第13話 夫婦でゆったり温泉を満喫!スライム温泉
「いつもアザール観光をご利用いただきありがとうございます。本日のお客様は結婚20年の記念に、ご旅行を計画されているご夫婦です。そんな素敵なご夫婦にこちらのプランをご用意しました」
【ツアー名】夫婦でゆったり温泉を満喫!スライム温泉
【お客様】御影 幹久様 45歳/ 愛子様 43歳
【付与能力】美容効果・大
【ご要望】 結婚20年の記念に異世界の温泉を満喫したい。
【旅行日程】
1日目:ブルージェリーの宿(連泊)
2日目:温泉街散策
3日目:スライム温泉の源泉へ(旦那様希望)
4日目:アザールから現世へ、現世解散
「それでは、良い旅を!」
【1日目】
「素敵な温泉街ね! 最初は異世界って聞いて、身構えたけど。あなたにしてはいいチョイスね」
湯煙が情緒深く立ち上る石畳の街並みを見渡し、愛子が満足げに声を弾ませた。
「旅行会社の人に色々相談して選んだからな。一緒に楽しもう」
幹久は穏やかな微笑みを浮かべて妻に答えた。
(――フン、浮かれられるのは今だけだからな……)
引きつりそうな頬を、幹久は必死で抑えていた。
俺は知っている。
愛子が別の男と不倫していることを。
俺たち夫婦は結婚してから子供ができず、30代の時に不妊の原因が俺だとわかってからは冷めきっていた。
愛子は浪費が激しくなり、俺のことを雑に扱うようになった。
何かと理由をつけて朝帰りをするようになったある日、愛子が街中で若い男の車に乗るのを目撃した。
俺はその時から、愛子への復讐を計画した。
旅行前にアザール観光から注意事項を詳しく聞いて、ここで何が危険かはすべて把握している。
この異世界で愛子を旅行中の事故に見せかけて殺し、自分は元の世界に戻る。
最後の旅をせいぜい楽しむんだな……。
「御影様。こちらが滞在される『ブルージェリーの宿』です。スライムの成分に似た湯で肌をスベスベにしてくれますよ」
案内された宿の前で、ミーエルがにこやかに微笑む。
「素敵じゃない! さっそく入って来るわ!」
愛子は荷物を放り出すと、すぐに温泉へと向かった。
「じゃあミーエルさん。明後日の源泉へのガイド、よろしく頼むよ」
幹久はミーエルに声をかけた。
「少し危険な場所ですが、お任せください。それでは失礼します」
ミーエルが一礼して去るのを見送りながら、幹久は口元を歪めた。
(まぁ、明後日にはもう愛子はいないかもしれないがな……)
しばらくして、愛子が温泉から出て部屋に戻ってきた。
温泉の効能と、付与された能力のお陰だろう。
その肌はツヤツヤと輝いていた。
【2日目】
2日目は終日、温泉街を夫婦で散策した。
「珍しいものがいっぱいね」
キョロキョロと露店を見回す愛子に、幹久はさっそく最初の計画を実行に移した。
「そうだな。ガイドに聞いたが、この温泉卵が名物らしいぞ」
幹久はあらかじめ、ミーエルから「現地では普通だが、現世の人間が食べると激しい毒になるもの」を聞き出していた。
この魔獣の卵もその一つだ。
「へえ……。でもちょっと、模様がグロテスクね……」
(さぁ、食べろ!)
幹久は内心で身を乗り出したが、愛子は顔をしかめて手を振った。
「やめとくわ、あなた食べてちょうだい。それより、あの果物おいしそうね!」
(ちっ……!)
その後もいくつか毒になりそうな食べ物を勧めてみたが、どれも見た目がよくないと愛子は口にしなかった。
(食べ物以外にも、まだチャンスはある……!)
