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伝えたい『恋』

「どうして…………そんなこと言うの……?」


 ドアの向こう側から聞こえたアイアの声は何日も水を飲んでいない喉が出したのかと思うほど、砂のように渇いた音だった。

 その声を聞いて、俺だって叶うならば今からでも自分の言葉を否定したいと思った。

 アイアの言いたいことは昨日の雨の中、俺もずっと考えていたことだった。

 今まで通りの関係に戻ることはできないかって。

 でもーー


「ーーアイア。俺たちはもう、友情の外側に1歩踏み出している。アイアの伝えてくれた言葉を無かったことにするなんて俺にはできないし、アイア自身も言ったことを完全に忘れることは絶対にできないよ。だから…………どうしたってもう、俺たちはあの雨の中の出来事の上にしか生きていくことができない。元になんて戻らないんだ」


 どうあっても人は『起こった事』の積み重ねで生きていくのだから、都合よく一部分だけ忘れて生きていくなんてことはできない。

 俺だって誰かに『元通りになるよ』と言ってほしかった。淡い希望であっても手の届く位置に飾って置いて欲しかった。


 でもそれじゃダメなんだ。

 これまでの日常をこれからも続けていけるかも、なんて幻想に浸っていたら、本当に進みたい道に進めなくなるから。


「…………やめてよ……」


 渇き切ったその声は、もはやアイアの中にどのような感情が渦巻いているのか分からないほど、色も強弱もない。


「そんなこと…………。そんなこと言われたら、私は……………………」


 これから何に掴まって、どんな未来に縋って立ち上がればいいのか分からない。

 その言葉は続かず、しかしハッキリと感じ取れた。

 ストン、と床に膝をつく音がする。

 俺が突きつけた現実は、アイアを立ち直らせるはずだった日常への回帰という脆く薄いよすがを壊してしまうものだった。

 冷たい木製のドアに手を当てると、そのすぐ側で座り込むアイアの震えが感じられるようだ。

 その身体を、できることなら今すぐ力一杯抱きしめたかった。

 しかし、アイアはこのドアを開けようとはしないだろう。


 俺のこの『恋』はまだアイアの心には届かないから。


 ニーナちゃんと共にしていた行動を見て、現実にニーナちゃんとのキスを目撃して、その上でアイアが好きだと話す俺の言葉をきっと信用しない。

 だから俺の告白だけでは、このドアが開くことは決してないだろう。

 俺の両腕はアイアを抱くことなく、脱力させて肩からぶら下げておく他がない。そしてすすり泣く声に耳を傾け続けるのだ。


 俺は。


 だから。


 それが絶対に嫌だと思ったから。




「公園で懸命にボールを取ろうと腕を伸ばした女の子、それが思えば俺の人生で初めての一目惚れだった」


 俺は自分の心を裏返す。


「…………なに……?」


 ドアの向こう側でアイアが顔を上げた、気がした。


「今より身体も全然小さくて、腕は握ってしまうだけで折れるんじゃないかってほど細くて弱そうなのに、絶対にボールを諦めようとしなくて。しまいには不慣れそうな手つきで木を登り始めてた」

「……それって…………」


 そう。俺の『恋』の過程、キッカケ。


 俺の伝える感情が薄っぺらだとしか感じてもらえないのであれば、俺の口からこぼれる言葉が信じてもらえないならば。

 アイア自身のその足で辿ってもらうまで。


 俺が見て聞いて感じた全てをアイアにぶつける。


「本当は独りきりで寂しくて不安で泣くのを我慢して頑張っていたお前を、強くて健気で可愛いくて、守ってあげたいと思った。今だから分かる。俺がボールを取ってきた後に見せたお前の笑顔を、俺は一目で好きになってたんだ」


 本来、俺以外に知っている人間がいてはいけないような、というより俺以外が知ってたら恥ずかしくて死んでしまうような過去の俺の感情の1つ1つ。

 でも俺にとってはかけがえのない俺だけの宝物を1つ1つ。

 それらをアイアへと捧げる。


 俺の『恋』がアイアへと届くならばと、恥ずかしさが極点に到達して今にも血圧が臨界突破を果たそうとしているけれども、俺は記憶を言葉に紡ぎ続ける。


「中学生になってから、お前はどんどん綺麗になって俺は焦ったよ。アイアが告白されたって聞くたびに俺は不安になった。第一志望の高校に受かった時よりも、アイアに彼氏ができないまま中学を卒業できたことの方がよっぽど、俺は安心したんだ」

