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戻らないもの

 中程でぐるりとUの字にターンする形の階段は、小学生だった頃から変わらなくて、俺はアイアと遊ぶために何度も駆け上がっていったものだ。この光景だけで多くの思い出があるけれど、それでもここを上るのにこんなにも緊張するのは初めての経験だった。


 俺は今、アイアの家へとお邪魔している。

 アイア母が在宅で、俺を家へと上げてくれたのだ。

 玄関に入ると同時に2階のアイアの部屋に向かって「アイアー!? カズちゃんが遊びに来たわよー!!」と俺が来たことを告げてくれたが反応はない。

 2階からの返事が無いことに憤慨するアイア母をなだめて、お茶も断ってから、今俺は階段を一歩一歩踏みしめて上っている。


 ニーナちゃんには家の1階で待っていてもらっていた。

 これからアイアと話すに当たっては2人きりにさせて欲しいと思ったからだ。

 そして特に異論もなく、ニーナちゃんはそれを受け入れてくれた。


 足を上げる度に、普段は全く意にも介さない重力を感じる。上へ上へと、アイアの部屋へと行こうとする意思に反して、身体というのは正直に心の深層を露わにする。

 伝えたい想いがあって、でも伝えたい相手にはとても信用されないような大ポカをやらかしている俺は、部屋に辿り着くなりどんな罵倒をされるか。

 しかもあの雨の中好きと言ってくれたアイアに、今ではどういった心境の変化があるかも分からない。

 百年の恋も冷めるような、という慣用句があるように、1つの告白に対してまともに返事もできないこの俺を見損なってしまっているかもしれない。俺の伝えたいこの『恋』は、今やただの一方通行になっていることだってあり得るわけだ。

