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僕が死ぬとき、世界は無に還る ―自覚なき刻術士のやり直し無双―  作者: 七鳳


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第6話 静寂の行軍と商人の約束

 アステリアの冒険者ギルド。朝の喧騒が漂う中、セナは掲示板の前に立ち、無数の依頼書を一つずつ指でなぞっていた。


 左手には依然として包帯が巻かれている。リリアが横から不安そうに声を上げた。


「セナ、本当に受けるの? まだその手じゃ無理だよ。せめてあと数日、傷が完全に塞がるまで休もう?」


 リリアの心配はもっともだった。だが、セナは静かに首を振る。


「……このまま休んでいたら、たぶん僕は二度とあの戦場に戻れなくなる。体が恐怖と感覚を忘れる前に、動かなきゃダメなんだ」


 その瞳には焦燥よりも深い、静かな執念が宿っていた。


 三人は慎重に依頼を吟味し始めた。高報酬だが強力な魔物と正面からぶつかる討伐。未踏の地を探る危険な調査。それらを一つずつ除外していく。


 そこでセナの目が止まったのは、掲示板の隅で埃を被っていたある「護衛」の依頼だった。


『隣町ヴィーレまでの商品護衛。報酬は相場の六割。……護衛の質は問わない』


 あまりの報酬の低さに誰も見向きもしないその依頼。セナがそれを剥ぎ取ると、アヤが後ろから覗き込み、「……悪くない」と短く頷いた。


 依頼主はマルコ・ロベリオスという青年だった。


 今にも壊れそうな小さな馬車の横で、彼は絶望したように頭を抱えていたが、セナたちの姿を見ると弾かれたように顔を上げた。


「受けてくれるのか……! 助かったよ、本当にお金がなくて、誰も受けてくれなくて……。今日出発できなきゃ、全てを失うところだったんだ」


 全財産を投げ打って商品を仕入れたばかりだというマルコ。その不敵な笑みの裏にある必死な形相は、どこか自分たちと重なって見えた。


 街道に出ると、馬車はガタガタと頼りない音を立てて進み始めた。


 初日の夜。峠の手前で野営をしていた際、火番をしていたアヤは、焚き火の傍らで眠るセナの姿を見て、微かな違和感を覚えた。


 月明かりの下、セナの左手から、陽炎のような空気の揺らぎが立ち上っている。


(……無意識に魔法を纏わせているのか。それも、自分自身にだけ)


 セナは自覚なきまま、自身の肉体そのものを刻術の領域に浸していた。そうすることで、損傷した細胞の時間を操作し、絶え間なく「再生」を促し続けているのだ。


(……それは、お前が自分でやっているのか? それとも、何かに『やらされている』のか?)


 アヤはその異様な光景に、静かに剣の柄を握り直すことしかできなかった。


 翌日。馬車が峠の難所に差し掛かった時。


 茂みから、神速を誇る魔物『ウィンド・ウルフ』の群れが飛び出した。


「――来たぞ!」


 アヤの鋭い声。疾風となった獣たちが、牙を剥いて馬車の背後へ回り込もうとする。


「速すぎる……っ!」


 リリアが魔法を構えるが、敵の速度に照準が追いつかない。


 その時、セナが一歩前へ出た。左手は無意識の再生により、驚くほどスムーズに動く。セナは冷静に、襲い来るウルフの軌道上へ「透明な檻」を設置するかのように空間を選択し、指を弾いた。


 パチン。


 刹那、馬車の周囲に指定された空間が、目に見えない「沼」と化した。


 飛びかかってきたウルフたちが、その領域に足を踏み入れた瞬間に「一時停止」したかのように静止し、そこからゆっくりと地面へ落下していく。


 自分自身に「再生」を纏わせつつ、外の「空間」を自在に止める。二重の刻術が、完璧な防壁を作り上げていた。


「――今だ、リリア!」


「いっけえええええ!!」


 動きの鈍った獲物など、リリアの魔法の敵ではない。炸裂する光が、一歩も近寄らせることなく魔物を一掃していく。


 無事にヴィーレの街門をくぐった時、マルコは震える声で感嘆した。


「さっきの魔法は……? まるで、世界そのものが君の味方をしているようだった」


 マルコは少ない報酬を申し訳なさそうに手渡し、真剣な顔でセナの手を握った。


「セナ、リリア、アヤ。君たちの名前は絶対に忘れない。僕の商会が大きくなった時、必ず君たちの力になると約束するよ」


 セナは歩きながら、ふと自分の左手を見た。包帯を解いた下には、数日前までの激痛が嘘のように、新しい皮膚が再生されつつあった。


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