「き、急に何言ってんのよ、カズキ……? 頭でも打ったの…………?」


 突然始まった恥ずかしさ満点の告白に、アイアの動転した声が聞こえる。


「う、うるせぇ! とりあえず最後まで黙って聞いててくれ!!」


 言ってる俺が一番照れるんだから!! 下手に理性を取り戻させないでほしい。今俺が立っている2階から1階突き抜けて地下100階くらいまで自分が埋まるための穴を掘りたくなってしまうじゃないか。


「つ、続けるぞ…………。俺たちが高校生になってからは、そんな頻度でアイアが告白されることもなくなって落ち着いてきて、それからなし崩し的にまた一緒の大学まで進んだよな。5年くらい、学生生活を笑って遊んで、たまにはケンカして、そうやって過ごしてきた。その時間がすごく、かけがえのないくらい楽しかったから、いつの間にか最初に出会った頃の『好き』だっていう感情も、中学生の頃の不安も全部忘れててさ。今さら、全部ちゃんと思い返してみて分かったことがあるんだ」


 俺の言葉に反応はない。部屋の中からはもう、声も嗚咽も何も聞こえなくなっていたけど、それでもアイアがしっかりと耳を傾けてくれている気配がした。

 今だけは俺とアイアの間にドアがあることに感謝する。

 きっと真っ赤な顔を馬鹿にして笑われるに違いない。

 いや待てよ、それでアイアの笑顔がまた見れるというならそれでもいいな。

 やはり、ドアは不要だ。


 だから、この邪魔で無駄に厚い板が壊れますようにと願いを込めて、震える喉が情けない音を響かせないように太く大きな声で。




「俺はっ、ずっとアイアに『恋』してたっ!!!! 初めてあったあの時から今に至るまでずっとだ!!!! 100%アイアが好きだった!!!!」




 アイアは驚いているだろうか、それとも息を呑んでいるのだろうか。分からない。

 自分の言ったこと、これから言いたいこと、上手く言葉にできない感情その他もろもろが胸の内側からぐわぁーっと溢れ返ってきて、外の環境を俺に教えてくれる器官の感覚が麻痺しているのだ。

 顔は熱くて外の気温も分からないし、耳には膜が張ったみたいにポワポワと、聞こえる音が鈍い。

 そのため渾身の告白の成果を、アイアの反応を通じて知ることは叶わず、俺はとにかく必死で舌を回し続ける。


「他の男たちが可愛いって噂している女の子を見てもドキドキしたことはないし、テレビで見る女優やアイドルやモデルに憧れたことだってない!! その女の子らが結婚間近だの誰それが告白しただの聞いたところで不安に眠れなくなることも無かった!!俺の調子がおかしくなるのは、変にアイアのことを意識する時だけだった。たまに見せる可愛さに鼓動はおかしくなるわ、お前に告白する男がいれば不安でしょうがなくなるわ、お前の一挙手一投足に常に振り回されてたんだこんちくしょう!!」


 言葉を重ねれば重ねるほど、訴えたい想いは尽きていくどころかむしろ溢れかえる勢いで湧き出てくる。その圧倒的な量に冷静さが次第に押しつぶされてきて、自分が今何を言おうとしているのかよく分からない。