 そうしたらどうなる? 俺とアイアの関係は進展せず、そして元の関係にだってもはや戻るまい。今まで日常だったものは壊れてしまうのだ。

 それが心底怖くて、階段の途中、何度も足が止まりそうになる。

 鉛のように重く、そして固まる足を、しかし俺はなお動かし続ける。

 上へ、上へと。


 身体を動かす原動力は決して字面の良い勇気と呼べるものではなく、例えるならば窮鼠の気持ちといったところなのかもしれない。

 進むか壊れるかの選択肢しかない現状で、進む以外の選択ができなかった哀れな鼠。

 なんて消極的な男だと嗤われたって文句は言えないだろう。

 だがこうして追い詰められたことでようやく見つけた想いがあった。

 俺以外のどんな男にも、アイアを奪われたくないという強い気持ちをようやく知ることができた。

 窮鼠は自身の天敵である猫にさえ立ち向かい、傷をつける。

 きっと、だから俺も今こうして立ち向かえているんだ。関係の破綻という恐怖に。

 訪れるかもしれない最悪な未来予想図に噛みつき、そして引き裂く勢いで俺は階段を上り切った。


 長い廊下を右に進んで一番端の部屋。そのドアの前に立った。

 そして、震えそうになる声を殺して呼ぶ。


「アイア? 俺だ、カズキだ」


 俺の声だけが、人の気配をまるで感じさせない2階に響いた。

 やはりドアの向こう側から返事はない。


「話がしたいんだ……。ドアを開けてくれないか……?」


 そうしてしばらく待つが、やはり反応はない。

 勝手だとは思ったが、ドアのノブを回してみる。

 ガチャッという音が聞こえ、回り切らなかったノブがドアロックに阻まれる感触が手首に伝わった。

 自然とため息がこぼれる。目を瞑り、これからどうしたものかと考えを巡らせていると、ふいに聞き慣れた声がした。


「ーー今は、会いたくない」


 ドアの向こう側にいるアイアの、か細い声が耳を突いた。


「ーーだから帰って」


 有無を言わさぬ口調だったが、力強さは感じない。

 それはまるで弱った子猫が必死に威嚇をするような弱々しいものだ。


「ごめん、帰らない」


 伝えたい自分の想いを携えてやってきたのに、それを伝えぬ間に威嚇に慄いて踵を返すほど、俺は弱い人間ではなかった。

 息を止める気配がした。俺なら帰ると思われていたのだろうか、そうだとすれば心外だ。


「…………いいから帰ってよ」


 棘のあった言葉は一転して、縋るような悲し気な声色へと変わる。

 全てアイアの言う通りにしてあげたい、そんな気持ちを抱かせる言葉に対して、


「…………イヤだ。帰らないよ」


 俺は一歩も退く気はなかった。


「アイアに伝えたいことがあるんだ。だから、……聞いてくれないか?」


 ドンッ! という音と衝撃がドアの裏側から響く。「うおぉっ!?」驚いて上半身がのけ反った。

 激情に駆られて枕でも投げつけたのだろう。特にドアが壊れた様子も、部屋の中で壊滅的な音がする様子もなかった。

 そして、


「帰ってよって言ってるじゃないッ!! 何も聞きたくない!! 分かってよ!!」


 普段の威勢の良い大声ではなく、必死に何かを遠ざけるような叫び声がドアの裏側にいる俺を突き刺す。


「帰って、それで全部忘れてよ……………………。全部、無かったことにしてよ……………………」


 鼻を啜る音が聞こえる。アイアは泣いていた。雨の中の出来事を悔やんでずっと、部屋で涙を落としているんだろう。『自分の想いなんて伝えるんじゃなかった』と。

 きっとアイア自身、そんな気はサラサラ無かったに違いない。

 でも昨日、公園での俺とニーナちゃんを見たショックでつい口からこぼれてしまった言葉だったんだろう。

 いや、もしかするとそれだけがキッカケじゃなかったのかもしれない。

 ニーナちゃんがこの世界に来てから、俺はいったいどれだけニーナちゃんと行動していたか。

 俺はニーナちゃんに対して『恋』という感情を抱いていたわけじゃなかったけど、そんなことあくまで俺自身の主観に立っている俺自身にしか分からないことだ。

 それを見て、俺の気持ちを判断するのはアイア自身だ。俺が何を言おうとも思おうとも、アイアの心身は俺とニーナちゃんが行動を共にする光景だけで削れていったのではないだろうか。


「…………ごめん」


 ドアの向こう側へと、ボソリと呟き返す。

 何も気づけない幼馴染で本当にごめん。

 そんな気持ちが口を突いて出てしまった。

 それにアイアが反応する。


「……何でカズキが謝るのよ……!!」


 抑えきれていない感情は怒りか悲しみか、その声は震えていた。


「カズキが何で謝るのよッ!! カズキたちを見て、勝手に嫉妬したのは私で!! アンタたちの関係見てて焦って、そして僻んで。公園でキスしてるの見てパニックになって、それで勢い任せに馬鹿なこと言って!!引っ込みがつかなくなったから、逆に部屋に引きこもるなんてさ…………。自分でも幼稚だって分かってる。でも今だけは許してよ…………っ!! 誰にも、アンタにも、合わせる顔なんてないんだから…………っ!!」


 爆発した感情はもはや何を取り繕うでもなく、アイアのありのままの後悔を俺にぶつける。


「だから!!! 帰ってよッ!!!」

「っ…………」


 最後はもはや泣き声と化して、部屋の中からは嗚咽が聞こえる。

 アイアは自分のこぼした言葉を忘れたくて、そして忘れさせたくて、全部を無かったことにしたがっている。だからあの雨の中の告白の返事を、アイアは決して聞きたがらない。

 ドアの向こうに、背中を丸めて身体を縮こまらせて、両手で耳を塞ぐ少女の姿が透けて見えた気がした。

 俺は、どうすればいい?

 アイアを苦しめたくなかった。かといって、俺がこのまま帰れば解決する問題ではない。

 廊下に立ちすくむしかない俺は、ふいに衣の擦れる音をドアの裏側に聞いた。


「本当に、ごめんね……? 私、もう少しで、ちゃんとするから。いつもの私に戻るから」


 アイアがすぐ側まで来ていた。木製の冷たい板の向こう側に、確かにアイアの息が感じられるようだった。


 そしてどこか懇願するような、もう届かない夢に縋るかのような声で。


「そうしたら、きっと全部元通りになるから。だから、もう少しだけ待ってて……?」


 きっと頑張ってみせると、元通りの関係に戻るんだという決意表明を。


 でも俺は、


「どうしたってもう、元には戻らないよ……」


「--え……っ?」


 その言葉を無慈悲にも真っ向から否定していた。

ここまでお読みいただきありがとうございます!

次回が6章最後の更新となります!


引き続きお楽しみにしていただければ嬉しいです(`・∀・´)


それでは!

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