【第39話】書道部の風景
午後四時。
秋が深まる空の下、書道室には穏やかな空気が流れていた。
窓を少しだけ開けた隙間から、乾いた風がふっと吹き込む。
墨の香りと紙の音、筆のすれる音――それは、変わらない“日常の風景”。
「あすか、また墨、飛ばしてるよ」
志津香が笑いながら、あすかの机に近づく。
「しゃーないやん!勢いってもんがあるんやから!」
元気よく返しつつも、筆先を見て、あすかは少しだけ照れたように笑った。
真理子は部屋の隅で、黙々と字を書いていた。
静かに、丁寧に、けれど以前よりも少し肩の力が抜けたような、柔らかい筆致。
「あのさ……なんか、ちょっと前まで、もっとピリピリしてたよね、うちら」
あすかがふとつぶやいた。
「文化祭前とか、新人戦のときとか?」
志津香が応じる。
「そうそう。なんか、“勝たなきゃ”とか、“うまく書かなきゃ”って、ずっと背中に板みたいなの背負ってた感じ」
「……でも今は、なんか違うよね」
真理子がそっと言う。
「“うまく”じゃなくて、“ちゃんと書きたい”って気持ちの方が、強くなってる気がする」
「うん。それって、いいことだと思うよ」
志津香は筆を洗いながら言った。
「何のために書いてるのか、ちゃんと分かってきたからかもね」
沈黙。
でもその静けさは、決して気まずいものではなかった。
むしろ居心地がよく、言葉がいらないほどに通じ合った空気が、部屋に満ちていた。
窓の外から、グラウンドの掛け声が遠くに聞こえる。
真理子がふと、カーテンの影から夕陽を眺めた。
「……この部屋、好きだな」
その言葉に、あすかと志津香が顔を上げる。
「うん、分かる。なんか、ここに来ると“素”に戻れるんだよな」
「一番、自分らしくいられる場所かもしれない」
「字もそうだけど、この時間も、全部ひっくるめて“書道部”って感じだよね」
三人は、何も言わずにうなずき合った。
やがて、あすかが唐突に言った。
「なあ、次、三人で何書く? 次の目標って、何にしよっか」
「もう次の企画、考えてるの?」
志津香が笑う。
「うち、思いついたことは言うねん。ええやん、動いてる方が落ち着くし」
「……じゃあ、冬の展示に向けて、“今の自分”をテーマにした一字、やってみない?」
志津香のその提案に、真理子が小さくうなずく。
「“今の自分”か……いいね。今なら、少しは迷わず書けるかも」
そのとき、日が傾き、部屋の中が少し赤く染まった。
書道室の風景は、いつもと同じようで、どこかちがっていた。
墨の香りの中に、“三人の今”が、たしかに染み込んでいた。




