捧げられた感謝
スイーツが食べたい。
口の中が無性に甘い食べ物を欲していた。
それも生クリームがしっかりと乗った、何百キロカロリーもありそうな重いスイーツが。
曇り空の下にカラスの鳴き声が響く時間帯、俺は湿り気を帯びた涼しい空気の漂う住宅街をコンビニへ向かって歩いている。
日曜日とはいえ特に予定が無かった今日は、昨日に引き続き部屋にでゴロゴロと過ごすつもりだったが、スイーツへの誘惑に負けて外の空気を吸うこととなった。
近くには2つコンビニがあって、家からは同じくらいの距離だ。
そして俺は一方のコンビニを選んで歩いていた。
別にそちらに食べたいスイーツが置いているわけではない。
そのコンビニへと向かう道中に、公園があるからだ。
公園の入り口に差し掛かり、俺はちょっとした期待を込めて中を覗いた。
「…………!!」
いた。
一昨日と同じベンチで本に目を落としているニーナちゃんがいた。
今日外出した理由は、正直なところニーナちゃんに偶然会えたりしないかという期待があったからだ。
一昨日の出来事は、俺の人生の中で余りにも濃い意味を持っていて、そう簡単に薄れていく記憶ではなかった。
だから、問いたかった。
どうしていきなりあんな風に迫ってきたのか。
どういう気持ちでいたのか。
俺の幼児用プールのように浅い女性経験からは、もちろん何の答えも得られない。
俺は公園に入る。
気配がしたのかニーナちゃんは顔を上げて俺の姿を確認するとにっこりと微笑んだ。
「隣へどうぞ」
言われてから気付いたが、ニーナちゃんはすでに右側に寄って座っていた。
もしや俺が来ることを予期していたのか…………?
「あ、ありがとう……」
俺はベンチの左側へと腰かける。すでにニーナちゃんは本を閉じて俺の方へ体を向けており、俺と話をしてくれる態勢だ。そして今更気付いたことで、別に今気にするようなことでもないんだけど、ニーナちゃんはとても姿勢が良い。頭からベンチに腰かけるお尻まで一本の軸がスッと通っていて、最近よく見る猫背な人たちとは比べようがないくらい綺麗な座り方だ。
人って姿勢だけでここまで人を惹きつけるものなんだなと感心してしまう。
あと今日は朝から曇って少し肌寒いからだろう、服装は一気に秋物へと替わっていて目に新しい。薄日しか差さず少し暗い外の景色にクリーム色のニットを着たニーナちゃんが目に眩しく映る。
俺はこの前のような肩の露出があるワンピース姿ではないことにホッと一安心した。
しかしニットはニットで胸の膨らみが綺麗に丸く出ていてついつい目が行ってしまう。やっぱり大きい…………って、違う!!
またもや男の純心に負けている!!
気を引き締めて話を切り出すことにする。
「あのさ……」
「はい」
「えーっとね…………」
「はい」
「…………えーっとね……………………」
「はい」
「……………………ちょっと待ってくれる?」
「……? はい、構いませんよ?」
どうしようっ!! 何をどこから話せばいいのかわからない!!!
全くのノープランだったことに今さら気付く。
とりあえずダイレクトに、『一昨日、上半身はだけて俺に乗ってきたのってどういう意味?』って聞いてみる?
そしたら、『それは~~だからですよ』っていう説明があって『なるほどそういうことね~』ってなるのかな?
どうだろうか……………………。うん、ならない気がする。
ていうか、そんなのダイレクトに聞ける鋼のメンタルなど元から持ち合わせていない。
よし、その質問は一旦脇に置いておこう。
確かにニーナちゃんが何であんな事をしたのかってことには興味があるし、知りたいと思っているけど。
今一番聞きたいことはそうじゃない。もっと安直で、彼女いない歴 = 年齢の俺にだって相手の気持ちがハッキリ分かる単純な質問。
『ニーナちゃんはもしかして俺のこと好きなの?』ってこと。
じゃあ早くそれを聞いてしまえばいいと思うんだが、これを切り出すのにもまたとても勇気がいる。
羞恥心が邪魔をするのだ。
だってその疑問を自分から切り出すのがあまりにも分不相応過ぎないか?。
毎日肉じゃががカレー食ってる6畳一間暮らしの貧相な男が、美貌と完成されたスタイルを持ち合わせる一国の王女様に対して『俺の事好きなの?』って聞くんだよ?
