聖女の怒り
浄化の儀式?も終わり、私は軽く身なりを整える。
丁度入店して来た二コラ君と挨拶を交わし、いつものお店の日常がリ・スタートだ。着替えたらこのお客様方のオーダーを頼むよ、と声を掛けるも、二コラ君はバックヤードの扉の手前で無言で立ち止まり振り返る。今日は不機嫌なのか?その視線は私のつま先あたりを一瞥した後、ゆっくりと上へ昇り目線が合う寸前、今度は私の方へ用心深く、いや、恐る恐ると言うべきだろうか、慎重に間合いを詰める様な素振りで近づいて来た。その端正な顔に明らかな不審の色を浮かべて。
「店長?」
近い近い、私の顔に体に近い、少し離れては覗き込み、また一歩離れては近づく。揺れては返す波の様なその距離はすでに拳3つ分まで接近している。今までこのお店で共に働いて来たが、彼女の行動は初めて見、経験するもので私も対応が出来ない。怪訝な顔から私の何かを覗き見る行動、やがて視点が一点に定まるまで、確かに僅かな時間ではあるが長く長く息苦しく感じるのは妙齢の女性への免疫力低下と言う病の賜物なのだろう。やはり適切な距離感は大切なのだなと実感させられる。だがしかし、ここで動揺したら負け、と言う言葉が脳裏をよぎる。紳士たる者常に冷静沈着、クールに対処せねば。
「は?は?!」
驚きが怒声に代わる。術式がない…ない…ない!…馬鹿な…10年も費やしたのに!!!ボソボソと二コラ君の口から洩れている小さな呟きは、今まで聞いた事がない程の低い声だ。やがて彼女の鋭い視線は櫻野さんを捕える。櫻野さん?いや、ミリスさん、櫻野さん、櫻野ミリスさん?…もう(さん付け)が面倒。本人の呼ばれたい様に、ミリスと呼び捨てにさせて頂こう。ミリスは先程とは打って変わって、冷たい視線で二コラ君の視線をカウンターしている。だが所詮は中学生よ、組み直す腕を少し震わせながら。この空間に4人、最年長者として沈黙を破らねばなるまい。
「あー」
間の抜けた声を出してしまった瞬間。
「猊下!」
被るな乙女。だがここはレディ・ファースト。お話があるならどうぞどうぞ。ミリスに視線を投げるとその意味を理解したのだろう、軽い溜息と共に二コラ君を眺める。
「猊下から離れよ下郎」
「…」
「離れよ、と言っている」
「…」
二コラ君は間合いと沈黙を保つ。保ちながら困惑した表情で、私の左腕のシャツの裾を軽く摘まむ。次の一瞬、ミリスが悪い顔をした様に見えた。
「!?」
「二コラ君?」
二コラ君が私のシャツの裾を摘まんだまま、微動だにしない。何故か私も動けない。腕を掴まれるより違和感、不快感はないが、衣服と言う薄皮を挟んでもなお感触の伝わる身体的接触はやはり落ち着かない。慣れていないのだ。
「猊下、彼女の本性をお見せ致します」
「…馬鹿な…猊下を媒体にしたのか…」
「媒体?まさか…私からの “ 祝福 ”ですよ」
「何が祝福……これは呪いだ」
「呪い?魔族に言われたくはないですねぇ…」
ふふ…っと楽しげに笑うミリス。
「…猊下を魔に染め上げるおつもりでしたか?」
「…」
「残念、貴女の企みは潰えました」
ニコラ君に冷ややかな視線を浴びせるリシューリア。
「邪な欲望を猊下に向ける事は許しません」
邪、の一言に過剰反応を示す二コラ君。
「邪?ふざけるなよ?」
「ふざけてなどおりませんよ…」
ミリス、今、フッ…と鼻で笑ったのか。
「魔族如きが、猊下に触れて良いハズがないでしょうに」
「違う、私の秘術は猊下を護る為のもの…」
「はっ…世迷言を」
「本当だ」
「本当?……本当ねぇ、本当に、本当に……穢らわしい」
ミリスの瞳に青白い光の揺らぎを見る。高熱の炎を宿したかの様な輝きを。それは聖女と呼ぶにはあまりにも…邪に感じる瞳の色。




