第3話 田舎に住む魔女体験!力を隠してスローライフ
深夜2時。
看護師の一恵は、重い身体をソファに投げ出し、何気なくテレビをつけていた。
画面の中では、のどかな田舎町で、可愛い女の子が魔法を使ってスローライフを満喫するアニメが流れている。
「はぁ……。私も仕事から離れて、あんな風にのんびりしたいなぁ……」
毎日、ナースコールに追われ、精神的にも肉体的にも限界だった。
画面が切り替わり、見慣れない旅行会社のCMが流れ始める。
『日々の仕事に疲れ果てたあなたに、極上の癒しを――』
映し出されたのは、美しい木漏れ日が差し込む異世界の豊かな田舎。
そこで村人たちに慕われながら、穏やかに微笑む人物の映像。
そして、どこからともなく、にこやかな笑顔を浮かべた案内人の女性が現れた。
「アザール観光は、異世界での極上のスローライフプランをご用意しております。今すぐお電話を」
画面の下部に、怪しげな電話番号が表示される。
一恵はまるで何かに誘われるように、電話をかけていた。
すると1コールで明るい女性の声が聞こえてきた。
『――お電話ありがとうございます、一恵様! 今回のプランはこちらです!』
【ツアー名】田舎に住む魔女体験!力を隠してスローライフ
【お客様】一恵様(25歳)
【付与能力】憑依(魔女シエル)
【ご要望】仕事を忘れて、アニメで見た魔女みたいに田舎でのんびり過ごしたい。
【旅行日程】
1〜4日目:魔女になって田舎をのんびりお過ごし下さい
5日目:アザールから現世へ、現世解散
「それでは、良い旅を!」
【1日目】
一恵がパチリと目を開けると、そこは木造の古びた家屋の中だった。
壁の棚には見たこともない植物や怪しげな鉱石が並び、机の上には薬をすり潰す薬研、部屋の中央には鉄の大鍋が鎮座している。
「すごい……本当に、アニメに出てくる魔女が住む家って感じね……!」
一恵が興味深そうに周囲を見回していると、背後から「一恵様」と声をかけられた。
振り返ると、ガイド衣装を身に纏った女性が立っていた。
「この度はアザール観光をご利用いただきありがとうございます。ガイドのミーエルです。今回のプランのご説明いたしますね」
ミーエルは丁寧に一礼すると、案内旗を片手に説明を始めた。
「今回、村の外れに住む魔女、シエルさんの身体をお借りして、一恵様の意識を憑依させております。彼女は理由あって、普通の『薬師』として静かに過ごしていますので、滞在中はあまり魔法を使わないようにお願いします。それに……強い魔女の力を使ってしまうと、彼女の意識と強く同化してしまいますのでご注意を。それでは、のんびりとお過ごしくださいね」
ミーエルが微笑むと、その姿は目の前からパッと煙のように消え去った。
「……よーし!とにかく仕事のことは全部忘れて、のんびり過ごすぞー!」
一恵は両手を上げて思いきり背伸びをしようとした。
しかし――その瞬間、奇妙な違和感に襲われる。
まず、関節が痛くて腕が上まで上がらない。
それに、なぜか天井がやけに遠く、自分の視線が異様に低い。
(あれ……? 私の身体、どうなっちゃったの?)
慌てて部屋の隅にあった古びた鏡を覗き込む。
そこに映し出されていたのは――深く刻まれたシワ、大きく曲がった背中、そして不気味に突き出た鷲鼻を持つ、ヨボヨボの「老婆」の姿だった。
「これ、可愛い魔女じゃなくて、『ヒッヒッヒ』って言いながら怪しい鍋を混ぜてるタイプの魔女だ!!」
一恵の異世界スローライフは、思うように動かない、老いた身体との付き合い方を模索することからスタートした。
【2日目】
翌朝。
一恵がパサパサした黒パンで簡単な朝食をとっていると、玄関の扉が激しく叩かれた。
「ドンドン! ドンドン!」
(な、何事……!?)