俺が傍から他の男がそんな事訊いてるの見てたら、なんて自意識過剰なヤツだ、って思うもん。
でも俺としては一昨日のような出来事は現実にあったわけで、俺の中の常識だと女の子が男にそういう事するってことは、程度の差はあれど好きとかそういう気持ちがあるんじゃないかなーと思ったりしちゃうわけで。
聞きたいけど聞けない、そんな気持ちに頭と心が生殺し状態だ。
昨日1日は努めて無心で家事と炊事を行うことで無理やりその疑問を頭の片隅に追いやっていたけれど、どうしたって忙しさの隙間から顔を覗かせる。
そして頭の中で『それは哀れな童貞の誇大妄想だよ』という声と『ワンチャンあるかもしれないんだぜ?』という声がケンケンやかましく言い争うのだ。
ああ、いったい俺はどうするのが正解なんだろうか。
聞く? 聞かない?
でも聞かないならここに来た意味無いし、とするとやっぱり聞ーー
「カズキさん」
「っはい!?」
突然名前を呼ばれたことで、思考の世界へと没入していた意識がグイッと引き戻された。
ニーナちゃんは俺が1人考えている間も微笑みを崩していなかったようで、同じ表情のまま俺を見つめていた。
「私からお話してもいいでしょうか?」
「あ、うん……」
俺がうじうじ考えてばっかりいたから痺れを切らしてしまったのだろうか。
心にはそういった気持ちがあるのかもしれないが、しかし少なくともその顔色からは何も気にした様子が見られなかった。
俺の短い返事に軽く頷いた後、ニーナちゃんは話を続ける。
「一昨日はごちそうさまでした。肉じゃが、本当に美味しかったです」
「ああ、うん。俺も一緒に食べれて楽しかったよ」
「はい! 私もすごく楽しかったです。友達のお家に遊びに行って、お喋りをしながらご飯を食べるなんて…………。初めての経験でした」
とても幸せな思い出を振り返るかのように話すその姿は、この曇った空の下に咲いた小さな花のように晴れやかにも見えたけど、同時に王族という位に育ったニーナちゃんの陰をも映すようだった。
今の生活はニーナちゃんの人生の中で例外中の例外。元の世界に帰還すれば俺からすれば日常の、いつでも自由にどこへだって行けるような立場ではなくなってしまうんだろう。
きっとニーナちゃんにとってこちらの世界での出来事の1つ1つはかけがえのない思い出になっていく、そう思えて仕方がない。
「…………そっか」
だから、俺は曖昧に頷くしかない。
ニーナちゃんの言葉にどこか陰を感じようが、俺ごときが励ましたり寄り添ったり憐れんだりなどして出しゃばるべきじゃないのだ。
ニーナちゃんは自分で帰ると決めている世界の話なのだから。
この世界でどれだけ自由に生きられようとも、どれだけ楽しかったとしても。
元の世界がどれだけ窮屈な生活で、年頃の女の子にとっては物足りない環境だったとしても。
きっとニーナちゃんにとって大切な人がいる、かけがえのない世界なんだろう。
「私、この世界に来て、色んな初めてに触れている気がします」
「大学みたいな学校に来たのも初めてだ、って言ってたもんね」
「はい。学校に行くのも初めてでしたし、それ以前にカズキさんやアイアちゃん、覇太郎さんのように同年代の方と気兼ねなくお話することだって初めての経験だったんですよ?」
「うそ!? それにしては大分打ち解けるのが早かったような…………」
俺があからさまに驚くと、ニーナちゃんはクスクスと面白そうに笑う。
「そう思っちゃいますよね。私、大人の世界には無駄に染まっていましたから、社交上手なんです」
「おいおい、じゃあ俺たち建前の関係から始まってたの!?」
「そういうことになりますね~」
「マジかよ! ちょっと凹んだぞ!」
またもやクスクスと、今度は少し意地悪そうにニーナちゃんは笑った。
俺もそんな風に楽しそうにしているニーナちゃんを見て、心が温かくなるのを感じる。
「まだまだ初めてだったことはいっぱいありますよ?」
「へぇ? 例えば?」
「カズキさんとエッチなことしたこととかですね」
「そっか、そう…………え?」
脈絡というか話の毛色というか、そういうものを無視してサラッと差し込まれたその言葉は、俺の動きを凍らせた。
一瞬、何を言われたか理解できなかった。
いや、というより理解したくなかった。
楽しくお喋りに興じてしまっていたが、元々はそれが本命の話題。
