【第41話】あすかの素直さ
書道室に、少し冷たい風が吹き込んだ。
その日は冬のはじまりを感じさせる曇り空で、午後四時の部活には、あすかだけがいた。
真理子と志津香は、用事で遅れていた。
(書く気分ちゃうなあ……)
そう思いながら、あすかは筆を持った。
(……いや、違う。書きたい字があるけど、書かれへん。心が引っかかってるんや)
頭に浮かぶのは、数日前のことだった。
文化祭準備で忙しかったある日、あすかは焦りと苛立ちで、真理子にきつく当たってしまった。
「なんでそんなにのんびりしてんの!? そんなんじゃ間に合わへんやん!」
あの瞬間、真理子の顔が少しだけ強張った。
でも、何も言わずに作業を続けてくれた。
謝らなきゃ、と思っていた。
でも、謝るタイミングを何度も逃した。
「謝るくらいなら、書いて見せろやって、ずっと思ってた。でもそれって、ただ逃げてただけなんやな……」
ぽつりと、あすかは独り言を漏らした。
彼女は一枚の半紙を広げ、筆を立てた。
そして、一文字――
〈謝〉
力強く、でもどこか、筆が柔らかかった。
書き終えたあと、あすかは深く息を吐いた。
そのとき、扉が開いた。
「ごめん、遅くなって――」
真理子と志津香が入ってくる。
あすかは慌てて紙を隠しかけたが、真理子がちらりと見て、言った。
「……それ、“謝”?」
「……うん」
あすかは、少しだけ顔を背けた。
「この前、文化祭の準備で……うち、真理子にきつく言ったやろ。
あのとき、ほんまにごめん。焦ってたんよ。けど、それって真理子にぶつけてええことやなかった。……ごめんな」
真理子は、一瞬驚いたように目を見開き、それから笑った。
「ううん。うれしい。……あすかがそう言ってくれるの、すごく」
「へえ、珍しいな、あすかが“素直”に謝るなんて」
志津香が冗談めかして笑う。
「うるさいなぁ。でも……素直になんのって、勇気いるねんで」
「分かるよ」
真理子が頷く。
「でも、書いてから言葉にしてくれたの、あすからしくていいと思う」
あすかは照れくさそうに頭をかいた。
「言葉って、うちにはむずかしい。でも……筆が、背中押してくれる気がしたんよ」
そのとき、書道室には、言葉以上にやわらかくてあたたかい空気が流れた。
夕陽が差し込み、あすかの書いた「謝」の一文字が、淡く照らされていた。
それはただの「謝罪」じゃなかった。
自分の感情と向き合い、それを人に“届けたい”と願った、彼女の成長の証だった。




