第二節「支丞」
デメーテルいわく支丞市で大変なことが起きていると。知らせを聞いた隆希たち四人……いや、友香を含めた五人は急いで支丞に戻ることにした。
デメーテルに言われてはじめて見たそのニュースには、信じがたいことが報道されていた。
「人が誰も入れないって……、結界のたぐいかな」
タクシーの中で、隆希は銀埜に尋ねた。銀埜はタブレットの画面に目を落とし、表示された動画を見ながら、
「そうだなあ。今の段階ではまだ何も言えないな。おそらくそのたぐいだろうが、街を一つ覆い尽くす程の実干渉結界なんてそうそう無いぞ。いや、ありえないと思う」
ニュースで報道されていた支丞市の現状。理由は不明だが、街の中に誰も入れないという事態が起こっているらしい。まるで見えない壁があるかのように。
隆希たちはこれがヘスティアのしわざではないかと疑っていた。いや、ほとんど確信していた。彼女の計画についてはまだほとんど曖昧だが、さっき彼女にあって今これだ。それに彼女は支丞市で起きた魔術師の絡んだ事件にも関わっていた。彼女が黒であることには間違いないだろう。
支丞市を襲った怪異はヘスティアの作り出した結界のせいだろうというのが隆希たちの予想だった。しかし、実際に壁を創りだしてしまうような――実干渉結界というものは狭い範囲ですら多大な魔力を消費する。街一つを覆い尽くすくらいの結界となれば、いくら土地の魔力を使ったとしても、オドが足りなくなるはずだ。
「ううん、そうでもないかもしれない。不可能ではないと思う」
同じタクシーに乗っていた友香がぽつりと言った。
「というと?」
「言霊魔術みたいなARCタイプなら、魔力消費は最低限だし、オドの消費はコネクトの瞬間と認識の持続だけ。結界魔術に応用するなら、普通の十パーセントほどの魔力使用でいいはず。それに場所が場所だからね。レイライン方式の結界だろうし」
「そうか言霊にレイラインを組み合わせれば最高の大規模結界が作れるな……」
「レイラインってあれだっけ。昔の建物とかの配置を線で結ぶと意味のある形が浮かび上がるという」
そう、と銀埜は頷く。
「日本で言えば平安京、西洋で言えばドラゴン退治の教会群。建物と自然物を配置した、置換型回路の結界だ」
「でも、なんたってヘスティアはそんな大規模結界を作る必要があるんだ? わざわざ一般人にも異常と認識されるようなことで」
現代の魔術師は基本的に一般人の目のつかないところで魔術を使う傾向にある。魔術認知度がほとんどない現代社会では、自分が魔術をう使うということを一般の人間に知られることはデメリットでしかない。
「そりゃ、何のためって。結界で土地を限るということはもともと修行をするためか儀式をするためかって相場は決まってる」
当然だろ、といった表情の銀埜。友香も同上だった。結界術をほとんど使うことのない隆希にはそういった知識は無かったが、どうやらそれは常識なのらしい。隆希本人の使う結界術といえば反射結界くらいであり、身を護る術としての結界が身についていたのだ。
「お客さん、そろそろ着きますよ」
運転手の声に外を見てみると支丞市のとなりの街まで来ていた。六車線もある大きな道路だが、今日は極端に車通りが少なかった。それも当然のことだ。この先、支丞市は通り抜けできないのだから。
「運転手さん、ここらで止まってください」
隆希は運転手にそう告げた。車はゆっくりと停車し、銀埜が料金を払い、三人は車を降りた。後ろからもう一台のタクシーで着いてきていた玄恵と美波も同じく合流した。
ここからは歩きだ。もう支丞までそう遠くない。
「銀埜、支丞市の方、なにか感じるか?」
「ん、そうだな……」
隆希に言われて、銀埜は支丞市の方を目を細めるようにして見た。
「今のところ、特に何も感じない。大規模結界が張られているのなら、もう反応があってもおかしくないけどな」
「察知妨害の可能性は?」
「いや、それはないだろう。察知妨害なら、それ自体に気づくからな」
反応は皆無。銀埜いわく、結界がはられている気配はないという。
玄恵と友香もそれに同意見だったが美波だけわずかに結界らしき気配を感じ取ったという。
「結界かはわからないけれど、何かあるよ。多分、銀埜が感じていないということは、魔力の動きじゃなくて、もっと別の動きかもしれない」
「別のものか。まあ、結界付近まで行ってみれば分かることだし、さっさと行こう」
五人はそのまま進み、支丞市との市境近くまでやってきた。市境では警察車両が道を封鎖していた。二人の警察官が暇そうにしている。
このまま進んでしまっては、警察官に押しとどめられ、調べることもできそうにない。
隆希は路地に入り、一本奥の細い道を行くことを提案した。この国道に沿うようにしてある細い道で、車の離合すらできないような道だ。
路地に入り、目的の道へと出てみると市境付近には通行止めと書かれた札とともに、三角コーンが置いてあったが人の姿はなかった。
「よし、これなら調査もできそうだな」
「おう、んじゃ早速っと」
銀埜は真っ先に前に進んだ。
「ここが市境だよな」
道には横に白い線が引かれ、奥が支丞市であることを示していた。ニュースなどの話だと、ここを境に向こう側へは入れないはずだった。銀埜は道端に転がっていた空き缶を手に取ると、向こう側へおもいっきり投げてみた。
空き缶はただ普通に市境を越えていった。
「ふむ、なるほど」
今度は銀埜は市境の方へ手を伸ばしてみた。報道によれば何か壁のようなものに触れるはずだった。