自分からどうやって切り出そうと悩んでいた話題。
それをニーナちゃんが簡単に話題として振ってくれていたのに、というかそもそも自分から話に来ていたくせに、何故か俺は今脳を揺さぶられるような大ダメージを喰らっていた。
理由は1つ。俺はいつの間にか心の緊張を解いてしまっていたのだ。
ボクシングに例えるならば、試合中にもかかわらず相手と意気投合し、気を許してガードを下げた途端に顔面へとおもっくそ右フックをもらった感じ。
さらに哀れなことに、俺は今の言葉が聞き間違いだったんじゃないかって信じたがっている。
ボクシングに例えるならば、『ちょっとタンマ! まさか今のタイミングで殴られるなんて思ってなかったからちょっとタンマ!』って相手選手に縋って泣きついてるくらい情けない。
そんな俺の状態を認知してかしないでか、無情にもニーナちゃんは話題を一切逸らさない。
「カズキさんはもしかして初めてじゃなかったですか? ご飯の後の事は?」
それが聞き間違えなんかじゃないということを強調するかのように、ニーナちゃんはゆっくりと話を続ける。
「いや、そういうわけじゃなくて……。いや、その…………」
目が泳ぐ。あの状況は決して自分のやましい感情が招いたものではないから、後ろ暗いことがあるわけじゃない。
それなのに、どうしても目を合すことが躊躇われた。
俺の戸惑いを意にも介していないのか、起伏の無い淡々とした言葉でニーナちゃんは続ける。
「あれほど興奮に身を委ねた時間は初めてでした…………。どうしても直接触れて、身体を預けてみたかったんです。カズキさんに」
顔を朱に染めて俺を見据える。
「カズキさんの硬い胸の感触や早鐘を打つ心臓の音、全てが私にとって新しくって…………」
独り言でも呟くように、ニーナちゃんは優しく目を閉じてその記憶を言葉に紡ぐ。
その言葉の続きはなかったが、しかしニーナちゃんがあの行為に対して特別な思いれを持っていることは伝わった。
「私、この旅路には感謝しているんですよ」
「か、感謝?」
いったい何の話だ?
急襲から未だ動揺が抜けない俺は、さらに方向転換を繰り返す話の主題にまたもや驚いたが、何とかつっかえながらも問い返した。
すると、ニーナちゃんは今まで俺を絶えず捉えていた視線を、公園の入り口の先、高く赤く染まる曇り空へと向けた。
「元は私の不注意が起こした事故から始まったものなので、反省はしなきゃいけないんですが……。でもそのおかげでとても広いこの世界の中でカズキさんにぶつかって。それからは人生で初めて経験する出来事の連続でした。その過程で、ご迷惑はいっぱいお掛けしましたけど、アイアちゃん、覇太郎さん、そしてカズキさんという素晴らしい友人たちに恵まれました。落ちてきた場所にこんなにも恵まれるなんて、本当に、奇跡のようなことで…………。この旅路に、この偶然には感謝してもしきれません」
夜の気配が立ち込めるこの時間、空を覆う雲間から差し込む薄日は非常に弱い。
しかし、ニーナちゃんの瞳は輝いていた。
それは俺の部屋で見せたような底の見えない暗い沼のような瞳とは全く違う、ただただ俺たちをめぐり合わせてくれた偶然の旅路への感謝に彩られた綺麗な光を発していた。
その言葉と瞳に俺は余計に分からなくなっていく。
その瞳は本物の心を映し出しているようだった。少なくとも俺には1つたりとも嘘があるようには感じられなかった。
でもこれがニーナちゃんの素なのか、それともこれは被っている猫の皮のようなもので、時折見せるダーティーな瞳を渦巻かせたニーナちゃんが本当の姿なのかが分からない。
ひたすら困惑を深め下を向く俺の腕に、温かさが触れる。
ニーナちゃんが俺の腕を優しく掴んでいた。
「だから、お礼をしたかったんです」
「お…………礼?」
聴こえた単語を繰り返すオウムのように、俺は問い返す。
「私のこの幸せな時間の全部が、カズキさんを起点に始まったんですよ。あなたがいなかったら、きっとこんなにも楽しい世界じゃなかった」
俺の目を覗き込むその翡翠の瞳は純粋を留めていて、俺の心の底に大きな碇を下ろす。
俺は言葉以外で心がこんなにも縫い留められるなんて知らなかった。
その瞳から、もう俺は目を逸らすことができなかった。
