第12話 人間関係に疲れたあなたへ!広大な自然の中で農業体験
猛は、身長2メートルを超える巨漢だった。
おまけに全身が、人並み外れて毛深かった。
その容姿のせいで、昔からどこに行っても奇異の目で見られてきた。
先日も一念発起して結婚相談所に行ったが、紹介された女性には怯えられ、まともな会話すらさせてもらえなかった。
今日も、猛はラジオを流しながら、一人きりでトラックを運転していた。
(はぁ……もう、人の目を気にしないで生きていきたいわ……)
心底うんざりしながらハンドルを握っていると、カーラジオから聞き慣れた声が流れてきた。
『――人間関係に疲れたあなたへ!アザール観光では、広大な自然の中での農業体験ツアーを実施中!アザールでは誰の目も気にする必要はありません。今すぐお申込みを!電話番号は○○○の○○○!お電話お待ちしております!』
猛は何かに吸い寄せられるようにトラックを路肩に止め、電話していた。
すぐに、ラジオで聞いた明るい女性の声が響く。
『お電話ありがとうございます!本日のツアーはこちらになります!』
【ツアー名】人間関係に疲れたあなたへ!広大な自然の中で農業体験
【お客様】猛様(30歳/トラック運転手)
【付与能力】農業無双(初心者でもスムーズに農作業が可能)
【ご要望】人目を気にせず生活したい
【旅行日程】
1〜6日目:静かな農村で農業体験
7日目:アザールから現世へ、現世解散
『それでは、良い旅を!』
【1日目】
「ミーエルさんだっけ? 人目を気にしないで生活したいとは言ったけど、これって――」
猛が呆然と呟いたのも無理はなかった。
「そうです。ここはオークの村です!」
添乗員のミーエルは、胸を張って答えた。
猛の目の前には、自分と同じくらいの巨体で、全身が濃い毛で覆われ、猪のような牙を生やした『オーク』たちが畑作業をしていた。
「オークは礼節と掟を重んじるとても親切な方々なんですよ。こちらは、猛様のホームステイ先となるゲドルさんです」
「異界の民よ、歓迎する。私はゲドルだ」
前に進み出た大柄なオークが、猛に向かって大きな手を差し出した。
「あ、これはどうも……。猛です」
恐る恐るその手を握り返すと、ゲドルは猛の腕をじっと見つめ、感心したように声を上げた。
「ほう! 我々とは少し毛色が違いますが、実に見事な毛並みですな!」
猛は目を見開いた。
現世では「熊みたい」「不潔」と嫌悪され、自分でも嫌いだったこの体毛を、生まれて初めて褒められたのだ。
「あ、ありがとうございます……」
「ゲドルさんは果樹園を営んでいます。明日からはそちらの手伝いをしていただきますね。それでは私は4日目に様子を見に来ますので、農業体験をお楽しみください!」
ミーエルは綺麗な一礼を残し、煙のようにその場から消え去った。
「猛殿、さぁこちらへ! 家で夕食を用意しています。家族を紹介しましょう!」
ゲドルの家に招かれると、猛は温かい拍手で迎えられた。
妻のゲアと、娘のゲミル。二人とも立派な牙を持つオークだが、その目はとても優しかった。
出された夕食は、素朴だが美味しく、猛の心に染み渡った。
(オークって、物語の中では野蛮な怪物だと思ってたけど……。見た目やイメージだけで決めつけてたのは、世間だけじゃなくて俺もだったか……)
人の目を気にしなくていいと思うと、猛は安らかな眠りに落ちることができた。
【2日目】
翌朝。朝日が昇る前に起床し、簡単な朝食を済ませる。
作業は、ゲドルの家族たち数人と行う、リンゴに似た果実の収穫だった。
猛は収穫された果実を箱に詰め、次々と馬車へ積み込んでいく。
頭上からの強い日差しに、滝のような汗が吹き出した。
「猛殿、我らのように腰蓑になられた方が良い。ここは暑いですからな!」
「そうですね、お言葉に甘えて……」
猛が現世の服を脱ぎ捨て、用意された腰蓑一丁になると、ゲドルがまたしても目を輝かせた。
「やはり、素晴らしい毛並みだ! 黒く艶やかで気品がある! 体幹もしっかりしているし、見事ですな!」
褒められ慣れていない猛は、全身を赤くして照れるしかなかった。
