第155話「意志」
能研ハウス周辺――
マランの指先に集まる力が、急激に膨れ上がっていく。
excidium――壊滅。
先ほどまでとは違う。
地面が壊れているわけではない。
空気が震えているわけでもない。
それなのに――
そこにいる全員の本能が告げていた。
逃げろ。
ソウヤの身体が勝手に後退する。
「なんだよ……これ……。」
イレイダも表情を強張らせた。
「まずい。」
「今までのとは……能力の気配が全然違う。」
刹那が帝凰剣を握る雛儀の前へ出る。
夢幻も能研メンバーを庇うように位置を変えた。
そして。
惣一。
「マラン!」
珍しく声を荒らげる。
「その力を止めろ!」
マランの腕は震え続けている。
「……分かってる。」
「だったら!」
「止まらないんだ……!」
マランの身体には二つの意思が存在していた。
一つ。
グランのCompulsory executor(強制執行)。
――服従しろ。
――命令に従え。
そしてもう一つ。
マラン自身の意思。
――従わない。
――俺は俺だ。
二つが真正面から衝突している。
その結果。
excidium(壊滅)の制御そのものが乱れ始めていた。
屋上
「マラン!!」
ネネが叫ぶ。
右目を覆っていた眼帯へ手を掛ける。
ネリクマが気付く。
「ネネ?」
「私が止める。」
「待って。」
「私なら!」
眼帯を外す。
右目。
Mental operatore(精神操作)。
ネリクマの表情が変わった。
「ネネ。」
「今のマランに入ったら――」
「分かってる!」
ネネが叫ぶ。
「でも!」
戦場を見る。
苦しむマラン。
「マランが。」
「自分の力で誰かを消しちゃったら……。」
唇を噛む。
「また。」
「自分を嫌いになっちゃう。」
ネリクマは何も言えなかった。
ネネは右目を開く。
「だから。」
「止める。」
Mental operatore――精神操作。
その瞬間。
ネネの意識が――
マランの精神世界へ飛び込んだ。
暗闇。
何もない。
「……。」
ネネが立っている。
「マラン?」
返事はない。
歩く。
「マラン!」
さらに奥。
そこで。
見つけた。
一人の男。
マラン。
だが――
その全身には無数の黒い鎖が巻き付いている。
腕。
脚。
首。
胸。
そして鎖の先には――
巨大な文字。
服従。
ネネの顔が歪む。
「……ひどい。」
マランがゆっくり顔を上げる。
「ネネ……?」
「来たよ。」
「何をしている。」
「助けに。」
「ダメだ。能力を解け。」
即答だった。
ネネが目を見開く。
「でも。」
「ここから出ろ!」
マランが叫ぶ。
暗闇が揺れる。
「今の俺の精神に長くいるな!」
「お前の右目がもたない!」
「でも!」
「いいから出ろ!」
現実
ネネの右目から――
血が流れ始める。
ネリクマが気付く。
「ネネ!」
「まだ……!」
ネネは能力を解除しない。
精神世界
ネネがマランへ走る。
鎖を掴む。
「だったら。」
「早く終わらせる!」
引く。
しかし。
びくともしない。
「くっ……!」
マランが首を横に振る。
「グランの宣言だ。」
「精神操作だけじゃ壊せない。」
「だったら。」
ネネがマランを見る。
「マランが壊して。」
「……何?」
「これはマランの中なんでしょ?」
「……。」
「だったら。」
小さな手で鎖を握る。
「私が一緒に引っ張るから。」
「マランも。」
「自分で壊して。」
沈黙。
マランは鎖を見る。
能力者。
その言葉を憎んだ。
両親を奪った存在。
だから。
能力者を憎んだ。
社会を憎んだ。
そして――
グランの言葉に縋った。
『能力者を制圧する。』
それなら。
自分の復讐にも意味があると思った。
だが。
いつからだった。
違和感を覚え始めたのは。
能研を見て。
ネリクマと再び向き合って。
能力を失っても仲間を守ろうとする者たちを見て。
そして――
グラン自身が能力に呑まれていく姿を見た。
「……。」
マランが拳を握る。
「俺は。」
ネネが見る。
「間違っていたのかもしれない。」
「……マラン。」
「でも。」
顔を上げる。
「だからって。」
鎖を掴む。
「今すぐあいつらの仲間になれるわけじゃない。」
ネネは頷く。
「うん。」
「俺がやったことも消えない。」
「うん。」
「それでも。」
マランの手に力が入る。
「俺が何をするかくらい。」
鎖が軋む。
「俺が決める。」
ネネが笑った。
「うん!」
二人で引く。
「俺は――」
鎖に亀裂。
「誰にも。」
さらに。
「支配されない!!」
バキィィィン!!
