第57話:Where the Light Enters
俺たちは街の中を歩き続けていた。
すると、広い広場に馬たちが数頭つながれている場所に辿り着いた。
喧騒から距離を置いた静かな場所だった。
「いらっしゃい」
一人のおじさんが、馬小屋の前で俺たちに声をかけた。
日焼けした顔には、優しさがにじみ出ている。
「馬、借りるかい?」
「いえ、パレードに合わせてこの街に初めて来たもので……」
「そうか。ゆっくりしていってな」
「ありがとうございます。ここでは馬の貸し出しを?」
「ああ、1日で銀貨10枚ってところだな。売買もやってるよ」
おじさんは、立派に毛並みを整えた馬を指した。
「立派な馬ですね」
「どれも良い子だよ。ああ、この子なら初心者でも大丈夫だ。どうだい、乗ってみるかい?」
「え、いいんですか?」
「ああ、気をつけてくれよ」
おじさんが馬を近くに引き寄せた。
俺は段差を利用して、不器用に鞍に乗った。
もちろん、ただの元会社員の俺に乗馬経験はない。
(流れで乗馬することになっちゃったけど、大丈夫かな……)
だが――馬の心が伝わってくるような気がした。
馬が進もうとする挙動や意思。そのすべてが、自然に身体を通じて伝わった。
「おお、良い感じだな。あんた、乗り慣れてるな」
おじさんが感心する。俺自身も驚いている。
「いや、初めてなんですが……」
だが、俺の意識は、すぐに別のものに奪われていた。
視界の奥の方。馬小屋の奥だ。
そこには、ひときわ異なるオーラが放たれていることに気づいたからだ。
他の馬たちとは明らかに違う。灰色の馬体が、薄暗い馬小屋の中でも目に飛び込んでくる。
銀色の瞳が、こちらをまっすぐに見据えていた。どこか気迫めいた存在感。生き物というより、何か別のものを見ているような気がした。
俺は馬から降りてから、おじさんに尋ねた。
「あそこの馬は?」
おじさんの表情が、一瞬曇った。
「ああ、あれは隣の国で仕入れた珍しい馬なんだが、気性が荒くてな……」
「そうなんですね」
「ただ、ずっと置いとくわけにもいかないからな……」
おじさんがため息をついた。
「引き取り手もつかないし、このままなら処分するしかないかな……」
「処分……?」
俺の声は、自然と厳しくなっていた。
「ああ、実は前の持ち主から金貨数十枚の価値があると言われて買ってみたんだがな……」
俺は、その馬へ近づき始めた。
「おい、気をつけてくれよ」
おじさんの声が背中にかかる。
だが、俺の足は止まらない。
「ヤマダ、待って」
ヒーの声が、リュックの中から鋭く響いた。
「あの馬は『スレイプニル』よ」
「スレイプニル?」
「魔物の血が入っている、特別な馬よ。乗り手を選ぶ。下手に近づけば怪我をするわ。本来なら、こんなところにいるような馬ではないのだけど……」
ヒーの声は、言いかけて途切れた。
近づくにつれ、馬の様子が見えてきた。
灰色の毛並みは、光の当たり方によって微妙に色を変える。青みがかったかと思えば、白に近くなる。遠くから見た時とは印象が変わっていた。
だが、それより先に目が行くのは傷だった。
馬体には無数の傷がついていた。古い傷に、新しい傷。
銀色の瞳は、俺を見ても警戒の色を失わない。
「ヤマダ」
「分かってるよ、無茶はしないさ」
俺がさらに近づくと、その馬は俺を睨みつけた。
その時だった。
――感情が、俺に流れ込んできた。
かつて尊敬していた主人。その主人からの愛情と信頼。戦場を駆けた記憶。そして主人を失った悲しみ。乗り手が変わる度に酷使され、叩かれるムチと刺さる矢の痛み。流した血の分だけ、心は渇いていくようだった。
今この馬が心に抱いているのは、人間への怒りだ。いや、諦めなのかもしれない。
「そうか……辛かったんだな」
俺は、そっと一歩、近づいた。
警戒は残ったままだ。
だが、何かが変わった気がした。
俺の心を読もうとしている。
利用しようとしていないか。騙そうとしていないか。傷つけようとしていないか。
(お前のことが、知りたいんだ……)
馬が、静かに鼻を鳴らした。
もう睨みつけた時の圧力は感じなかった。
リュックの中から、ヒーが驚愕の声を上げる。
「嘘……?」
俺はそっと、馬の頭に手をやった。
ざらついた毛並み。その奥の温かさ。
馬は、その手を受け入れた。
◆◇◆
おじさんのところへ戻った。
「あの馬、おいくらですか?」
おじさんは、俺を見つめた。その顔には、明らかに驚きが走っていた。
「あんた、物好きだな……」
おじさんは、腕を組んだ。
「本当は金貨50枚、と言いたいところなんだが……」
言葉が区切られた。おじさんの目が、スレイプニルを見る。
「金貨5枚でいいよ」
「いいんですか?」
「正直、扱いに困ってたんで助かるよ。実を言うと、買った時の値段が金貨5枚でさ」
「ありがとうございます。あの……もう一つお願いがありまして」
「なんだい?」
「まだこの街に滞在する予定なんです。ここでしばらく預かってもらうことはできませんか?」
「ああ、構わないよ。必要なときに声をかけてくれ」
そうして俺は金貨5枚を懐から取り出し、おじさんに手渡した。
おじさんは受け取ると、スレイプニルを一度見た。
「あんたなら、アイツも安心だな」
そう言って、俺に背を向けた。
スレイプニルのところへ戻ると、その目は俺をずっと追っていた。
あの馬が処分されることはない。
そう思った瞬間、心底ホッとした。
それと、ほぼ同時だった。
背中で、かすかな光が灯った。
リュックの上部に固定した鉢が、ぼんやりと明るくなっている。
ヨヴェルだ。薄い色の葉が、淡い光を放っている。
数秒間、その光は続いた。やがて、ゆっくりと消えていく。
「なんだ……?」
俺は思わず口に出た。
拠点のテラスに取り付けた、ギガントリーフのことを思い出した。これも発光する植物なのか。
(じきに分かるかな……)
「また来るよ」
俺がスレイプニルに声をかけると、ミーもリュックから顔を出して言った。
「またねー、スーちゃん」
「スーちゃん?」
「うん、スーちゃん!」
俺がミーに問いかけると、どうやらスレイプニルの呼び名が決定していたようだった。
「……あの子、オスよ」
ヒーが静かに言った。
「でもねー、スーちゃん!」
ミーが繰り返すと、ヒーは沈黙した。
「スーちゃん……」
フーもその名前を呟いた。
「バチがあたらないかな、すごい馬に向かってそんな……」
「何をいまさら」
ヒーが即座にツッコミを入れた。
「そうだった、ごめんごめん」
俺は苦笑いして、ヒュギエイア様にそう返した。
◆◇◆
街路を歩いた。
どこかゆっくりとした時間だった。
「スーちゃん、大丈夫かなー」
ミーが静かに言った。
「ああ、また明日も会いに行こうか」
「うん!」
リュックがそっと揺れた。
背中でヨヴェルが静かに揺れているのを感じた。さっきの光は、もう消えている。
だが、何かが変わった気がした。
スーちゃんも、きっと俺自身も。




