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僕が死ぬとき、世界は無に還る ―自覚なき刻術士のやり直し無双―  作者: 七鳳


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第4話 歪みの残響

 深夜の訓練場。ギルドの裏手に位置するそこには、ただ一つ、規則的な音が響いていた。


 ――乾いた、指を弾く音。


 セナは左手を突き出し、何度も、何度もその動作を繰り返す。


「『とき』よ、止まれ……っ! 止まれ!!」


 標的の木の人形は動かない。当然だ、人形なのだから。


 だがセナが求めているのは、人形を包む「世界」そのものを一瞬でも静止させることだ。


 一晩中弾き続けた左の指先は、摩擦で皮が剥け、真っ赤に腫れ上がっている。魔力を絞り出すたびに激しい疲労が襲うが、セナは構わなかった。

 

(また、あんな風に二人が死ぬなんて絶対に嫌だ。もっと、長く……もっと、確実に止められなきゃダメなんだ!)


 セナが必死に左手を振るう訓練場の入口。アヤは中には入らず、腕を組んで壁に背を預け、その気配だけをじっと探っていた。


 やがて、肩で息をしながらふらふらとセナが出てくる。


「……あ、アヤさん。どうしてここに」


「たまたまだ。……だが、こんな遅くまで根を詰めていては、リリアに心配されるぞ。さっさと戻って休め」


 ぶっきらぼうに、突き放すような言葉。だが、そこにはアヤなりの気遣いが混じっていた。


セナは力なく「そうだね、ありがとう」と頷き、宿の方へと去っていった。


 一人残されたアヤは、セナと入れ替わるように訓練場の中へ足を踏み入れた。


 その瞬間。

 

「――っ!?」


 アヤの肌を、言いようのない「不快感」が撫でた。


 通常の刻術は、対象の周囲の時空をわずかに歪ませるものだ。だが、この場所はどうだ。


 訓練場全体の空気が、まるで見えない巨大な手でねじられたように歪んでいる。視界が波打ち、遠くの街灯の光が遅れて届くような、生理的な嫌悪感を伴う時空の残響。


(……ありえない。これほど広範囲の因果を、たった一晩の、それもあんな未熟な術の行使だけで書き換えたというのか……?)


 セナ自身は気づいていない。自分の執念が、世界の理をどれほど異常な形に削り取っているのかを。アヤは戦慄し、震える手で自らの剣の柄を握りしめた。


 一方、宿に戻ったセナは、廊下の暗がりに座り込んでいたリリアと出くわした。


 一度味わった「死」の恐怖から抜け出せずにいた彼女は、力なく顔を上げる。


「セナ……おかえり」


 ふと、月明かりに照らされたセナの手が、彼女の視界に入った。


 リリアは、言葉を失った。


 焼けつくような赤みと、関節から滲む血。ただの訓練でつくはずのないその傷跡を、彼女はただ、長い沈黙の中で見つめ続けた。


 沈黙が重く、冷たく廊下に満ちる。その静寂の中で、リリアは悟った。自分と同じように死を恐れているはずの少年が、どれほどの絶望を燃料にして、その手を壊し続けてきたのかを。


「……ひどいよ。こんなになるまで……」


 ようやく絞り出した声。リリアは震える手で救急箱を取り出し、セナの左手を優しく包み込んだ。


 自分は怖くて動けなかった。けれど、セナはあんな地獄を経験してもなお、その震える指で再び戦おうとしている。


「……私、もう一度だけ頑張ってみる。セナがこんなになるまで頑張ってるんだもんね」


 包帯を巻くリリアの瞳に、微かな、だが確かな光が戻る。

 アヤは宿の窓から夜空を見上げ、確信していた。


 あの少年の潜在能力は、救いか、あるいは破滅か。

 

 訓練場に残った「歪み」は、夜が明けても消えることはなかった。


お読みいただきありがとうございます!

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