次に幹久が目をつけたのは、温泉街の片隅にある公共浴場だった。
皮膚が岩のように頑丈な種族用の温泉で、非常に強い酸性らしい。
人間が入れば肌が焼けただれてショック死すると、事前にミーエルから聞いている。
「愛子、この温泉は古い肌を一網打尽にして、ツルツルな肌になるらしいぞ」
「あら、いいわね。ちょっと入って来るわ」
愛子は疑いもせず脱衣所へと消えていった。
(クックックッ。愛子の悲鳴が聞こえるのが楽しみだ……)
幹久は浴場の外で、今か今かと待ち構えた。
ところが、何分経っても悲鳴は聞こえてこず、やがてガラリと扉を開けて愛子が普通に出てきた。
驚くべきことに、その肌はまるで20代のようなハリと艶を取り戻していた。
「少しピリピリしたけど、すごい効果! 見て、この肌!」
「そっ、そうだな……」
幹久は引きつった笑みを浮かべるしかなかった。
何でだ。
殺そうとしてるのに、なんでどんどん綺麗になっていくんだ……。
その夜、宿の部屋で夕食をとる。
(今日は失敗したが、明日こそは確実に……)
「ちょっと、あなた聞いてるの!?」
鋭い声にハッと我に返ると、愛子が不機嫌そうに俺を睨みつけていた。
「ん? すまん、聞いてなかった」
「これから、どうするつもりか聞いてるのよ」
「あぁ、明日はガイドと源泉に行く予定だ」
「……はぁ。そう……」
愛子は深くため息をつくと、それ以上は何も言わなかった。
その後、寝るまで二人の間に会話はなかった。
【3日目】
「本日は、スライム温泉の源泉にご案内いたします。道中、野生のスライムがいますので気を付けてくださいね」
ミーエルの案内で、薄暗い山道を歩いていく。
アザールの野生スライムは、食べ物と判断したものを何でも強力な体液で溶かしてしまう凶暴な魔物だ。
「ミーエルさんだったかしら、スライムが出てきても危なくないの?」
歩きながら愛子が不安そうに尋ねる。
(ちっ! 余計なことを聞くな!)
幹久が内心で舌打ちをすると、ミーエルは振り返って微笑んだ。
「通常だと大変危険ですが、今回は安全を確保してますので大丈夫ですよ」
そう話している矢先、前方の草むらから、青くてプルプルした小さなスライムが現れた。
「あら、意外と可愛いわね」
愛子が興味本位で近づいた瞬間、スライムは一気に身体を広げ、愛子の全身に覆いかぶさった。
(よし! 溶かせ!)
幹久が心の中で快哉を叫んだ、その時。
「あら〜、ひんやりして気持ちいいわ〜」
(……溶けない!?)
幹久は我が目を疑った。スライムに包まれた愛子は、苦しむどころか気持ちよさそうに声を漏らしている。
「今回、奥様に付与した『美容効果・大』のおかげで、スライムの体液も極上の美容ローションへと変換されているはずですよ」
ミーエルが何でもないことのように解説する。
「素敵ね!」
怪しまれないようにと適当に頼んだ能力が、まさかここまで強力だとは誤算だった。
スライムから解き放たれた妻は、本当に出会った頃のようにどんどん綺麗になっていく。
やがて一行は、巨大な湯柱が吹き上がり、あちこちでボコボコと不気味に温泉が湧き出す最奥の源泉へと到着した。
「こちらの源泉は、本来はスライムすら溶かすほど高熱で、スライムから溶け出した成分が非常に美容にいいんですよ」
「すごい景色ねー……」
周囲に立ち込める圧倒的な熱気と大自然の風景に、愛子が目を奪われている。
ミーエルが安全確認のために少し離れた。
(――今しかない!)
幹久は般若のような顔になり、無防備な愛子の背中に向けて、力いっぱい両手を突き出した。
「わぁ! 足元が滑った!!」
バシャーン!
愛子の体はバランスを崩し、高熱の源泉へと真っ逆さまに落ちていく。
「キャーー!!!」
(やった! ついにやったぞ!)