「ついでに、…………ついでになぁ!! お前最近綺麗になりすぎでなぁ!! その上無防備だったりすることが多くて目線も一緒に振り回されてばっかりいるんだぜ!!」


 口だけが動き続ける。

 熱に浮かされて半ばパニックになりながら喋りつづけるプレゼンテーターのごとく、不正確な文脈をただただ早口で押し切るように。

 そしてついに、オーバーヒートした思考からはフィルタリングの機能は消えて、ろ過されない言葉の波が口から濁流のように飛び出し始める。


「この前部屋に上がった時にお前が着てたダボダボのTシャツから覗ける生ワキは真っ白ですごく綺麗でエロくて最高で目が釘付けになっちゃたし、夏とかは短いスカートから拝めるパンチラが素晴らしかった!!予想を裏切らないピンク色のおパンツありがとうございました!!ダボダボな部屋着も最近は俺の超ストライク・ゾーンを時速160Km越えのストレートでぶち抜いてきてるぞ! あの袖口から覗ける『生ワキ』にどれだけ見惚れちまってたか分かるか!? なんであんなにスベスベなんだよ挟まれたくなるだろうが!! これから冬になるのが俺は残念でしょうがないんだ! もちろん冬は冬でピンクのニットは可愛いし、お前の一番の武器である『美脚』が黒タイツで強化されてて最高なんだぜ? 照れて全然褒められなかったけどアレ俺本当に好きだったぞ!! でもやっぱ冬とか春とかよりは露出がまだ多い夏とか今くらいの時期までが一番アイアを観察しがいがーー」


「ーーちょっと黙れぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇェェェッッッ!!!!!!」


 その濁流がいつか誰かの防波堤を決壊させるのは自明の理であった。


 バゴォンッッッ!!!! ドダァァンッッッ!!!! と破滅的な効果音が狭い廊下へと響く。


 先に感じたのは額の熱さで、次に背中への衝撃。そして最後に尻もちをついた。

 突如として襲い掛かったそれらに、直前まで滑らかに回転を続けていた舌もその動きを止めて辺りが急に静かになる。

 何が起こったのか、感じた熱が痛みに変わりつつある額を手で押さえながらも座り込み床に落としていた視線を上げると、状況が把握できた。


 魔王が立っていた。


 いや魔王ではない、確かに鬼のような形相で背後に渦巻く暗黒のオーラが見えそうなほど邪悪な雰囲気を醸し出しているが、アイアがドアを全力で開け放った態勢で俺の正面に立っていたのだ。

 そして呆気にとられる俺に対し、猛禽類を彷彿させるくらい鋭い角度で指を曲げた構えの腕を俺に突き出し「ひぃっ」「黙れ」俺の腕を捕まえると、俺を引っ張り立たせて自身の部屋へと引きずり込んだ。


 部屋は暗かった。夕方の薄日がカーテン越しに入ってくる程度の明かりしかない。ずっとここで窓も開けずに閉じこもっていたのだろう、空気がこもっているように感じられた。

 そんな中で俺の腕をギリギリと圧搾するかのように握りしめたアイアは、俺が部屋に入ると即座にまたドアを閉めてこちらに向き直る。

 その眼はキッと俺を鋭く睨んでおり、しかしその顔は赤く火照っていた。


「アンタっ!! 何考えてんのよ!? 廊下であんな恥ずかしいことを堂々と大声で捲し立てて!! お母さんにも絶対聞こえてるじゃない、もー絶対顔合わせらんないわよ!!」


 張りもあれば棘もある怒気が正面から俺にぶつかる。


「聞きたくないって人が言ってるのにしつこく何度も何度も!! もうちょっと落ち込んでる人の気持ちに寄りそうってことを知りなさいよ!!」


 俺は今怒られている。叱られている。

 いつもなら耳を塞ぎたくなるその説教に、しかし今日ばかりは胸に込み上げてくるものがあった。


「大体最後のはなにっ!? アンタもしかしていっつもそんな目で私を見ていたわけっ!? 信っっじられないっ!! 最低!! 変態!! バカじゃないの!? この性欲モンスターめ!! 何が100%私が、……す、好きとか何とか? 言ってるんだか!! そんな剥き出しの獣欲ぶら下げたあんたが他の女の子に目を向けないはずがなーーっひゃっ?!」


 気付けばその華奢な両腕の外側から、俺はアイアを抱きしめていた。


「んなっ…………?! なっ、なにを…………っ!?」


 当然アイアは驚き困惑の声を上げるが、俺は構うことなく、アイアの背中に回した腕の力を弱めることはしない。俺のどの言葉がアイアにドアの鍵を開けさせるに至ったのかは分からないが、それは些細過ぎる疑問だった。