驚く一恵の頭の中に、自然と言葉が浮かび口から出ていく。
「誰だい。こんな朝早くから、騒々しいねぇ……」
一恵の口から出たのは、しゃがれた老婆の声だった。
扉が勢いよく開かれ、血相を変えた村の若い男が飛び込んでくる。
「シエルばぁさん! 息子が昨日から酷い熱を出しちまって、うわ言を言ってるんだ! 助けてくれ!」
「ちょっと待ってな……」
一恵が考える前に、シエルの身体は自然と動き出した。
薬棚から特定の干し草を取り出し、手際よく包み紙に分けていく。
「これを煎じて飲ませな。すぐに熱が下がるよ。……とてつもなく苦いがね、ヒッヒッヒ」
(やっぱり『ヒッヒッヒ』って笑うんだ……!)
心の中で一恵はツッコミを入れた。
その後も、シエルの元には次々と村人が訪れた。
「斧で腕をザックリやっちまった!」と駆け込んできた木こり。
「腰痛のいつもの薬をちょうだい」とやってきた村長の奥さん。
「シエルさん! 今日も薬草の勉強をさせてください!」と目を輝かせて入ってきた、薬師に憧れるリーラという名の小さな女の子。
「また来たのかい……。私は忙しいんだよ、さっさと帰りな」
口から出る言葉はどれもぶっきらぼうで意地悪に聞こえたが、シエルは世話焼きのとても優しい人なのだと一恵は気づき始めていた。
そして、もう1つ気付いたことがある。
(待って……怪我人の手当てに、病人の看病、薬の調合……。これ、現世の看護師の仕事と変わらずに私、めちゃくちゃ働いてない?!)
のんびりするはずの時間は、村人たちの「医療行為」で埋まっていった。
【3日目】
日中、一恵はシエルの魔法のお守りを首にかけ、籠を背負って近くの森へ薬草採取に出かけた。
だが、老人の身体はすぐに疲れる。
一恵は大きな木の根元に腰を降ろし、ふぅと息を吐いた。
周囲に漂う植物の青い匂い、葉の隙間からこぼれる暖かな木漏れ日、遠くで聞こえる鳥のさえずりと川のせせらぎ。
現世の病院の、あの消毒液の匂いやナースコールの電子音とは無縁の世界。
森の静けさは、一恵にゆっくりと流れる時間を思い出させてくれた。
ぼんやりと景色を眺めていると、木陰からミーエルがひょっこりと姿を現した。
「一恵様、いかがですか? アザール観光のスローライフは」
「まさか、こんなおばあちゃん魔女の身体になるなんて思いませんでした(笑)。でも、スローライフは満喫中です!身体が思うようにならなくて、ゆっくりしか動けないけど……。」
「ふふ、まさに文字通りのスローライフですね!」
二人は木漏れ日の中で顔を見合わせ、楽しげに笑い合った。
「明後日にはお迎えに参りますので、それまでどうぞ、ごゆっくりとお過ごしください」
ミーエルはそう言い残すと、また静かに消えていった。
森からの帰り道、一恵は我が家のすぐ近くの泥土の上に、見たこともないほど巨大な獣の足跡があるのを見つけた。
(うわっ……。やっぱりここは異世界なんだな。気を付けないと……)
老いた身体の背中に、少しだけ冷たい緊張が走った。
【4日目】
薬を貰いにきた近所の老人を相手に、お茶をすすっていると、元気よく扉が開いた。
「シエルさん、こんにちは!」
「また来たのかい、リーラ……。危ないからここへは来るなと何度も言っているだろうに」
入ってきたのは、昨日も来た薬師志望の少女・リーラだった。
口では迷惑そうにするシエルだったが、一恵には分かっていた。
シエルがこのひたむきな少女を、まるで孫のように可愛がっているということを。
一恵自身の心にも、リーラに対する愛おしさがじんわりと広がっていく。
夕方になり、リーラは小さな手を大きく振った。
「じゃあまたね、シエルさん!」
「気を付けて帰りな、寄り道はするんじゃないよ!」
リーラが村への一本道を歩いていくのを見送り、一恵が家の中で薬研の後片付けをしていた、その時だった。
「――きゃあああああーーーっ!!」
遠くから、切り裂くような少女の悲鳴が響き渡った。
(リーラ……!?)
