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筆の軌跡 **「未」**  作者: 南蛇井


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【第85話】あすか、進路を口にする

冬休みが明け、三学期の始業式が終わった午後。


 雪の代わりに冷たい雨が窓を打つなか、書道室には三人の姿があった。


 


 あすか、志津香、真理子。

 それぞれ机に向かって筆を動かしながらも、どこか落ち着かない空気が漂っていた。


 


 その空気を破ったのは、あすかだった。


 


 「……うち、ちょっと言いたいことあるんやけど」


 


 あすかが筆を置いて、二人の方を向いた。

 その表情は、いつものように明るいようで――どこか、硬さがにじんでいた。


 


 「進路、やねんけど」


 


 その一言に、志津香と真理子の手が止まる。


 


 「実は、ずっと迷ってて。書道を大学でも続けるか、それとも地元に戻って就職するか」


 


 あすかの声は、少しだけ震えていた。


 


 「うち、ずっと“書が好き”って言ってきたやろ?

  でも、プロとか指導者とか、そんなん目指せるほど器用ちゃうし……

  なんか、ようわからんようになってきてな」


 


 志津香が静かに口を開く。


 「……どっちを選んでも、後悔はあるかもしれない。

  でも、“書きたい”って思えるなら、どこにいても続けられるよ」


 


 「せやけど、うちは多分、書道部があったから書いてこれたんやと思う。

  ひとりになったら、書かへんかもしれんって、ちょっと怖いねん」


 


 あすかの声が少し低くなった。


 


 「毎日、書道室に来て、志津香と真理子がおって、笑ったり喧嘩したりして……

  そうやって筆を握れてた気がする。

  うち、ひとりで書くって、想像できへんのよ」


 


 真理子が、少し間を置いて口を開いた。


 


 「……でも、進学しても、地元にいても、書道室の記憶は消えないよ。

  それって、ずっと心に残る“場所”になると思う」


 


 「うん、そうかもしれんけど……うちは、いま、“終わるのが怖い”だけなのかもしれん」


 


 あすかは、笑おうとしたが、笑いきれなかった。


 


 志津香が机から、一本の細筆を手渡した。


 


 「進路って、字で書くと、“進む”って字と、“みち”って字。

  だから、進みながら決めていい。歩きながらでも、立ち止まってもいい。

  大事なのは、自分がその筆で何を書きたいか、だと思う」


 


 あすかは、その筆を見つめた。

 静かな時間が流れる。


 


 「……なあ、二人はすごいな。

  迷っても、言葉がちゃんと出てくる。うちは、どうしたらええかもよう分からんのに」


 


 真理子が、にこっと微笑んだ。


 


 「迷ってる時点で、前に進もうとしてるってことだよ。

  むしろ、私から見たら……今のあすかは、すごく“強い”と思う」


 


 「……そっか」


 


 あすかは、小さく息を吐いた。

 そして、机の上の白紙に目を落とした。


 


 「じゃあさ、うち、今の気持ち、一文字に書いてみるわ」


 


 墨をすり、筆を整え、紙の中央へ――


 「怖」


 


 その一文字は、あすかの豪快な筆にしては、やや細く、震えていた。


 


 「正直な気持ち。……でも、ここからやと思う」


 


 彼女は、ようやく、心から笑った。


 


 進路はまだ決まらない。

 でも、自分の“迷い”と“怖さ”にちゃんと向き合えたあすかは、

 少しだけ――前に進めていた。



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