【第44話】あすか、暴走再び
春の気配が濃くなってきたある日の放課後。
書道室の空気は、どこかぴりついていた。
「……なあ、もう少し、線に“勢い”があってもええんちゃう?」
紙の前に立ったあすかが、真理子と志津香の前で言った。
「いや、今回は“継ぐ”がテーマだから、勢いだけじゃ伝わらないと思う」
志津香が冷静に返す。
「わかってるよ! でも、“今の私ら”を見せるって決めたやん! うち、全力の一筆、書きたいねん!」
「全力なのは分かるけど……それが“暴走”になったら、三人の書にならないよ」
真理子が、少しだけ声を低くした。
その言葉に、あすかの顔が曇る。
「……うちの書き方、また“暴走”って言うんか。去年もそうやった。
でもな、うちはもう“悔しい”って思いたくない。負けたくない。だから……だから――」
言葉がつかえて止まった。
そのまま、あすかは紙の前に立ち、誰の意見も聞かず、筆を振り下ろした。
バンッ!
豪快な音とともに、一文字――〈魂〉が紙に刻まれた。
見る者を圧倒するような線。
けれど、それは“チームの作品”には、あまりにも一人の声が強すぎた。
沈黙。
「……あすか、それ、個人作品ならすごいと思う。ほんとに」
志津香が静かに言った。
「でも今、うちらが書いてるのは“三人で継ぐ”っていう、一つの線や。
その中で、一人だけ突っ走ったら……それは“誰かを置いてく”書になってしまう」
「……」
あすかは何も言わず、筆を置いた。
机の上で墨が広がっていく音が、やけに大きく聞こえた。
その夜、あすかはノートを一人めくっていた。
(悔しい……うちは、なんでこうなるんやろ)
(でも……分かってる。
二人と一緒に書きたいって思ってるくせに、自分の気持ちばっかり突っ走って)
ページのすみに、去年の敗北後に書いた一言が残っていた。
「次は、三人で勝ちたい」
あすかは、小さく笑った。
「うち、変わってへんやん。……でも、変わらなあかんな」
翌日。
書道室に、あすかは誰よりも早く来ていた。
そして、一枚の紙を机の上に置いた。
そこには、昨日の“魂”とは違う、落ち着いた線で書かれた一文字があった。
〈歩〉
それは、“突っ走る”ことではなく、“一緒に進む”という意志の文字だった。
やがてやってきた志津香と真理子が、その紙を見て目を見開いた。
「……あすか、これ」
「うち、あかんかった。分かってたのに、また一人で突っ走ってしもうて」
「でも、“勝ちたい”って気持ちは、本気やったんや。だから、“一緒に勝つ”方法、ちゃんと考える」
その言葉に、真理子が言った。
「……ありがとう、あすか。私、ちゃんと伝えてよかった」
志津香も、ふっと笑った。
「“暴走”してもいいよ。止めるから。うちら、そういうチームだもんね」
「せやな。でも今度は、止められんようにする前に、ちゃんと“声”にする」
あすかは、まっすぐ二人の目を見て、力強く言った。
そして三人は、もう一度紙を前に並び、静かに筆を握った。
今回は、暴走じゃない。
“心をそろえる”ための、最初の一画だった。




