【第22話】書道室の休日
土曜日の午前、学校は静まり返っていた。
授業もなく、部活も休み。
それなのに——書道室の扉が、すぅっと音を立てて開く。
「……やっぱ、来ちゃった」
あすかだった。
ジャージに髪をひとつに結んで、道具一式を肩にかけている。
昨日、田島先生から「今週末は部室使用禁止。備品の整理があるから」と言われていたはずだった。
でも、それはあくまで「全体の活動」としての話。
鍵は、個人練習のために希望者に貸し出されていた。
「やることないと、手がムズムズしてくるんだよな」
と、ひとりごとを言いながら、窓を開けて風を入れる。
うっすらと埃の混じった匂いが、書道室に充満していた。
机の上には、数日前に書いた練習用の半紙がそのまま残っている。
少し黄ばんだ紙の上の「翔」の字を見て、あすかはにやりと笑った。
「よっしゃ、今日は“書道室で休日満喫”ってやつだな」
墨をすりはじめた、その時だった。
「……やっぱ、来てた」
扉の隙間から現れたのは、志津香だった。
「うおっ、まさかの! 志津香もか!」
「……あなたも来てると思ってたわ」
「おい、どんだけ読み合ってんのよ、うちら」
志津香はすでに制服を脱いで部活用のエプロン姿。
手には自前の筆が一本だけ握られている。
「休みだからこそ、余計な音がない。書くには、いい日だと思って」
「なるほど。志津香ってば、ロマンチスト」
二人で笑っていると、さらにもうひとり、足音が。
「……あ」
戸口に立ったのは、真理子だった。
紙袋と水筒を抱えたまま、少しばつの悪そうな顔をしている。
「……お弁当、持ってきちゃった……誰か来てると思って」
三人、目が合う。
沈黙——そして、
「なんでみんな来てるんだよ!」
あすかが笑いながら叫ぶ。
「別に約束したわけじゃないのに、なんで……」
「書道室って、そういう場所なのよ」
志津香がぼそりとつぶやいた。
「誰にも呼ばれてないのに、気づいたら来てて。で、誰かがいて、書き始めてる。……この空気、好き」
真理子は笑って頷いた。
「一緒に書かなくても、同じ場所で書ける。それだけで、なんか安心するよね」
「うん。うちの部室、たぶん空気に“墨の記憶”が染みてるわ」
三人はそれぞれの席につく。
書くものは違う。文字も違う。スピードも、息遣いも。
でも、筆を走らせる時間は、どこか優しく重なっていた。
昼になり、真理子が持ってきたお弁当を三人で分けた。
「次の課題、何にしようかね」
「まだ“課題”って気分じゃないけどなー。こういう日は“無意味に書く日”にしようぜ」
「“無意味”って、案外、大事なのかも」
墨の香りに包まれながら、ゆっくりと時間が流れていく。
それは特別な成果のない一日だった。
でも、心のどこかに深く刻まれる、確かな“休日の記憶”だった。




