第60話:980円
耳元で風が悲鳴のような音を立てる。
「うわああああああああっ!」
思わず絶叫した。
スーちゃんの脚が大地を蹴るたび、景色が信じられない速さで後ろへ流れていく。
林を抜け、森を抜け、広大な草原を一直線に駆け抜ける。
「は、速すぎる!」
顔に叩きつける風で目を開けるのも一苦労だ。
「これ、高速道路を走る車より速くないか!? 時速何キロ出てるんだよ!」
時折、大きな岩や倒木を軽々と飛び越えるたび、身体がふわりと浮く。
「うおおおおっ!」
まるでジェットコースターだ。
いや、こんなジェットコースターがあったら二度と乗りたくない。
そんなことを考えているうちにも、景色は次々と入れ替わっていく。
どれくらい走ったのだろう。
時間の感覚さえ曖昧になった頃、スーちゃんの速度がゆっくりと落ち始めた。
満足そうに鼻を鳴らし、やがて村の入口で足を止める。
「着いた……のか?」
恐る恐る地面へ降り立つ。
足が少し震えていた。
「生きてる……」
思わず呟くと、スーちゃんが何を大げさなと言いたげにこちらを見た。
周囲を見回す。
木々に囲まれた、小さな集落だった。
派手さはないが、どこか落ち着いた雰囲気がある。
「ここ、どこなんだろうな」
(とりあえず、今日は宿を探そう)
スーちゃんの手綱を引きながら、村の中をゆっくりと歩いていく。
少し歩くと、宿屋らしき小さな木造の建物が目に入った。
手綱を引いたまま近づいていくと、店先を箒で掃いていた年配の女性が顔を上げた。
「すみません、ここは宿屋でしょうか? 泊まる場所を探していまして」
女性が、にこりと笑う。
「そうだよ。ああ、その子は裏に馬小屋があるから、先に休ませてやろうかね」
スーちゃんへちらりと目をやって彼女は言った。
「お願いします」
スーちゃんの首を軽く撫でる。
「今日はありがとう、少し休んでて」
満足そうに鼻を鳴らすと、女性に連れられて馬小屋の方へ歩いていった。
その後ろ姿を見送り、俺も宿の中へ入る。
カウンターの前でしばらく待っていると、すぐに女性が戻ってきた。
「待たせたね。ここは1泊、銅貨30枚になるけど大丈夫かい?」
「はい、お願いします」
(銅貨か、そんなに安いんだな……)
王都なら、この値段では泊まれない。
俺はリュックから小さな袋を取り出し、中から銀貨1枚をカウンターの上に置いた。
「はいよ、お釣りね。ごゆっくり」
カウンターに置かれた銅貨の山を、袋の中へしまっていく。
用意された部屋へ入ると、ようやく一息つく。
ヨヴェルの鉢を、机の上へ置いた。
続いてリュックがもぞもぞと動く。
最初に顔を出したのはミーだった。
「楽しかったー!」
「僕も」
フーも元気よく飛び出してくる。
「なかなか爽快だったわ」
最後にヒーが優雅に羽を整えた。
ベッドへ腰掛け、大きく息を吐く。
みんな、どうやらあの速度でも平気らしい。
「そういえば……」
ふと思い出す。
「スーちゃんって何食べるんだ? 草とか?」
「魔力よ」
即座にヒーが答えた。
「……え?」
「スレイプニルは、魔力を糧として生きる種族なの」
「魔力って……」
「毎日分け与える必要はないわ。それに――」
ヒーはさらりと言った。
「フーがいるでしょう」
ゆらゆらと空中を漂うフーへ目を向ける。
その下ではミーが楽しそうにじゃれついていた。
「フーから魔力が溢れているの、覚えているでしょう?」
「ああ、そういえば」
俺は以前、フーの炎から自然と漏れ出ていた魔力を思い出す。たしか、ミーがそれを吸収していたんだった。
「あれで足りるのか?」
「これくらいなら十分ね。それに、いざとなれば私の魔力もあるわ」
「そうなのか?」
目の前にいるのは、伝説の存在ヒュギエイア様だった。
「でも、この前オルドランさんにレベル渡したばかりだろ? 本当に平気なのか?」
「ええ。スレイプニルへ渡す程度なら造作もないわ。量も大したことないもの」
「無理だけはしないでくれよ」
「心配性ね」
そこで、ふと気になった。
久しぶりに、俺は頭の中で念じて、ヒーのステータスを確認する。
そのレベルは980だった。
「え……」
「どうしたのよ?」
「オルドランさんに、相当渡したんだな」
「ええ。彼には強くなってもらいたいと言ったでしょう」
ヒーは、たしか元のレベルは1400くらいはあったはずだ。
そこからここまで減ったということか。
「それに……」
「ん?」
「なんか、レベルが1000を超えてたら、ちょっと不気味じゃない? その、980くらいが、可愛いかなって……」
「えっと、それはどういう……」
俺の理解が追いついていなかった。
(レベルを見て、可愛いとかって概念あるのか? それよりむしろ、980――)
そう思いかけたところで、全身を冷たいものが駆け抜けた。
殺気。
いけない。これ以上はいけない。
「そ、そうか……ははは……」
「分かればいいのよ」
……忘れよう。
この話題は、アンタッチャブルだ。
「なんかお腹空いたな」
リュックを探ると、保存用のパンが出てきた。
「これでも食べるか」
「ありがとう!」
「あ、ミーも食べるー!」
「僕も!」
みんなが集まってくる。
パンをちぎって分け合うと、部屋の中はすぐに賑やかになった。
「あとでスーちゃんのところ、いこー」
ミーがパンを頬張りながら言う。
「そうだな。この辺りも、少し見て回ろうか」
「うん!」
元気いっぱいの返事だった。
◆◇◆
食事を終え、リュックを背負う。
ヒー、フー、ミーも慣れた様子で中へ入っていった。
宿を出ると、思わず大きく伸びをする。
「ふぅー……」
胸いっぱいに空気を吸い込む。
澄み切った空気が肺を満たし、自然と肩の力が抜けた。
村の周囲は深い森に囲まれ、木漏れ日が優しく地面を照らしている。
(なんだか、森林浴って感じだなー)
比較的小さな村だけど、別荘が建っていても違和感がないくらい、静かで落ち着いた場所だ。
のんびり歩いていると、村の中心の方から慌ただしい声が聞こえてくる。
人だかりができているようだ。
「おーい! 誰か来てくれ!」
「ヘビに噛まれたんだよ! うちの子が!」
悲痛な叫びが村中に響く。
俺は思わず、その声のする方へ駆け出した。




