【第98話】進路相談と筆の迷い
三学期のある午後。職員室前の廊下に、数人の生徒が立ち並び、三者面談の順番を待っていた。
「うわー、胃が痛い……」
あすかが頭を抱える。
「面談じゃなくて、進路自体が問題なんじゃないの?」
志津香が冷静に返す。
「うっ……せやねん。就職するか進学するか、まだ迷ってて。
うちは“書道で生きていきたい”って思ってるけど、何したらええか全然わからんのや」
「それ、正直でいいと思うよ」
真理子が優しく言った。
「私も、“書道を続けたい”って気持ちはあるけど、“職業にする”のは、まだ想像が追いつかなくて……」
志津香は少し目を伏せた。
「私は……進学で、“実用書道”を専攻するつもり。
でも、“アートとしての書”は、どこかで離れてしまうかもしれないって……怖くなることもある」
書道を「好き」でいたい。
でも、それだけじゃ選べないのが進路だった。
面談が終わって、三人は書道室へ戻ってきた。
誰もいない静かな部屋。
棚の上に、未使用の半紙が積まれている。
あすかが、それを一枚手に取った。
「なあ、ちょっと、今の気持ち、書いてみん?」
「言葉にできないものは、書にしてみる。……それ、私たちらしいね」
真理子が微笑む。
三人は無言で筆をとった。
あすかが書いたのは、**「衝」**という字。
真っすぐで、大胆で、でもその一筆一筆にためらいが混じっていた。
志津香が書いたのは、「揺」。
筆の流れは整っているのに、線の終わりが微かに震えている。
真理子は、**「紡」**を選んだ。
小さな字だった。けれど線の重なりには、どこか祈るような静けさがあった。
三人は、その字を見つめ合った。
「書道って、やっぱり“自分”が出るなあ……」
あすかがぽつりと言う。
「どんなに迷ってても、筆を持つと、何かが見えてくる気がする」
真理子がうなずいた。
「……進路はまだ揺れるけど、“書きたい”って気持ちは、ぶれない」
志津香が、静かに言った。
進路という現実の前に、三人はそれぞれ不安を抱えている。
でも、“迷いごと”を紙の上に置いてみると、ほんの少しだけ、歩く方向が見えるような気がした。
筆は、未来を決めてはくれない。
けれど、未来と向き合う“自分自身の姿”を、映してくれる。
窓の外は夕暮れ。
茜色の光が、三人の書いた文字をやさしく照らしていた。