シエルの身体は一恵の思考より早く、壁に立てかけてあった黒い杖を掴み、全速力で家を飛び出していた。
老いた身体とは思えない速度で、悲鳴の上がった森の小道へと突っ走る。
開けた街道に出た瞬間、一恵の目に最悪の光景が飛び込んできた。
そこには、立ち上がれば家ほどもある熊のような巨大な魔獣と、その鋭い爪で引き裂かれ、地面に倒れ伏しているリーラの姿があった。
魔獣が再び巨大な爪を振り上げる。
その瞬間、一恵の脳裏に「魔法の呪文」が浮かび上がった。
ミーエルの「魔法を使えば同化してしまう」という忠告が頭をよぎる。
だが、一恵は一瞬も躊躇しなかった。
頭に浮かんだ呪文を読み上げると、杖の先から轟炎が放たれた。
紅蓮の炎は一瞬にして巨大な魔獣を包み込み、悲鳴をあげる暇さえ与えず、ただの消し炭へと変えた。
「リーラ!!」
一恵は杖を放り出し、血だらけのリーラに駆け寄った。
(酷い出血……それに、血圧が下がってる。お腹の感触もおかしい、おそらく内臓が破裂してる……! このままじゃ……!!)
その時、再び頭の中に、別の呪文が浮かび上がった。
(そうだよね……。あなたも、迷わないよね、シエルさん……!)
一恵はリーラの小さな身体を抱きしめ、全力で呪文を唱えた。
眩い緑の光がリーラの身体を包み込み、傷口が塞がり、顔色が戻っていった。
「……う、うん……」
リーラがうっすらと目を覚まし、目の前の老婆を見て、泣きながらその首に抱きついた。
「シエルさん……! 怖かった、怖かったよぉ……!」
「リーラ……! よかった、本当によかった……!」
シエルは、リーラを強く、強く抱きしめた。
【5日目(現世解散日)】
翌朝、魔女の家の前に、案内旗を持ったミーエルが静かに立っていた。
「そろそろ現世へお戻りになるお時間です。いかがでしたか、一恵様?」
そう聞かれて、彼女は穏やかに目を細めて笑った。
「ヒッヒッヒ……。のんびり魔女生活、たっぷり楽しませてもらったよ。いい旅だったねぇ……」
「それはよかったです! それでは一恵様、またのご利用を心よりお待ちしております」
ミーエルが案内旗を一振りする。
シエルの身体から一恵の意識がゆっくりと分離し、眩い光に包まれながら、現世へと戻っていった。
ガタッと音がして、一恵は現世の自室のソファで目を覚ました。
「……はっ!」
時計を見ると、深夜3時。テレビの中では、すでにスローライフのアニメは終わり、砂嵐が流れている。
一恵はソファから立ち上がろうとした。しかし――。
「痛っ……」
腰と膝に、強烈な重みと痛みが走り、ひどい猫背になっていた。
洗面所の鏡に駆け込んで顔を見ると、心なしか少し老けたような気がする。
翌日、職場である病院に出勤した一恵は、いつも通り患者に向けて、声をかけようとした。
「――ヒッヒッヒ。点滴の時間だよ」
一恵は慌てて両手で口を塞いだが、「シエルの口調と意識」は、しばらく抜けることはなかった。
静まり返った魔女の家の前。
ミーエルは手帳を開くと、一恵に『マル印』を一つ書き込んだ。
「いかがだったでしょうか、アザール観光のスローライフプラン。
当社では、他にも『圧倒的な力で無双する剣聖プラン』や『世界の真理に至る大賢者転生プラン』なども豊富にご用意しておりますよ。
……今回は、比較的『軽度』で済んだようで本当に何よりです。
それでは皆様、またのご利用を心よりお待ちしております!」




