詠唱が長過ぎる
グッ、と気を込めた様な彼女の表情。こちらにも緊張が伝わる。
「私はトーネスのミリスです」
「…」
トーネス村のミリス。外国生まれの帰国子女と言う事か。
「櫻野ミリスさんですか」
「トーネスの、ミリス、です」
「トーネス…どこにあるんです?」
「西方性王国の北、インヴァネス辺境伯領の西に御座います」
「西方聖王国…」
ヨーロッパ、中欧か東欧にある国だろうか。ブルガリアやスロベニアの別名かな?共産主義政権後の国の在り方の拠り所として、王政復古運動が盛んだった国々がある。
「ブルガリアですか?」
「…西方聖王国です。私が生きておりました頃は、ディニス4世陛下の治世でした」
「…生きていた頃?…生きていた?」
「はい。生きていた頃の記憶です」
本当に覚えておられないのですね、と空気の様に呟くと、彼女は寂しそうに微笑んだ。私はどんな顔をして応えれば良いのか分からない。
「それはつまり、過去の記憶…」
「そうです、私の前世の記憶です」
「前世ですか…」
「私は猊下のお口添えで聖下に列聖頂きました」
…列聖?
「前世で殉教した、と言う意味?」
「いえ…トーネスで猊下にお見つけ頂き、聖下に列聖頂きました」
「列聖ですか。教会のお話ですね」
「はい、西方聖教会より…お恥ずかしながら、聖女、と」
「聖女…」
中二病、伊集院光。死に至る病、セーレン・キェルケゴール。私は今、何者と会話しているのだろう。前世はミリスと名乗る少女、教会より聖女に列聖された乙女。前世の話を終えた彼女は何か肩の荷でも下ろしたかの様にホッとした様子で私を見返している。これは何かの勧誘か、約束の地へ誘う使徒か何かか?…分からない、昨日は泣き、今日は惑わす。
「お覚えでは御座いませんか?私を」
「…すみません、全く」
「そうですか…」
残念そうに溜息を吐こうとして、彼女はそれを押し殺す。
「前世の記憶がなくてすみません。私は貴女の前世では、何をしていたんですか?」
えっ?と一瞬驚きの表情で見上げ、しばらく考え込む様に視線を右へ走らせると、再びその視線を私の方へ戻した。いや、驚かれても私は私の前世を知らないので仕方ないかと…。
「そうですね、猊下は『賢者』として尊敬されておりました」
かく言う私もその一人ですよ、と無邪気に笑う。
「へぇ…」
あまりの非現実的な言動が思考を停止させる。他人事に過ぎた言い方が気に障ったらしい。鍵を持つ手を掴まれる。昨日から彼女、何気に力は強いのだが?むやみに人を掴むのはいかがなものか。淑女たるもの、掴んで宜しいですかと先ずは相手に聞くべき。私は逃げも隠れもしない。まるで私人逮捕の様な振る舞いは甚だ心外です。
視線で晶君に伝えるも、ス・ミ・マ・セ・ン、との返事。いや、返事をしたのだと思い込む事にしよう。私は寛大な大人、君の瞳を敢えて善意に解釈する男。正直私43歳厄年、この状況で躊躇ない女子中学生に度々手を腕を掴まれる状況は改めて社会的な死を意味するのではないか、と思うのDEATH。それはまるで痴漢か不審者を捕えている絵面に見えなくはないだろうか。乙女よ頼む、聖女だろうと悪女だろうと私をあらぬ疑いの眼差しで見られる事のない様に気遣う慈悲の心を。振り払うには大人げない、従うにはやぶさかでないが、その点ご留意頂きたい。
「この場所は危険です」
「危険??」
「澱みが…」
鍵をお貸し下さい、と私の手から鍵を取り上げると、慎重な手つきで鍵穴に差し込む。瞬間、バチン!と派手に静電気が音を立てる。一瞬の青白い輝きが彼女の右腕から右半身に走り、中空に消えた。唖然とする私を尻目に彼女は警戒するかの様に静かに扉を開け始める。何度か止め、それはスローモーションと言うより段階を踏んだ儀式、扉開けの儀、とでも言えば良いのだろう。聖女は扉の開け閉めに厳格なのか。流石聖女。
「入ります」
どうぞ、と言う言葉も出ない。私は、いや、我々は本当に一体何を見せられているのか。滑稽と彼女を笑うには真剣に過ぎ、冷静と言うには礼節を欠き、慎重と言うには冒険的な行動に見える。どこかで(何をしているのか)と、その行動を止めたいと思いつつ、予定調和の様式美から逸脱した謎の動作に未だ判断も出来ず、男が二人立ち尽くす。
「…猊下、やはり…ここは穢れております」
「穢れ?」
「…ご無礼とは存じますが、猊下ご自身も」
「私も??」
「猊下に触れて、僅かですが…魔族の気配を感じます」
「魔族??」
「今から穢れをお祓い致します」
「ま、待って」
「…」
「穢れとか祓うとか、ちょっと待って下さい」
「浄化致します。お覚悟を」
ここは止めないと面倒そうだ。開店準備もある。彼女を子供と言うには抵抗を覚えつつ、子供の“ごっこ”に付き合うには時間的余裕は、あまりない。そこのカウンターで飲み物でも選んでくれ、と言う呼び掛けにも応えず、頭をお下げ下さいとアナウンスする。ここは付き合うしかないのか。
頭を下げると軽く手を添えたらしい。柔らかく軽やかな感触を頭頂部に感じる。優しい手だ、と油断した瞬間だった。
「ロ・アリアストル・レゼル…」
囁く様に唱えるのは何かの呪文なのだろうが、その韻に妙な懐かしさを感じるのは多分気のせい。それどころか先程まで羽根の様に軽い指先の触れる感触が加速度的に重力を帯びる。それはまるで跪けとでも言うかの様な圧。私は姿勢を保つので精一杯なのに、目のみ動かせる可能な範囲で見上げた櫻野さんの顔にはうっすらと笑みうすら浮かぶ。この歳で頭を撫でられるのは不本意且つ、やはり気恥ずかしい。そして晶君、君は何故撫でられないのか。これこそまさに同級生たる君の役目ではないだろうかと私は信ずる。でもちょっと詠唱が長いですよ?




