【第101話】最後の春、始まる
三年生になった朝、成河高校の渡り廊下は、風が通っていた。
桜はすっかり散り、若葉が揺れている。制服の袖は少しだけ薄く、背筋は前より真っ直ぐだ。
あすか、志津香、真理子は、それぞれの新しい教室で、静かにホームルームを迎えていた。
同じクラスにはならなかった。でも、三人ともそれに文句を言わなかった。
「そりゃちょっとさみしいけど……うちは、書道室で会えたら十分や」
そう言ったあすかの声が、やけに頼もしく響いた。
始業式のあとの昼休み。
誰よりも早く、三人は書道室の鍵を借りに行った。
書道室の扉を開けると、空気の匂いがほんの少し変わっていた。
冬の重たい冷気はすでになく、春の乾いた紙と木の香りがしていた。
「ああ……なんか、懐かしいね」
真理子が、扉の前で目を細める。
「懐かしいって、まだ終わってへんやろ」
あすかが笑いながら中に入る。
「そう。でも、何かが“はじまる”っていうより、“終わっていく”って感じがして……ちょっとだけ」
志津香がそうつぶやいたとき、あすかが静かに口を開いた。
「終わっていくんと、始まっていくんは、たぶんおんなじことや。
うちらの“最後の一年”、始まるんやで」
三人の視線が、揃って一枚の壁へ向いた。
去年の卒業式前に貼った色紙――「真」「間」「続」の三文字が、静かにそこにあった。
真理子がゆっくりと机を拭き始めた。
志津香は、筆の毛並みを確認し、棚を整える。
あすかは、窓を開け放って、新しい風を呼び込んだ。
そこに、後輩たちがノックもせずに飛び込んできた。
「先輩! 新学期の書道室って、やっぱ空気ちがいますね!」
元気よく言うのは伊藤。その後ろには山根、結子も控えている。
「ほんまや。部室っちゅうより、“うちらの場所”やな」
あすかが、照れたように笑う。
「さて……今年のテーマ、決めなきゃ」
志津香がつぶやく。
「うん。今年は、たぶん、もう一度“自分の字”を見つめ直す一年になると思う」
真理子が応える。
「挑戦もするし、引き継ぎもある。でも一番大事なのは、**この一年に何を“書き残すか”**やと思う」
あすかの言葉に、全員の顔が引き締まった。
そのとき、不思議なほどに風が吹き抜けた。
紙の山がふわりと揺れ、棚の上の墨壺のふたが、静かに音を立てて閉まる。
春が、確かに“最後の一年”を告げていた。
挑戦と別れ。継承と覚悟。
そのすべてが、これからの五十話に描かれていく。
書道室は、また静かに動き出す。




