第9話 刻(とき)を纏う者
ギルドを一歩踏み出したところで、セナは激しい目眩に襲われ、大理石の壁に手をついた。
「……っ、はぁ、はぁ……」
心臓が早鐘を打ち、全身の節々が熱を帯びている。まるで、自分の許容量を超えた何かが、強引に肉体へと詰め込まれたような不快感。
「……セナ!」
隣を歩いていたアヤが、即座にセナの細い肩を支えた。その瞳には、先ほどの「死神」への恐怖など微塵もなく、ただ「二度とこの男を死なせてはいけない」という切実な決意だけが宿っている。
「少し休もう。顔色が最悪だ。あんなことがあった直後なのだぞ、無理をするな」
アヤに支えられ、されるがままのセナ。リリアは心配そうに二人を見守りながら、旧市街の路地裏へと歩みを進めた。
「……ありがと。でも、もういいよ。少し休んだら、不思議と力が湧いてきたんだ」
セナはフラフラと立ち上がり、手に握ったままの紙を広げた。
「……さあ、まずはこの猫を探さないと」
セナはまだ足取りが重いが、歩くたびに倦怠感が薄れていくのを感じていた。その時、セナの変化をじっと観察していたリリアが、誰よりも早く「それ」に気づいて声を上げた。
「ねぇ、セナ。さっきから体の周りが……なんだかユラユラ揺らいでるよ? 陽炎みたいに」
「え……? 揺らいでる?」
セナが自分の手を見つめると、確かに輪郭がわずかに滲んでいるように見える。
その言葉に、アヤがハッとしたようにセナの背中を食い入るように見つめた。
「……やはりか。実は前、マルコの護衛をしていた時にも、微かに似たものを見たのだ。セナ、お前、無意識に刻術を身体に『纏わせて』いるのか?」
アヤがこれまでの経験を交えて「刻術の纏わせ」について語りだす。それを見たリリアは、微かに唇を噛んだ。
(……あたしが、セナの変化には1番に気づけたのに)
最初に見つけて指摘したのは自分なのに、結局専門的な話でセナと通じ合っているのはアヤであることへの疎外感。リリアはそれを振り払うように、セナの顔をじっと見つめ直した。
「纏う……?」
ふと、セナの脳裏にあのアステリアでの記憶が蘇った。一回目の死。あの「最悪の終わり」から目覚めた時から、実はこの感覚は微かにあったのだ。
(……そうか。あの時から、始まっていたんだ)
一度目の死を経て、セナの肉体は、二度と同じ末路を辿らぬよう、本能で刻術を細胞の一つひとつに浸透させていた。
「生存本能」としての守護。それが、常人離れした回復力の正体だったのだ。二度目の死という負荷が、眠っていた力を表面化させたに過ぎない。
セナは立ち止まり、その「揺らぎ」に意識を集中させてみる。意識した途端に動作はぎこちなくなるが、確かに「刻術を操っている」感覚がそこにはあった。
「――ニャーオ」
その時、路地裏の奥から鳴き声が響いた。目的の迷い猫だ。
アヤは直ぐさま猫を追うが、猫は素早い動きでアヤの動きを避ける。
「アヤ、一瞬だけ……時間を借りるよ!」
セナが集中し、アヤの肩に触れる。凝縮した刻術を、アヤの肉体へと無理やり転移させた。
その瞬間、アヤの世界は一変した。
風に舞う塵が空中で静止し、逃げる猫の毛先の一本一本までが残酷なほど鮮明に見える。
「これが、セナの見ている世界か……!」
景色が止まって見えるほどの絶対的な静寂。アヤはその中を滑るように駆け、驚愕に固まったも同然の猫を、鮮やかな身のこなしでふわりと抱き上げた。
術が解け、色が戻った世界でセナは激しい疲労により膝をつく。
「……成功だ。この力があれば、もっと……」
荒い息を吐くセナの横顔を見つめながら、アヤは確信していた。
(セナ……お前はどこまで行ってしまうつもりだ。だが、もう二度と……お前が死にゆく姿をただ見ているだけの無力感は、二度と味わいたくない)
アヤは確かな安堵と共に、腕の中の猫をリリアへと手渡した。
三人は、それぞれの想いを抱えながら、報酬の銀貨5枚を受け取りに向かうのだった。
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