第61話:蛇の道は蛇
悲痛な声に誘われて駆けつけると、そこには小さな人だかりができていた。
中心には、狼狽した様子のおじさんとおばさん。その足元に、小さな男の子が横たわっている。目を閉じたまま、ぴくりとも動かない。
「大丈夫ですか」
思わず声をかける。
男の子の右腕には、何かに噛まれたような跡があった。小さな赤い点が二つ、ぽつんと残っているだけだ。浅い、掠っただけのような傷だ。見た目にはそれほど酷い傷には見えない。それなのに、目を覚まさない。
時折、うわ言のように小さな声が漏れる。
「へび……へび……」
うなされるように繰り返すその声に、おばさんの顔がますます青ざめていく。
「森のヘビだ……森の奥のヘビのモンスターにやられたんだ」
おじさんが震える声で言う。
「さっきからずっと、ヘビ、ヘビって……きっと、毒が回ってるんです」
おばさんが涙をこらえながら、男の子の手を握りしめていた。
「この村に、お医者さんはいないんですか」
俺の問いに、周りの村人たちが顔を見合わせる。
「村長と、その息子さんが村の医者なんだが……二人は王都の式典に出ていて、まだ帰ってきてないんだ」
「実は、私たちこの村に越してきたばかりで……森の奥に何があるかも、よく知らなくてな」
おじさんが申し訳なさそうに付け加える。
「王都まで、この村からどれくらいかかるんですか? 王都なら治療法があるかもと思うのですが」
「どんなに速い馬で走り続けても、半日以上はかかる距離だ。連れて行くまで、この子が持つかどうか……」
(そういえば、俺はスーちゃんでここまで来たけど、相当飛ばしてくれてたんだな……)
周囲の人たちも、気の毒そうな顔をしているが、誰もどうすることもできずにいた。何かをしたくても、手立てがないのだ。
(待てよ……スーちゃんなら、王都まで、連れていけるんじゃないか。あの速さなら、半日もかからずに辿り着けるかもしれない)
だが、すぐに迷いが生まれた。
(そもそも俺は、狙ってこの村まで来たわけじゃない。ただ、スーちゃんに乗って、猛スピードで走ってもらっていただけだ。方角も距離も、正直よく分かっていない。あの調子で、本当に王都まで辿り着けるのか。それに王都に着いたところで、確実にこの子を治せる保証があるわけでもない。医者がいたとして、モンスターの毒に詳しいとは限らない。どうしたら……)
考えがまとまらない。俺はふと思い立った。
俺は人だかりから離れ、リュックの中のヒーに問いかけた。
「なあ、あれ、どうにかならないかな」
「どうにかって?」
「その、ヒーの力で、毒だけ取り除けないかな」
「残念だけど、そんな万能な力はないわ」
「そうか……」
(それでも、このまま放ってはおけない。何かできないのか。もし今のやり取りが本当なら、村に医者はおらず、王都までは半日以上。子供の容態が持つ保証はない)
「なあ、ヘビのモンスターの毒って、治す方法はないのか?」
「方法はいくつかあるわ」
「え、あるのか」
「治療薬。それか――魔法ね」
「魔法? さっきは万能な力はないって」
「それは、毒の種類が分からない場合の話よ。それに、私は魔道士じゃないもの。魔法に関しては、専門家ってわけでもないし」
ヒーは淡々と続けた。
「モンスターの種類と、毒の性質が分かれば、もしかしたら中和できるかもしれないわ」
「そうなのか。てっきり、どんな異常も治せる万能な回復魔法があるのかと思っていたよ」
「薬と同じよ。原因の特定が必要だわ」
「それなら……そのモンスターの毒を、特定できればいいんだな」
「ヤマダ……もしかして」
「ああ」
俺は頷いた。
「私にできるとは限らないわよ」
「信じるよ。ヒーのことをさ」
俺は再び、人だかりの方へ歩き出した。
「おじさん、その子が倒れていた場所まで、案内してもらえませんか」
「できるが……危険だよ。あんたもヘビにやられちまう」
「お願いします。俺なら大丈夫です」
おじさんはしばらく迷っていたが、やがて決心したように言った。
「分かった。入口まででいいな?」
◆◇◆
森の茂みを進んでいく。
草や木が生い茂り、俺やヒー、フー、ミーたちといつも歩いている森とは、まるで様子が違っていた。暗く、日が差し込まない。怖さの方が優っていた。
リュックを背負い直し、おじさんの後に続く。
「こんなところに、お子さんが入っていったんですね」
「ああ。子供の立ち入りは禁止されていたんだ。なのにあの子がいなくなって、この辺りを探していたら、横たわっていて」
「そうですか」
「もう少しだ。あの子がいたのは」
さらに木々が深くなる。
「あそこだ」
草木が生い茂り、まるでここから先に立ち入ってはならないと警告しているかのような闇が濃くなっていた。
「本当に行くのかい」
「ええ」
「どうするつもりだい」
「毒の種類を確かめます。分かれば、何とかできるかもしれません」
「何とかって……本当に大丈夫なのかい?」
「やってみます」
「すまない……気をつけてな」
俺の声も、少し震えていたかもしれない。
木々に光が閉ざされている。もうここから先は立ち入ってはならない場所だと、空気そのものが告げているようだった。
先を見通すことはできず、俺の足音と、草木を踏み分ける音だけが響く。心臓が高鳴り、呼吸が浅くなっていく。
(いつ何かが襲ってきても、おかしくない)
「ヤマダ」
「うわっ、びっくりした!」
ヒーの声だった。思わず情けない声が出る。
「気配を感じるわ。おそらく向こうも、こっちに気付いてる」
「そうか、ご忠告どうも」
励ましにはなっていなかったが、一人じゃないというだけで、大きな支えになっていた。なんたって伝説の存在だ。レベルは980になったとはいえ、それでも十分頼りになる。
「ミーとフーの声がしないけど、大丈夫か?」
「あ、寝てるわ、二人とも」
「なんだよ、俺、今めっちゃ怖いよ」
「あらヤマダ、意外とビビリなのね」
「そうだよ。お化け屋敷とか入れないタイプなんだよ」
「それなのに、こんなこと引き受けるなんて。分からない人ね」
「ほんと、そうだよな」
思わず笑みがこぼれる。ヒーとのやり取りに、少しだけ元気をもらった。
「もう近いわ」
その声のあと、視界が開けた。
あたりは依然として暗い。だが中央には、古い神社の本殿のようなものがあった。誰の手入れも入っていない、見捨てられたかのような場所。
そのとき、声がした。
『おぬし、何者だ』
(え……?)
『立ち去れ、人の子よ』
不思議な感覚だった。音ではない。もしや、モンスターか。超音波のような振動として、直接頭の中に響いてくる。
そして、闇の奥から――黒い鱗に覆われた大蛇が姿を見せた。
「あの、お願いがあって参りました」
『何用だ』
俺は震える胸を必死に抑え、正面を見据えた。