現実
「……!」
グランが目を見開く。
マランの右手が――
止まった。
暴走寸前だったexcidium(壊滅)。
その力が。
少しずつ。
収束していく。
「何……?」
グランが呟く。
「なぜだ。」
マランの身体から震えが消えていく。
「私の宣言は……。」
「絶対だ。」
「服従しろと宣言した。」
「なのに……!」
マランがゆっくり顔を上げる。
「勘違いするな。」
グランを見る。
「俺は。」
「お前の宣言を破ったわけじゃない。」
グランの表情が止まる。
「何?」
マランは自分の胸へ手を置く。
「身体は。」
「今もお前の命令に縛られてる。」
一歩進もうとする。
足が止まる。
強制執行は残っている。
「……。」
「だが。」
マランはグランを睨む。
「俺の考えまで。」
「お前のものにはならない。」
惣一がその言葉を聞き。
静かに目を細めた。
「そういうことか。」
ソウヤが振り返る。
「名取さん?」
「グランの宣言は成立している。」
「え?」
「マランは能力そのものを破ってはいない。」
惣一は続ける。
「ただ。」
「服従という言葉の限界を示した。」
夢幻も理解する。
「行動を縛れても。」
「人格そのものまで書き換えたわけではない。」
惣一が頷く。
「そうか。」
グランの顔が歪む。
「言葉遊びを……!」
「違う。」
マランが答える。
「お前の能力だ。」
「お前自身が決めたルールだ。」
「……!」
「宣言したことだけが実行される。」
「それ以上でも。」
「それ以下でもない。」
その言葉。
以前――
惣一も同じ弱点を見抜いていた。
グランの瞳が揺れる。
「貴様ら……。」
頭を押さえる。
「私の能力を……。」
「私の……。」
再び。
声。
『殺せ。』
『従わせろ。』
『執行しろ。』
「黙れ……。」
その瞬間。
ネネの能力が解除された。
「はっ……!」
精神世界から戻る。
身体が傾く。
「ネネ!」
ネリクマが受け止める。
右目から血。
激しい痛み。
「痛い……。」
「無茶しすぎ。」
ネリクマが眼帯を戻す。
ネネは苦しそうに笑う。
「でも。」
戦場を見る。
「止まった。」
マランのexcidium(壊滅)は完全に収まっていた。
「ネネ。」
マランが屋上を見る。
ネネも見返す。
「ありがとう。」
ネネが小さく笑った。
「うん。」
それだけだった。
しかし。
次の瞬間。
ドゴォォォン!!
「ぐっ!!」
マランが吹き飛んだ。
「マラン!」
グラン。
拳を振り抜いている。
「私を...私を!」
「舐めるなぁぁぁ!!」
完全に冷静さを失っていた。
マランが地面を転がる。
グランは追う。
「私が!」
拳。
マランが防ぐ。
「作った!」
蹴り。
「ぐっ!」
「私の組織だ!!」
さらに拳。
マランの頬へ直撃。
ドゴッ!!
