表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
筆の軌跡 **「未」**  作者: 南蛇井


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

38/150

【第38話】初めての「ありがとう」

文化祭が終わって数日後の放課後。

 書道室には柔らかい日が差し込み、いつもの静けさが戻っていた。


 あすかは床に腰を下ろし、墨をすっている。

 志津香は筆を整えながら、新しい課題に目を通していた。


 そこに、真理子がノートを片手に入ってきた。


 「ねえ……ちょっと、これ見て」


 彼女が手にしていたのは、文化祭で使われた感想ノートの“原本”だった。


 「この字……」

 真理子は、ある一文を指差した。


 「あなたたちの字は、嘘がないと思いました」


 「……あ、それ。あったな」

 あすかが頷く。


 「この字……たぶん、あの子だと思う」

 真理子は声を潜めた。


 「一年の、瀬川さん。前に、私に“問って字、好きです”って言ってきた子」


 「え、あのちょっと内気そうな子?」

 志津香が言う。


 「うん。話すのがすごく苦手みたいだったけど、あの展示の日、一人でずっと作品を見てて……。

  たぶん、誰にも気づかれないように書いていったんだと思う」


 沈黙が流れる。


 「……よし」

 あすかが急に立ち上がった。


 「お礼言いに行こ。こういうのって、言葉にしとかないと、ダメなんだって最近思うようになってきた」


 「うん。私も、ちゃんと伝えたい」

 真理子が続いた。


 「“ありがとう”って、ちゃんと口にするの、実は私……書くより緊張するけど」


 「だからこそ、言葉で言わなきゃね」

 志津香が微笑んだ。


 


 放課後、三人は瀬川莉子を呼び出した。

 図書室の奥で静かに本を読んでいた彼女は、少し驚いた顔を見せたが、三人の姿に気づくと、おずおずと立ち上がった。


 「瀬川さん、文化祭の感想ノート……書いてくれたよね?」


 あすかの問いかけに、瀬川は一瞬目を見開き、それからおずおずとうなずいた。


 「ご、ごめんなさい……名前、書けなくて。でも……すごく、心に残ってて……どうしても何か、伝えたくて……」


 「ありがとう」

 真理子が、小さく、でもはっきりと言った。


 「瀬川さんの言葉、すごく、私たちに届きました」


 「“嘘がない”って言ってくれたの、あれ……多分、うちらが聞きたかった言葉だったんだよ」

 あすかが言った。


 「言葉にするのって、怖いよね。でも、伝えてくれて嬉しかった」

 志津香も静かに続けた。


 瀬川は、目に涙をためながら、そっと頭を下げた。


 「……私、書くのが苦手で。話すのも、怖くて。でも、あの日、三人の字を見て、初めて“字って言葉になるんだ”って思えたんです」


 「うちらも、同じだよ。話すのが苦手で、だから筆で叫んでた」

 あすかが笑った。


 「筆の力って、すごいね」

 真理子が小さく言った。


 その日、四人は長くは話さなかった。

 でも、たしかに“ありがとう”が通じた。

 そして、“伝えたい”と思った気持ちが届いた。


 それは、筆だけでは伝えきれないことがあるからこそ、

 言葉が、やっぱり必要だと思える瞬間だった。


 そしてその「ありがとう」は、

 三人にとって、最初の――けれど、何よりも大切な“感謝の筆跡”となった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