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牛を飼って暮らしています

もう1時間が経った。だが、まだ2時間ある。


「…僕で良ければ」


んん?


「…」


ケゲンな顔はやめてほしい。あくまでも冗談冗談。


「ところで友永君、下の名前を教えてもらっても?」

「晶(あきら)です」

「いい名前ですね」

「…ありがとうございます」


でも、アッキーとか、アキリンとか、ちょっと女の子っぽく呼ばれやすい名前との事。名前にも色々あるらしい。


「学校は楽しいですか?」

「普通です」

「そうですか」


やっぱり中学生。学校も色々大変なんだな、多分。


「すみません、色々聞き過ぎですね」

「そんな、全然」


本当に?…あ、折角だから


「恋バナでもしませんか?」

「ええ??」

「苦手ですか?」

「ちょっと…」

「恋愛小説家を助けると思って、是非」

「…ズルいです、先生」

「悪い大人にはご注意を。で、早速ですが…晶君、好きな人はいますか?」

「ノーコメントです」


愛想笑いを浮かべる彼。これは見事に返された。


「それは残念。気になる人も?」

「気になる人………分かりません」

「幼馴染とか」

「…幼稚園からの知り合いなら、櫻野さん」

「櫻野さん?どんな方ですか?」

「同級生です」

「…きっと素敵な方なんでしょうね」

「…優しい人です。先生は?結婚…」

「してません」

「ですよね。好きな人とか」

「おりません」

「ええー…」

「かれこれ43年、恋愛とは無縁の人生です」

「…恋愛小説家なのに、ですか?」


私の心を覗く様な顔をする彼。


「43年って」

「はい。私、恋愛経験は0(ゼロ)、ですよ?」

「えええ…」


オーバーな手振りで君に訴えたい。


「ああ……恋が知りたい」

「先生…」

「なんて、ね」


晶君を笑わせたくて、つい告白してしまった。そう、私の恋愛経験は0(ゼロ)、恋愛小説家なのに。恋なき恋愛小説家、で売り出すべきだったのか。


「信じられません」

「本当です」

「…僕をからかってません?」

「まさか」


それなら、と口を開く晶君。


「どうやって書いているんですか?」

「イマジネーション」

「…」

「不思議でしょう?」

「…」

「多分…恋を知らないから書いている、のかも知れません」

「知らないから?」

「ちょっと逆説的ですね。例えば…晶君、『十五少年漂流記』と言う小説を知っていますか?」

「…題名は、聞いた事がある様な気が…します」

「19世紀のフランスの作家、ジュール・ヴェルヌの作品です。彼は子供の頃『これからは夢の中でしか旅行はしない』と宣言したとか」

「夢の中で旅行…」

「私も夢の中で恋愛をします」

「…それはちょっと」


違うのでは、と言いたそうな顔。まあ確かに。


「でも、実はずっと書けていなくて」

「…先生の本、少ないですよね」


火の玉ストレートってやつかッ!


「もう空想で書くのは厳しいんでしょうか」


僕は小説の事は分かりませんが、と前置きをする晶君。


「経験がない事をしようとするのは、難しいと思います」

「ほう」


ぐうの音も出ない。


「数学の勉強をしないと、方程式は解けません」

「確かに」


だから、と私の瞳を真っ直ぐに見つめ直す彼。


「先生は恋の勉強をすべきですね!」


勉強???


「恋の勉強?……例えば?」

「…ま、まずは………告白の練習とか」

「告白の練習?面白そうですけど…誰と??」

「あ…」


僕と、とは言わない晶君。


「晶君に告白してみましょうか」

「いや、先生ちょっと無理です」

「何で?」

「先生、男ですし」

「確かに」


そこで、フッと天啓を得る私。


「私を櫻野さんだと思って、告白の手本を」

「何を言ってるんですか?」


わりと本気でムッとした顔。コロコロ変わる表情も魅力的です。呆れたようにコーヒーを啜る彼。会話の間が伸び始めた頃合い、これは不意打ちのチャンスかも知れない。少し考えるフリをして、彼の正面に忍び寄る。


「晶、好きだよ」


ブッホ!盛大に吹かせてやったぜ。


「ズルいです!!」

「そうですか?オジサン、悪い大人ですからねぇ」

「…」


口元をナプキンで拭う仕草も美しい少年。


「分かりました。なら、次は僕の番ですね」

「順番制?!」


喰い付きのいい晶君…定休日の喫茶店で始まる、謎の戦いが始まる。ふうっ、と瞳を閉じて深呼吸する彼は既に覚悟完了?


「先生、愛してる」


どっぉぉォォォん“!!!こ、これはマズい。言葉の破壊力が半端ない。男の子からの一言に動揺するオジサン。メッチャ恥ずかしいですなぁ。…そうか、どストレートな言葉は鈍器よりも攻撃力が高いらしいと初めて知る。


「ヒィ……暑い暑い」

「照れる先生も可愛いですよ」

「コラコラ」

「お役に立てましたか?」


んー、こんなゲーム?を続けていたら恥ずかしさで記憶が飛ぶかも。


「晶君、告白し慣れていませんか?」

「全然!告白した事ないです」

「本当に?」


私が投げる疑いの眼差しに敏感な少年。でも、と続ける。


「今のが初めてです」

「そうですか…すみません」


何だか申し訳ない。


「あの」

「?」

「先生の名前って、何て読むんですか?」

「ひろゆき」

「えっと、本名でなくて……小説家の方と言うか、太平洋の『洋』に『右』って。『ようう』?」

「『ひろう』と読みます」


小枝洋右(こえだひろう)、本名は肥田仁之(こえだひろゆき)、極端にファジーでファンシーな名前を付けるのが気恥ずかしくて、本名を少々改変した程度のペンネーム。


「こえだ、ひろう…」

「呼びましたか?」


あっ、と小さく声を漏らす、カウンターの先の美少年。少し頬を染めている様に見えるのは多分、気のせい。店内に灯るランプ、昼白色の照明効果でしょう。


「牛を飼って暮らしています」

「牛??」


驚く表情が可愛くて、つい何の脈絡もない事を意地悪に言ってしまう。さあ、言葉の迷宮に迷い込め、物書きに振り回されろ美少年。


「牛、全然関係ないじゃないですか!…でも、小枝を拾うって…」


ランプの微かな揺らぎが彼の頬に投影される。


「面白いですね」

「ありがとう御座います」


悪戯っぽく笑う彼の横顔は小悪魔的だ。


「私の本、何で読み始めたんですか?」

「お母さんに勧められて。もう最高!って」

「へ?そ、そお?」


そんな真っ直ぐな目をして言われたら、お、オジサン、照れてしまう。


「恋愛のバイブルって言ってました」

「バイブル!」


言い過ぎですよお母様。


「僕には、恋愛の参考書です」

「使えない参考書です」

「そんな事ないと思います…」


僕はこの本のお陰で先生を知りました、なんて呟かれても困ります、晶君。

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