「お前たちは!」
「私に従えばいい!!」
ペインが動きを止めた。
「……。」
アランダも。
ラルゴも。
誰も。
グランを援護しない。
イレイダがそれに気付く。
「おい。」
ペインが横目で見る。
「何。」
「行かなくていいのか。」
「お前たちの統帥なのだろう?」
ペインはしばらく黙った。
そして。
「……今のあれは。」
グランを見る。
「俺の知ってる統帥なのか。分からない。」
イレイダの表情が変わる。
アランダも小さく呟く。
「グラン……。」
マランはグランの拳を受け止める。
「……。」
「何だ!」
グランが叫ぶ。
「殴り返せ!」
「お前は私に逆らった!」
「なら!」
「最後まで逆らってみろ!!」
マランは。
拳を握らなかった。
「……もういい。」
「何?」
「お前は。」
グランを見る。
そこにあるのは怒りではない。
「もう戦える状態じゃない。」
グランの表情が歪む。
「私を憐れむな!!」
拳を振り上げる。
その瞬間――
ガシッ。
誰かが。
グランの腕を掴んだ。
「……!」
グランが振り返る。
名取惣一。
「そこまでだ。」
グランの瞳が揺れる。
「名取……。」
「マランとの話は終わったはずだ。」
惣一が腕を離す。
そして。
グランの前へ立つ。
「お前の相手は。」
静かに構える。
「私だ。」
グランは震えていた。
肉体。
精神。
強制執行の反動。
すべてが限界へ近づいている。
それでも。
笑った。
「そう……だったな。」
惣一を睨む。
「名取惣一。」
「お前を殺して。」
「能研を壊して。」
「能力者を……。」
言葉が一瞬止まる。
「能力者を……。」
グラン自身が。
何を言おうとしていたのか。
分からなくなる。
「……何だった。」
ソウヤの表情が変わる。
「……。」
グランが頭を押さえる。
「私は。」
「何のために……。」
マランが静かに目を閉じた。
自己知性の破壊。
Compulsory executorの反動が――
ついに。
グランという人間そのものを侵食し始めていた。
遠方の建物
デウスとアメス。
アメスが呟く。
「崩れ始めましたね。」
「ああ。」
「介入しますか?」
デウスは即答した。
「しない。」
戦場を見下ろす。
「我々は傍観者だ。」
「彼ら自身が。」
「この結末を選ぶ。」
アメスは静かに頷いた。
二人は動かない。
戦場
惣一がグランを見据える。
マランはその後方。
ソウヤたちも。
ペイン。
ラルゴ。
アランダ。
ネネ。
ネリクマ。
全員が見ていた。
グランがゆっくり顔を上げる。
赤い瞳。
その奥に。
かろうじて理性が残っている。
「……名取。」
「何だ。」
「私は。」
長い沈黙。
「間違っているのか?」
惣一はすぐには答えなかった。
やがて。
静かに。
「お前が何を願っていたのか。」
「私はすべてを知らない。」
グランが見る。
「だが。」
惣一の目が鋭くなる。
「人を支配し。」
「命を奪い。」
「仲間すら意思のない駒として扱う。」
一歩。
「そのやり方を。」
「私は正しいとは認めない。」
グランは俯いた。
「……そうか。」
一瞬。
本当に一瞬だけ。
かつてのグランの顔へ戻った。
そして。
「なら。」
右手を上げる。
マランが目を見開く。
「グラン。」
惣一も構える。
「まだ使うのか。」
グランは笑った。
「最後だ。」
血に濡れた顔で。
それでも統帥として。
「名取惣一。」
Compulsory executor――強制執行。
「俺の。」
「最後の宣言を――」
赤い瞳が輝く。
「受けてみろ!」
惣一の周囲で。
iddhi-vidha-ñāṇa(神足通)が静かに発動する。
マランも二人を見据える。
そして――
遠方では。
デウスが僅かに目を細めた。
マスタークラウン統帥。
グラン。
その人生を賭けた――
最後の強制執行が始まろうとしていた。
――第155話 完




