【第42話】真理子の意地
冬の空気が冷たさを増し、放課後の書道室にも、ストーブの温もりが恋しくなる季節になっていた。
その日、書道部は次の展示に向けて、それぞれの「今の自分」を表す一文字を書いていた。
「一発で決めてやる!」
あすかが気合いを込めて紙を広げる。
「……紙と筆は丁寧に扱って」
志津香が苦笑しながら言う。
真理子はといえば、五枚目の紙に、また手を止めていた。
(書けない。気持ちだけはあるのに、線に出てこない)
焦りはない。
でも――確かに、苦しさがあった。
周りの二人は、書道が“武器”だ。
あすかは豪快な筆致で、志津香は繊細な美しさで。
自分には何があるのか。
真理子はずっと、それを探していた。
そんなときだった。
展示候補の作品を集めたテーブルの前で、後輩のひとりがぽつりと言った。
「……やっぱり真理子先輩の字って、“地味”っていうか……目立たないですよね」
その言葉に、空気が少しだけ凍った。
後輩は悪気があったわけではない。
でも、その無自覚な言葉が、真理子の胸に深く刺さった。
「……そやな。派手さもないし、インパクトもない。ずっとそう言われてきたよ」
あすかが思わず口を開きかけたが、真理子が手で制した。
「でも、それでも、私は書いてきた。
何百回も、線をなぞって、何冊もノートを埋めて。
一度も“うまいね”なんて言われなくても、やめなかったんだ」
いつも静かで、おっとりしている真理子の声が、そのときだけははっきりと響いた。
「私の字は、“積み重ねた線”だよ。
一枚の派手さよりも、見えない努力の方が重いって、証明したい。……これが、私の意地なんだ」
後輩は、驚いたように言葉を飲み込み、そっと頭を下げた。
その晩、真理子は一人残って、作品に向き合っていた。
決して“映える”字ではない。
でも、何百回と書き直してきた、自分だけの線だった。
そして書き上げた一文字。
〈積〉
どこまでも素朴で、控えめで、けれど一画一画が、まっすぐだった。
翌日、それを見たあすかが言った。
「……ほんまに、“真理子の字”やね」
「ぶれへん線や。一本ずつ、まっすぐや」
「ありがとう」
真理子は小さく、でも誇らしげに笑った。
誰にも気づかれないところで、何かを積み上げる強さがある。
それは、派手さや天才とは違うけれど、確かに書道部を支える“芯”だった。
このとき、真理子は「意地を張ること」の意味を知った。
それは誰かに勝つためじゃない。
“自分の努力”を、自分自身が否定しないための、戦いだった。