 目の前にアイアが立っている。

 邪魔なものは間に何も無く、その視線もその声もそして感情さえも何にも遮られずに俺に届く。

 過去当たり前だったそれが今、身体が勝手に動いてしまうほどの感動を俺に与えてくれていた。


「ごめん…………。嬉しくて…………」


 様々な感情を詰まらせた喉からやっとのことで絞り出した言葉は、自分で発したものとは思えないほど弱々しかった。

 その声音に何を感じ取ったのか、あわあわとしていたアイアが腕の中で落ち着きを取り戻していくのを感じる。

 そして平たい声がすぐ近く、耳元で聞こえた。


「…………ねぇ、カズキ。本当に私のことが好きなの……?」

「好きだよ」

「…………友達としてじゃなくて?」

「女の子として好きだよ」


 重ねられる問いへの答えに時間は要らない。すでに覚悟も心も決まっている。

 しかしアイアはその声に怒りと少しの不安を滲ませて、問い直す。


「アンタ、ニーナと公園でキスしてたじゃない…………」


 とても痛いところを突かれ、惨めにも呻きそうになる。すんでのところで堪えた。

 その事実は決して覆ることはないし、これからも俺とアイアの記憶に刻まれる出来事であることに間違いはない。

 だから努めて冷静に、俺は心の天秤を傾けた。


「アレは…………、きっと、異世界式のお礼かなんかだったんじゃないかな…………」


 俺は真剣に誤魔化した。

 ニーナちゃんの気持ちはもちろん知っていた。

 その上で気付かぬふり、無視をする。

 最低な男だろう。

 それでも、それでも俺にとってかけがえなく大切な女の子は、アイアだった。

 1人の女の子の想いを踏みにじり、アイアと共に過ごしたいこれからのために、公園での1件を『気にするほどの事ではない過去』にする。

 その言葉をどう感じたのだろうか。

 俺の左肩に頭を預けるような形で、腕の中に収まるアイアの表情を知る術はない。

 アイアは一言、


「…………あっそ。ならもういいわ……」


 と興味を失った風にして追及はしなかった。


 薄暗かった部屋はさらにその闇を深めつつある。

 カーテンの隙間からわずかに射しこむ光は赤く、もうじき陽が落ちるだろう事が予測できた。

 それではいけない。このまま明かりが無くなってしまっては。

 俺はアイアの背中に回していた両の手を肩に添えて、密着させていた身体を少し押し離す。

 まだ、微かにアイアの表情を見ることはできた。

 ドア越しではなく、直接、正面からアイアの顔を見て言わなければならないことが残っていた。

 何を言われるのかを悟ったか、アイアの表情が緊張したように引き締まる。

 俺は深く息を吸い込み、声が震えないように、肝心なところで失敗しないように、はっきりとしっかりと告白する。


「ーーアイアのことが、大好きです。俺と、付き合って下さい」




 光は途絶え、部屋に一足早い夜の気配が訪れた。

 夏、あれほど高く長く地上を照らしていたことが嘘であるかのように、秋、太陽は突然その身を隠す。

 秋のつるべ落としとはこのことだな、と益体もないことわざを思い返す。

 しかし瞬く間に光を失ったことに、今だけは感謝した。

 普段ならきっと恥ずかしくて、自分の意志ではできないことだと思ったから。

 自分にも相手にも見えないなら、勇気を出せる。

 正面に立つ、その男の服の襟元を掴んで引っ張り、そして背伸びをして、私は顔を近づける。


 それが彼の熱意に報いる返事だと信じて。


ここまでお読みいただきありがとうございました!!

最終章、無事完結です!


ブクマ・更新通知をしていただき、話数の更新ごとに読みに来てくれた方々に多大な感謝を。

更新するにあたってのモチベーションでした。

ブクマするには至らずとも、投稿を見かけて興味を持っていただいた方にももちろん感謝を。


次回更新のお話はエピローグです。

3本ありますが一気に投稿します。それで本当に小説として完結です。


明日最後の更新も、お楽しみに待っていただけると幸いです!


それでは(≧▽≦)!

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