【第66話】合宿をしない夏
「今年の合宿、中止になったから」
その言葉は、顧問の飯塚先生から、静かに告げられた。
予算の都合。会場の都合。調整に失敗したらしい。
「申し訳ない。でも、代わりに何かできる方法を考えてみてほしい」
先生の言葉は誠実だったが、教室に重たい空気が流れた。
あすかは、部室の床に寝転びながら、天井を睨んでいた。
「くっそー……合宿って、うちらの恒例行事ちゃうかったんか……」
「去年の夜中練習、楽しかったよね」
真理子が苦笑いしながら呟くと、志津香も小さく頷いた。
「線香の火で筆を乾かして……意味なかったけど」
「あれ、意味あったやろ! “情熱の乾燥法”や!」
三人で笑ったが、そのあと、誰も何も言わなかった。
それぞれがどこかで、「今年は違う」という現実を感じていた。
***
夏休みが始まった。
日差しの強さとセミの声に包まれながら、三人は別々の場所にいた。
あすかは、自宅の縁側で筆を持っていた。
扇風機の風で紙がめくれ、額からは汗が流れていた。
「合宿できひんのやったら、家でやったるわ……“天童合宿”や」
そう言って、一日三十枚の書を課題にした。
自由に書いているはずなのに、どこか心が定まらない。
“誰かと一緒に”書く時間が、自分にとってどれだけ大事だったかに気づかされていた。
***
真理子は、図書館の冷房の効いた静かな一室で、一人書に向かっていた。
テーマは「継」。
受け継ぐもの。残していくもの。未来へ渡すもの。
文化祭の展示作品のヒントを探しながら、自分の“続ける理由”を筆に乗せていた。
でも、ふとした瞬間、ぽつんと心が寂しくなる。
「誰かの字が、隣にあればいいのに」
その思いが、紙の余白に滲んでいた。
***
志津香は、外部塾で新しい課題に取り組んでいた。
今回は「臨書をやめて、自由作品を」と言われ、戸惑っていた。
正解がない。答えもない。
けれど、ふと手が動いて書いた文字は――
〈一人三筆〉
それは、合宿で交わした筆の記憶。
あすかと真理子と、自分。
バラバラで、でも交わった、あの夜を思い出していた。
(離れていても、私たちは書でつながっている)
(そう思いたい。いや、そうでありたい)
***
八月の終わり、久しぶりに三人がグループチャットで言葉を交わした。
真理子:「来年こそ、絶対合宿しよう」
志津香:「その前に、“作品合宿”しない?」
あすか:「よっしゃ! 三日三晩、書き倒し合戦や!」
文字だけの会話だったけど、
それぞれの指先のぬくもりが、ほんの少し重なった気がした。
合宿をしない夏。
一緒にいられなかった夏。
でも、それでも――
書くことだけは、三人を結び続けていた。




