番外編 アザール観光の審査基準
アザールの某所に存在するとあるダンジョン。
その最奥にひっそりと佇む部屋の中を、パソコンの液晶画面の光だけが青白く空間を照らしていた。
カタカタカタカタ、ターン!
凄まじいタイピング音を響かせているのは、ボサボサの髪に丸眼鏡、顔にそばかすのある女性。
「……あぁ、もう! 何で規約をちゃんと読まないかなぁ!? 付与できるチート能力は『原則一つまで』って、利用規約の第45条にデカデカと書いてあるでしょうが!」
アザール観光で、旅行審査をしているネリアはディスプレイに映る現世からのツアー要望書を睨みつけ、頭をガリガリと掻いた。
「なになに? 『無敵の防御力と、一撃必殺の怪力と、全属性の魔法適性をください』……だから、能力は一つまでって言ってんでしょうが!アザールを何だと思ってんのよ! 却下却下!」
マウスを激しくクリックし、定型文の拒否メールを送信する。
「はい次、次は……。えーっと、『悪役令嬢に転生して、生意気なヒロインに婚約者を奪われて一度は国を追放されるものの、逃げ延びた辺境の田舎で前世の料理の才能を活かして定食屋を開き、そこで隠居していた伝説の竜騎士と仲良くなって見返したい』……って、長いわ!! 物語のあらすじ書いてんじゃないわよ! うちのツアーは基本1週間なの! 何ヶ月滞在するつもりよ!」
ネリアは凄まじい手付きでキーボードを叩き、再び定型文を叩き込んだ。
『この度はお申込みいただき誠にありがとうございます。
大変申し訳ございませんが、今回お客様のご提示されたご要望には沿いかねます。
利用規約を再度ご確認の上、ページ下部のフォームよりお申込みください』
「これも駄目! あれも駄目! それも駄目! どいつもこいつも、現世の小説の読みすぎで脳みそお花畑になってんじゃないわよ!」
ネリアが発狂気味に叫びながら、次々と「審査落ち」のボタンを連打していく。
「ん?……いいじゃない『迷いの森探検』!希望能力がマッピング能力とは、わかってるじゃない!まぁ、生きて帰れるかは知らないけど。」
その時、静かに部屋の扉が開き、上品な湯気を立てたカップがネリアの机に置かれた。
「うふふ、相変わらず大変そうですね。ネリアさん」
「あ、ミーエル……。ありがと、ちょうど糖分が切れるところだったわ」
ツアーを終えて帰還したばかりのガイド・ミーエルが、にこやかに微笑みながらお茶を差し出していた。
ネリアは眼鏡を指で押し上げ、差し出されたお茶をズズッとすする。
「本当、やんなっちゃう! 現世の人間はアザールでは何でもできると勘違いしてんのかしらね? こっちにだって世界のルールがあるんだから、好き勝手できるわけじゃないっつーの!」
「そうですね……。最近の現世の方は、ツアー中も注意を全く聞いていないお客様が多くて、私も案内していて頭が痛いです」
ミーエルは困ったように眉を下げたが、その瞳の奥は一ミリも笑っていない。
「そもそもさ、女神様は何で私達にこんな面倒なことさせるのかしらね? 現世のワガママな人間どもをわざわざツアーでアザールに来させて、何のメリットがあるのよ」
「詳しい事情は私もわかりませんが……なんでも、現世を管理している神様との間に、魂の循環に関する何らかの『神界契約』があるようですよ」
「ふーん、神様同士の押し付け合いってわけね。……はぁ、とりあえず愚痴ってても仕事は減らないわ。はい、次に行くツアーのファイルはこれよ、ミーエル」
ネリアはため息をつきながら、審査を通過した数少ない「合格者」の紙ファイルをミーエルに手渡した。
ミーエルは受け取ったファイルを開き、その内容に目を落とす。
「冒険者希望……『ゴブリンの巣攻略』ですか。……あら?このお客様のお名前、以前にもうちのツアーに来られた記憶がありますね」
「あ、やっぱり? 前に『段野』って名前で登録があったわよ。うちのブラック……じゃなくて、エキサイティングなツアーをリピートするなんて、相当な物好きよねー」
「うふふ、嬉しいじゃないですか。アザールでの体験を楽しんでいただけたということですから。……今回はルールを破らなければ良いのですが」
ミーエルは案内旗を優雅に手元で一回転させると、楽しげに目を細めた。
「それではネリアさん、新規のお客様をご案内してまいりますね」
「はいはい、いってらっしゃい。くれぐれも現世に帰す前に死なせないようにねー。あと、能力テストに都合よさそうなのがいたらお願いねー」
ミーエルは一礼し、静かに空間に溶けるようにして消えていった。
一人残されたネリアは、冷めかけたお茶を飲み干すと、再び青白いディスプレイに向き合い、怒涛の勢いでキーボードのタイピングを再開した。
「だから! 希望能力と要望欄には『最強の剣を一本』とか『魔族の暮らしが見たい』とか、短くシンプルに書けって言ってんでしょうがーーーっ!」
最深ダンジョンの奥底に、規約を読まない現世人へのツッコミの音が、今日も虚しく響き渡るのだった。




