【第69話】あすか、空回りの書
あすかは、書道室の窓を開けた。
秋の風が吹き抜けていく。
なのに、胸の中は暑苦しいままだった。
「なんやろ……スカッとせぇへん」
筆を握る。紙を広げる。
墨をすり、腕を振る。
“いつものように”書いている、はずなのに。
線が、にごる。
リズムが、つかめない。
力を込めれば込めるほど、どこか違う。
(なんでやろ……)
“自分らしい書”――
そのつもりで、太く、大胆に、奔放に書いてきた。
評価されなくても、誰かの心に届けばええ。
ずっとそう信じてきた。
けど、真理子の入賞を見たとき――
自分の中で、何かがざらりと軋んだ。
「あいつの字、あんなに“静か”やのに、ちゃんと届いたんやな……」
悔しいわけじゃなかった。
嫉妬でも、なかった。
でも、認めざるをえなかった。
あれは、本物だった。
自分の“爆発”だけじゃ、届かへん場所があるんやと。
何枚書いても、気持ちが乗らない。
墨は紙の上で暴れるけれど、どこにも行き場がない。
「くっそ……!」
何枚も書いて、何枚も捨てた。
紙くずが、書道室の片隅に積み重なる。
そのとき――
ガラリ、とドアが開いた。
「……あすか?」
真理子だった。
「どしたの、その紙……」
あすかは顔を背けた。
「別に、なんもない。練習しとっただけや」
けれど、真理子はその乱雑に丸められた紙の山を、そっと見た。
「……字、見てもいい?」
「……あかん。下手くそやから」
「下手くそだって、あすかの字でしょ」
その言葉に、あすかの手が止まった。
「“あすかの字”って、何なんやろな……」
真理子は、黙って待った。
「うちは、勢いだけで書いとった。
迫力とか、迫真とか、そういうもんで全部押し通してきた。
けど、それじゃ……“伝わらへん”こともあるんやな、って。
真理子の字、見て、思った」
真理子はそっと微笑んだ。
「伝わらなかったんじゃなくて、“伝わりきらなかった”だけかもよ。
あすかの字って、見ると心が動く。あったかくて、熱くなる。
でも、そこにもう少し“言葉”が乗れば――もっと届く気がするの」
「……言葉、か」
あすかは机に置いたままのノートを見た。
ページの端に、誰にも見せない“自分への言葉”が書き連ねてある。
「……うちの書に、うち自身が足りてへんかったんやな」
それを言葉にした瞬間、肩の力が少し抜けた。
「ちょっと、やり直してみるわ。なあ、真理子……今度、見てくれるか?」
真理子は笑って頷いた。
「もちろん」
その日、あすかは初めて、紙の前で“立ち止まる勇気”を知った。
ただ勢いで突っ走るだけじゃなく、
心の奥底を、一つひとつ丁寧に筆にのせてみようと、思った。
まだ“空回り”かもしれない。
けれど、その渦の中には、確かに“変わろうとする熱”があった。