午後は畑の開墾に回された。
初めて握る鍬だったが、ここで付与能力『農業無双』が発動する。
土の抵抗や鍬を振るう最適な角度が、本能で理解できた。
「とても綺麗に耕せてますね!はじめてとは思えないです」
ゲミルが驚きの声をあげる
(チート能力っていうから、魔法で一瞬で耕せるのかと思ったけど……。まぁ、体がスムーズに動くだけでも助かるな)
結局、泥臭く汗を流して働くことに変わりはなかったが、心地よい疲労感だった。
その日の夕食は、猛の立派な体躯と、丁寧な仕事ぶりの話題で持ちきりだった。
娘のゲミルからも「猛さんの働く姿、とても素敵でした」と真っ直ぐな目で褒められ、女性に免疫のない猛は素直に嬉しかった。
【3日目】
3日目も収穫作業。
『農業無双』の能力のおかげで、猛には「どの実が完全に熟しているか」がひと目で分かった。効率よく作業を進める猛に、村のオークたちは皆、惜しみない称賛を送った。
誰も彼を「異形」として見ない。
ただの一人の男として普通に接してくれる空間が心地よかった。
午後からは、ゲミルが村を案内してくれることになった。
「ここは畑と果樹園ばかりで、退屈じゃないですか? 猛さん」
「まさか。自分が住んでいる現世よりも、ずっと……すごく心地がいい場所だよ」
「それなら、よかったです」
ゲミルが嬉しそうに、牙を覗かせてハニカんだ。
「着きました。ここが村唯一の観光スポット、村が一望できる丘です!」
オークたちが平和に過ごす、自然に囲まれた穏やかな農村。
吹き抜ける風が、二人の毛並みを優しく揺らした。
ふとゲミルを見ると目が合った。
二人は顔を赤くしながら目をそらした。
【4日目】
4日目の朝、猛は髭を剃るのをやめた。
現世では朝剃っても夕方には青くなり、不潔だと嫌われた髭。
ここでは誰も気にしない。
むしろ、少し生え揃ってきた方が、村に馴染んでいる気がした。
今日は、収穫した果実を街へ売りに行くゲドルとゲミルに同行した。
到着した街は、様々な亜人が行き交う活気あふれる場所だった。
犬、鳥、トカゲの姿をした人々。
誰も、2メートルの毛深い大男を振り返りもしない。
積荷を商店に下ろした後、猛はゲミルと二人で市場を見て回った。
あるアクセサリー屋の前で、ゲミルが足を止めた。彼女の視線の先には、素朴だが綺麗な髪飾りがあった。
「……その髪飾り、ゲミルさんに似合うと思うよ」
「えっ!? い、いえ、私にはちょっと可愛すぎますよ……」
ゲミルは顔を真っ赤にしてうつむいた。
その仕草を見て、彼女はオークだが、中身はとても可愛らしい一人の女性なのだと感じた。
猛はゲミルが果物屋を見ている隙に、初日に換金したアザール通貨で、こっそりその髪飾りを購入した。
帰りの馬車の中。
二人きりになったタイミングで、猛は包みを差し出した。
「ゲミルさん。ここのことを色々教えてくれたお礼。これ――」
「わぁ……! さっきの髪飾り! ありがとうございます、猛さん!」
ゲミルは宝物のようにそれを胸に抱きしめ、満面の笑みを浮かべた。
その夜。猛が部屋で余韻に浸っていると、前触れもなくミーエルが現れた。
「猛様、オークの村はいかがでしょうか?」
「いい村ですね。村の人にも本当によくしてもらってます。現世よりも、ずっと……」
「それはよかったです!」
猛は拳を握りしめ、意を決して切り出した。
「……ミーエルさん。このまま、俺がここで暮らしていくことはできないかな」
それを聞くと、ミーエルの笑顔に冷たいものがまじった。
「申し訳ございません。当社はアザールへの移住を斡旋しているわけではございません。延泊という形であれば可能ですが、高額になりますよ?」
「そうか……。そうだよな、旅行だもんな……」
肩を落とす猛。
部屋の扉の向こうでは、ゲミルがその会話を聞いてしまっていた。
【5日目】
5日目の朝、ゲミルの様子が明らかに変わっていた。
目を合わせようとせず、話しかけても一言二言で離れてしまう。
現世で女性から距離を置かれた時のトラウマが蘇り、(またか……俺、何か嫌われることしたかな……)と猛は激しく落ち込んだ。
