペインは空腹で倒れ。

 アランダはネネの傍へ戻り。

 ラルゴは座り込み。

 マランは去っていく。

 長かった戦いが。

 ようやく終わろうとしていた。

「……終わったのか」

 ソウヤが呟く。

 その隣にイレイダが立つ。

「どうだろうな」

「え?」

「グランは生きている。」

 刀を鞘へ納める。

「マスタークラウンの連中も生きてる。」

「マランもどこかへ行った。」

「……。」

「終わったっていうより。」

 イレイダは荒れ果てた街を見渡した。

「一旦、止まっただけなのではないだろうか?」

「……そっか」

 ソウヤは空を見る。

 長かった。

 本当に。

 長かった。

 だが。

 何かがおかしい。

「……?」

 胸の奥に。

 妙な違和感。

『ソウヤ。』

 レイの声。

「何だ?」

『感じないか。』

「何を?」

『……分からない。』

 レイにも分からない。

 ただ。

 何かが。

 こちらを見ているような――。

「名取さん。」

 ソウヤが振り返る。

 だが。

 惣一も既に気付いていた。

 遠方ではない。

 デウスとアメスでもない。

 もっと――

 上。

 惣一が空を見上げる。

「……これは。」

 同時に。

 去ろうとしていたマランも足を止めた。

「……?」

 空を見る。

 デウスも。

 遠方の建物の上で、初めて視線を天へ向けた。

 アメスが尋ねる。

「どうしました?」

「静かに。」

 デウスの声が変わった。

 その瞬間――。

 ブツン。

 タジのモニターが一斉に暗転した。

「は?」

 通信機。

 携帯端末。

 監視システム。

 すべて。

 一瞬だけ。

 停止する。

「なんだこれ!?」

 そして。

 空。

 遥か上空。

 雲の向こう。

 誰にも見えない場所から。

 地上へ向けて――

 微かな光が降り注いだ。

 ソウヤが目を細める。

「……光?」

 惣一は答えなかった。

 マランも。

 デウスも。

 ただ。

 その光を見ていた。

 能力者たちはまだ知らない。

 自分たちの力が。

 どこから始まったのか。

 遥か大昔。

 人類史に記録すら残されていない時代。

 地球を襲った――

 史上最大規模の太陽フレア。

 その日。

 この星に降り注いだものが。

 長い長い時を経て。

 能力者という存在へ繋がっていったことを。

 そして今。

 すべての始まりである太陽が――

 再び。

 静かに、地球を照らしていた。


 マスタークラウンとの戦いは、一つの区切りを迎えた。

 

だが。

 

能力者たちの物語は。


 まだ――

 始まりの真実にすら辿り着いていない。


――第158話 完

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