しかし、銀埜の手はそこに何も無いように宙を掻くだけだった。
「あれ、おかしいな」
何度試しても同じことだ。手どころか、普通に支丞市にはいることができた。銀埜だけでなく、隆希や玄恵、美波、そして友香も何の障害もなく支丞市に入れてしまった。
「どういうことだ? ニュースでは誰も入れないって言ってたんだろう?」
「うん、そのはずだよ」
玄恵は市境のちょうど中央に立ち、きょろきょろとあたりを見回した。
「うーん。結界のある感じはしないんだけど、ここに確かに、魔力の壁らしきものはあるみたい。銀埜も気づいているでしょう?」
「ああ。市境を境界線にして、支丞市側のマナが規則正しすぎる。自然の状態ではありえない」
それが結界だという証拠にはならないが、銀埜が言うには、マナが通常ここまで方向性正しく揃うことはないという。
確かにそれは隆希も感じていた。漠然とした感覚ではあるが、ここは妙に清浄に感じられたのだ。何もかもが整っているような感覚。少なくとも、いつも住み慣れた支丞市とはまったくまとう何かが違った。
「でも、これはやっぱり結界だよ」
一人地面に屈みこんでいた友香が立ち上がり言った。
「マナの正常化はどうしても人間の仕業。おそらく、土地を限って魔力の方向性を統御して何らかの儀式を行おうとしてるんじゃないかな。そして、結界中には招かれざる客は入れない」
「招かれざる客か。じゃあ俺たちは招かれた客ということか」
「そうなるな。俺たち五人に共通することと言ったら、全員ヘスティアに関わっていること。それと……」
「全員魔術師ってこと。かしら?」
突然の女性の声に五人は振り返る。そこには隆希のよく見知った顔があった。
「ね、姉さん? なんでこんなところに?」
隆希の姉もとい蒼河許火は笑顔で、よっ、と、手をあげた。
「隆希、お前お姉さんいたのか」
許火の登場に驚いたのは隆希だけではなかった。銀埜たちもまた、隆希に姉弟がいたことを知らなかった。
「ん、ああ。まあ」
「久しぶりだなー、我が弟よー。無事で何より」
許火は戸惑う隆希の肩に手を起き、にこりと笑う。そして銀埜たちの方に向き直ると小さく会釈をした。
「どうも、いつも弟がお世話になってるのかな。私は、蒼河許火。よろしくね、みんな」
「いやいや、よろしく、じゃなくてさ。なんで姉さんが支丞にいるんだよ」
「いやいやって。私の仕事忘れた? 支丞市の事件を報道しに来たの。そしたらまあ、面倒なことになっているなあってね。さて、早速だけど」
許火はどこからかメモ紙のようなものを取り出し、隆希に手渡した。
「これは?」
手に収まるほどのメモ紙だったが、そこにはいろいろと書き込まれていた。
「お前が来るんじゃないかって思って、出来る限り調べられたことをまとめておいた。私はこれからまだ仕事に戻らなきゃいけないから。あとはお前たちに任せればそれでだいじょうぶと思ったんだ」
確かにメモには結界に関することや、支丞市に関わることが所狭しと書いてある。リポートの合間に記したのだろうか。インタビューらしきものも書かれていた。
「ありがとう」
「うん。死なない程度に頑張ってくれよ……。なにか嫌な感じがするんだ」
そう言うと許火は東の方角を睨んだ。それにつられて隆希たちもそちらに目をやる。
すると東の空が夕色に染まっていた。
時刻はまだ昼を回ったばかり。夕方にはまだ早すぎる。
確かに嫌な感じだった。
いつもなら美しさを感じられそうなほどきれいな夕色が、今はそこはかとなく気持ち悪く感じられた。
許火はそれから気をつけるように念を押すと、大通りの方へと去っていった。
「隆希、お姉さんのメモにはなんて書いてあるんだ?」
「うん、ちょっと待って……」
隆希はメモに目を落とし、内容をざっと読み取った。
「結界の性質が結構細かく書いてある。一番外の人を払う結界は、内側のレイライン式結界の集陣の役割をしているらしい」
「なるほどな。支丞市をまるごと結界回路に使うってことか」
「まるごとって?」
「さっきも言ったじゃないか。支丞市の四神相応な土地はそのまま魔術回路に見立てることができる。多分、セオリー通りなら東西南北の四カ所と……おそらく街中央付近に二カ所の中規模魔術陣……。それに街中に二十二箇所の小規模魔術陣で合計二十八の陣からなる大結界だとおもう」
「二十八も! そんなにどうするんだよ」
この魔術陣の意図はまだ明確ではないが、魔術陣を解除するとなれば、それを構成する要素となっている魔術陣を一つ一つ解除していくしか方法はない。
「どうもこうもないさ。ゆっくり解呪していこう。よし二手に分かれて行動しよう。みんな、これを持っていてくれ」
銀埜はそう言って四人にそれぞれ数個ずつビー玉のようなものを渡した。銀埜特製の魔具らしい。
「解呪の助けになると思う。連絡もそれを媒介に行えるはずだ」
「わかった。じゃあ、銀埜と玄恵で北のほうを頼む。俺と美波は東の方に行く。それと、えっと」
「私もあなたの方についていく」
友香ははっきりと言い切った。東といえば、杭森地区の方角だ。何か友人の手がかりがつかめると思ったのだろう。
隆希は大きく頷いた。
「じゃあ早速行こう。まだヘスティアの目的はわかってないけれど。でも、そのうち統治家の面々もこの街にやってくるだろうし、きっと協会も。それまでに出来る限り結界を解呪していこう」
他の四人も同意し、五人はそれぞれ二手に分かれて街を探索することになった。
そうしている間にも東から始まった夕は支丞を覆い尽くさんとばかりに広がっていた。