幹久は心の中でガッツポーズを決めた。さすがにこの高熱の湯に落ちれば、ひとたびもたまらないはずだ。
しかし。
「あら? そんなに熱くないわね。それに身体の芯からポカポカと気持ちいいわー」
湯煙の中から、何食わぬ顔で愛子が顔を出した。
「能力のお陰で、奥様にとっては高温風呂と同じ感覚になっていますね。源泉の成分で、身体の隅々の老廃物も一気に染み出しているようです」
ミーエルが崖の上から感心したように声をかける。
「あなた、気を付けてよ! 死ぬとこだったじゃない!」
源泉から上がってきた愛子は、幹久を軽く睨みつけた。
その肌は、まるで10代の少女のように若返り、輝きを放っていた。
「……すまん」
幹久は力なく項垂れるしかなかった。
その夜、宿の布団の中で、幹久は天井を見つめていた。
(はぁ……失敗だ……)
明日には現世に戻る。
もう、事故に見せかけて殺すチャンスはない。
すべてが裏目に出た。
(まぁ……愛子がこれだけ綺麗になったんだ。それで良しとするか……)
今回の旅行中、みるみる若々しく、美しくなっていく愛子の姿を見て、幹久の心には微かに昔の情が呼び起こされ、揺らいでいた。
(……久々に、誘ってみるか……)
「なぁ、愛子。久々にどうだ――?」
幹久が意を決し、ベッドの愛子へ向けてそっと手を伸ばした。
だが次の瞬間、愛子はその手をパシィンと冷たく払い除けた。
「……バカ言わないで。あなたって、本当にどこまでも自分勝手ね」
「え……?」
愛子は冷え切った目で、幹久を見据えた。
「子供ができないことがわかって、私が当時どんな気持ちだったか、あなた少しでも分かろうとしてくれた? あなたに、これから夫婦でどう過ごしていくか話しても、いつもまともに考えてくれないし……。今回の旅行中だってそうよ。私は今後どうするか話し合ういい機会だと思ったのに、あなたは話しててもずーっとうわの空で――」
愛子は冷酷に、しかし決定的な言葉を突きつけた。
「今回でよくわかったわ……現世に戻ったら、別れましょう」
その言葉を聞いた瞬間。
俺の中で、ブツンと何かが完全に切れる音がした。
そして、俺は愛子を――。
【4日目】
「御影様。そろそろ、現世への帰還のお時間です」
翌朝、宿の前でミーエルが待っていた。荷物を持って一人で出てきた幹久を見て、ミーエルは首を傾げる。
「……奥様はどうされましたか?」
「……まだ寝てたいと言ってるから、私は先に帰らせてもらえるかな」
幹久は目を合わせず呟いた。
ミーエルの笑顔が、すっと消える。
「……奥様を、どうされたのですか?」
「……」
幹久は何も答えない。
ミーエルは無言で幹久の横を通り過ぎ、二人が宿泊していた部屋へと静かに向かった。
部屋のベッドには、顔にハンカチをかけられ、布団に寝かされている愛子の姿があった。
ミーエルがそのハンカチをそっと取ると、首元には、生々しい手の跡が赤黒く残っていた。
ミーエルはゆっくりと振り返り、部屋に入ってきた幹久を見つめた。
「御影様。アザールでも、殺人は重罪です。憲兵を呼び、こちらの法律で裁かせていただきます」
ミーエルは冷静な声のまま、宿の従業員に憲兵を呼ぶよう指示を出した。
やがて、ガチガチの鎧を着た屈強な憲兵たちが部屋に乱入し、幹久の両腕を掴み上げる。
「……何でこんなことになったんだろうな」
床にへたり込んだまま、幹久は力なく呟いた。
「私には分かりかねます。――ですが、ご旅行中に思い留まる機会は、何度もあったはずですよ」
幹久は抵抗する気力もなく、黙って憲兵たちに連れ去られていった。
二度と、現世の土を踏むことは叶わない。アザールへ最悪の形で「残される」結末だった。
ミーエルはそれを見送りながら、手帳を取り出した。
顧客名簿の『御影 愛子』の名前にバツ印を書き、そして『御影 幹久』の上には、名前を消すように直線を静かに引いた。
手帳をパチンと閉じると、ミーエルは少し悲しげな表情で、スッとこちらを向いた。
「……お客様が、夫婦の旅行を楽しく過ごそうと思っていれば。別の結末があったかもしれませんね……」
一瞬だけ寂しげに微笑んだ後、彼女はいつもの笑顔で、深く一礼した。
「それでは、皆様。またのご利用を心よりお待ちしております」