「俺は…………、ニーナちゃんに何かできたかな……? そんなに言ってもらえるほど、俺は何かできたかな……」
キミが帰ると知っても止めるどころか寂しさすら表に出さなかったこの俺が。
キミに求められて、応じるとも拒絶するともせず、ただその現実を受け入れられなかったこの俺が。
ニーナちゃんの俺の腕を掴む手に、力がこもる。
「『キミを見た時、とても綺麗だと思った』」
「…………へっ?」
「『ビキニアーマーの姿を見て、その抜群のスタイルの良さを見て、すごく、すごく興奮してしまった』」
「はい!?」
「『俺はキミのワキをもっと知りたい!! キミがワキで握ったおにぎりを食べたいんだッ!!』」
「ちょっ、ちょちょちょっとぉっ!!? 何を言い出してるのぉっ!?」
必死だったとはいえ、我ながらとんでも無いセリフだ。
ニーナちゃんの口から繰り返される直近の黒歴史に、俺は顔に急速に血が上るのを感じる。
今すぐこの場から逃げ出したい気持ちだったが、俺の腕を掴むニーナちゃんがそれを許さない。
そして俺の反応を見てクスリと笑ったかと思うと、再び俺の目をしっかりと見据えて話を続けた。
「やっぱりこちらの世界でも恥ずかしいセリフなんですよね? 私の世界では恥ずかしいどころか、最低な発言です」
「うぐっ!」
いや、この世界でもとても最低な発言だと思います……、我ながら……。
「でも……、心に焼き付いて離れません」
「えっ?」
「綺麗だなんていうのは社交辞令で、女性の身体を性的な視点で見るのは社交の場では重大なマナー違反。一国の王女に対してならなおさらです。元の世界では」
俺の目を捕えて離さないニーナちゃんの瞳が次第に潤む。
「でもカズキさんは心の底から綺麗と言ってくれましたね。私の身体を1人の女性として見て、欲を見せてくれて。そして、私の手を取ってくれました」
あの時ついついニーナちゃんの手を取って熱弁を奮ってしまったことが思い出される。
男性に触れられたことが1度も無かったと話してくれて、俺は知らずの内にニーナちゃんの常識と経験の壁を大きく突き抜けてしまっていたことを知った。
だが、その出来事がニーナちゃんの目に涙を溜めさせるほど熱いものを、その心に生んでしまうことになるなんて知らなかった。
「その時から、私はカズキさんに男性を感じました。私に興奮するあなたに、私も興奮するようになりました」
目の端に作られた小さな玉が決壊し、その頬に一筋の涙が伝う…………、いや? 涙を流すセリフか? 今のが。
しかしニーナちゃんの顔は微笑んだままにせよ真剣そのものだから、
「そうか……」
と、相槌を打って言葉の先を促す。
ニーナちゃんは涙を拭わぬままに話を続ける。
「私に初めてをくれたのはカズキさんでした。だから、私もお礼がしたいんです」
「ニ、ニーナちゃん?」
ニーナちゃんは俺の腕を掴んだまま、腰を浮かせてその上半身を徐々に俺に近づけてーー
ーーそして唇に触れたのは、甘く柔らかな唇。
ムスクのような香りがフワリと漂う。
間近に、顔。
白く透き通った肌の毛穴まで見えそうな距離にニーナちゃんがいた。
ニーナちゃんの唇が俺の唇を塞いでいた。
目を閉じて、俺に精一杯何かを与えようと、もしくは一生懸命に何かを感じ取ろうとするかのように、長くそのままでいた。
その内無理な体勢を維持できず、俺に枝垂れかかるように身体を崩すがそれでも唇だけは離れなかった。
俺はニーナちゃんが滑り落ちないようにその身体を支える。
それがその身を案じてなのか、より長くこの瞬間を引き延ばしたいと思ってなのか、どちらが真意かは分からない。
ただ唯一の真実とは俺とニーナちゃんが抱き合ってキスをしているという事だけで。
どれだけ時間が経ったろうか、バサリ、という音に俺は顔を上げる。
ーーそして公園の入り口からこちらを除く1人の影を目に映す。
買い物袋を地面へ落とし、大きな二重の目を見開いて、何か言葉を発しようと思ったのか口が半ば開いた状態でその動きを止めている少女。
俺の幼馴染、アイアの姿を。
ここまでお読みいただきありがとうございますです!!
ニーナからの告白に、キス。
そしてそれを見ていたアイア。
恋愛経験皆無なカズキはいったいどう対処するのか!?
次回をお楽しみに!!
少しでもご興味をお持ちいただけましたら、ブクマ・更新通知設定などよろしくお願いいたします!!




