表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
筆の軌跡 **「未」**  作者: 南蛇井


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

34/150

【第34話】真理子、筆を折りかける

11月半ばの午後、書道室の片隅に、山下真理子の姿があった。


 白い半紙を前に、筆を持ったまま、動けずにいた。


 (また、同じ……)


 何枚書いても、自分の字は変わらなかった。

 どこか教科書通りで、整いすぎていて、迫力がなかった。

 “上手”と言われても、“うまいね”の奥に何も残らない。


 最近、後輩たちの勢いが増してきた。

 あすかは感情のままに書いて、見る者を惹きつける。

 志津香は線ひとつで空気を変える。

 でも、自分には――


 (私の字、誰かに響いてるのかな……)


 書道を始めたときの自分が、少しだけ遠くに感じた。


 筆を持ち直す。

 墨をつける。

 紙を広げる。


 それでも、手が動かない。


 「……ねえ、真理子」


 そのとき、書道室の扉が静かに開き、あすかの声が響いた。


 「一緒に帰ろうと思って、来たんだけど……」


 真理子の様子に気づいたあすかは、眉をひそめた。


 「どうしたの? 顔、疲れてんじゃん」


 「……書けないの」


 真理子は、弱音を吐いた。

 あすかの前で、こんな言葉をこぼすのは、初めてだった。


 「書いても書いても、全部“誰でも書ける”字になるの。

  私は……私の線が、何を伝えてるのか分からなくなって……」


 静かな告白だった。

 それは、ずっと胸の奥でぐつぐつ煮えていた不安だった。


 あすかは、黙って真理子の前に座った。


 「うちさ、“豪快でいいな”って、よく言われるけど……その裏で、ずっと“あんたみたいに丁寧に書けたら”って思ってたよ」


 「え……」


 「真理子の字って、“ちゃんと向き合ってる”のが伝わるんだよ。

  派手じゃなくても、一画一画に、“これでいいのか”って迷いが入っててさ。

  それが、読む人の心を揺らすんじゃない?」


 真理子は、目を伏せた。


 「あすかは、そうやって人を元気づけられるけど、私には――」


 「ちがうよ」


 あすかはきっぱり言った。


 「真理子の字に、うちは何度も励まされてきた。

  “平凡”だなんて思ったこと、一度もない。

  それ、うちにとっては、“ちゃんと届く字”だったんだよ」


 静かに、言葉が胸に沁みた。


 真理子はそっと、筆を見つめた。

 ずっと使ってきた、自分の手になじんだ筆。


 折ろうとしたわけじゃない。

 でも、書けない自分が情けなくて、この筆を見つめるのがつらかった。


 「……私、書き続けていいのかな」


 「あたりまえじゃん。書きたくて書いてるんだろ?

  “迷ってる真理子の字”が、一番真理子っぽくて、好きなんだよ、うちは」


 真理子は、笑った。


 それは、少し泣きそうな笑顔だった。


 もう一度だけ、紙を広げる。


 墨を吸った筆先が、すっと紙の上を走る。


 一文字、「問」。


 それが、今の真理子にとっての、まぎれもない“書く理由”だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