果樹園の手伝いをしていても全く集中できず、上の空で一日が過ぎた。
その夜、このまま現世に帰ったら絶対に後悔すると思い、猛はゲミルを夜の散歩に誘った。
「……」
「……」
月明かりの下、二人は黙って歩く。
猛は勇気を振り絞って声を絞り出した。
「ゲミルさん。俺、何か気に障るようなこと、しちゃいましたかね……?」
ゲミルがピタリと足を止めた。
その肩が、小さく震えている。
「……猛さん。明後日には、異界に帰られてしまうんですよね……?」
「はい……」
「――嫌です!」
ゲミルが振り返り、猛の胸に飛び込み、強く抱きついてきた。
「私、猛さんに帰ってほしくない……!」
「ゲミルさん……」
だが、猛は彼女を抱き返すことができなかった。
自分は明後日にはいなくなる旅人なのだと。
【6日目】
果樹園では、ゲドルが村人たちを大勢集めて、猛の盛大な送別会を開いてくれた。
「いやぁ猛殿! 明日には異界に帰られてしまうとは、本当に残念ですな!」
「俺も、皆さんと離れるのが寂しいです。本当に良くしてもらって、楽しかった。ありがとうございました!」
宴もたけなわ、猛が最後の挨拶をしていた、その時。
少し離れた席でうつむいていたゲミルが、猛に向かって猛然と駆け寄ってきた。
「猛さん!」
「えっ、ゲミ――」
驚く猛の襟首を掴み、ゲミルは背伸びをして、その唇を猛の口元に強く押し当てた。
「ゲミルさん!?」
静まり返る会場。次の瞬間、ゲドルの怒声が響き渡った。
「ゲミル!! お前、なんてバカなことを――!!」
周囲のオークたちも一斉にざわつき、顔を青くしている。
「猛殿……申し訳ない、本当に申し訳ない……」
ゲドルが頭を抱え、震える声で言った。
「我が村の掟でな……未婚の男女が接吻を交わした場合、その男女は必ず結婚せねばならんのだ。もしそれを破れば、破った者は不浄として、村を追放される。猛殿は明日、異界に帰る。しかし、娘は……娘は村を出て行かねばならん……!」
隣では、母のゲアが静かに泣きながらゲミルを抱きしめていた。
ゲミルは、自分が村を追われるリスクをすべて承知の上で、猛への想いを貫いたのだ。
猛は黙って、泣き出しそうなゲミルの瞳を見た。
そして、自分の意思を口にした。
「ゲドルさん、俺――」
【7日目】
約束の7日目の朝。
ゲドルの家の前に、空間を割ってミーエルが現れた。
「猛様、お時間です。現世に戻る準備をお願いいたします」
だが、家から出てきた猛の顔は立派な髭で覆われ、服装は現世のジーンズではなく、立派な腰蓑一丁。
そしてその太い腕は、隣に立つゲミルの肩をしっかりと抱き寄せていた。
「ミーエルさん。俺は現世には戻りません。ここに残って、ゲミルと生きていきます!」
それを聞いたミーエルの顔から笑みが消え、真剣な面持ちでそじっと猛を見据えた。
「お伝えしておりますが、お客様の都合で旅行規約を破るわけにはいきません。――ですが、ここに残るのは村の掟でですか?」
「はい!」
「……二度と現世に戻ることはできませんが、よろしいですか?」
「俺はここでオークとして、ゲミルと生きていきます!」
そこには、他人の目を気にして怯えていた男ではなく、誰よりも堂々とした、オークの若者の姿がそこにあった。
ミーエルはそれを見て優しく微笑んだ。
そして手帳を取り出し、そっと猛の名前を消すように線を入れた。
「村の掟なら仕方ありませんね……。猛様、アザール観光をご利用いただきありがとうございました。それでは――良い人生を!」
ミーエルが静かに消えると同時に、猛とゲミルは深く抱き合い、今度は祝福のキスを交わした。
ゲドルの、地鳴りのような嬉し泣きの声が村に響き渡った。
ミーエルがスッとこちらの目の前に現れ、いつもの笑顔で話し出す。
「アザールでは、多種・多様な種族が、それぞれの価値観を持って暮らしています。
現世でどうしても居場所が見つからないという方も、アザールに来れば、あなたが『生きていく場所』が見つかるかもしれませんよ。
――もちろん、その後どうなるかは、当社は一切の責任を負いませんが。
それでは、またのご利用を心よりお待ちしております」




