決戦の時が来た。
「なるほど。あれがヴァドラとかいう竜ですのね」
そう言ったのはフロントガラスの向こう、ボンネットの上に立つ、白い美しい肢体の猫だった。
猫は、遠い空に見えた黒い影をじっと凝視している。
遠近感がとれず、それが大きいのか小さいのか見た目だけではわからないが、オレたちはそれが巨大な魔物であることを知っていた。
「ミネケ・プスさん。ボンネットの上でいいのか? 落ちない?」
「ご心配は無用ですわ、アウト様。好きに走ってくださいませ」
自信満々のその姿は、普通の猫のように見えるがあまりにも凜々しく頼もしい。
「安心していただいて大丈夫ですわ。わたくしがこの子からおちることもありませんし、ましてやあの程度の竜の攻撃が、あなた方を害することなどありません。この子も力を貸してくれるようですしね」
耳元で聞こえる不思議な感覚の声に、オレは尋ねる。
「この子? って、アウトランナーのこと?」
「ええ。まだ未熟な存在のようですが、アウト様の望みを叶えたいという単純な意志だけは感じ取れます」
ミネケ・プスからそう言われて、オレはアウトランナーのハンドルを思わず撫でるように触る。
車に意思が宿るなど、まさにファンタジーな感じの話だけど、自分を守ろうとしてくれていると知れば、愛情も湧いてくるものだ。
無事に帰ったら、またきれいに掃除してやろう。
俺にできるのはそのぐらいだ。
「さあ。そろそろ、あのデカ物を連れ回しまくってくださいませ」
「はい! みんな、体をしっかり固定しておけよ!」
助手席の希未、後部座席のミューから、力強い返事が返る。
それを合図に、オレは右足で思いっきりアクセルを踏みこむ。
本当ならば、タイヤが空転してもおかしくない状態。
だが、タイヤはしっかりと噛んで加速する。
ただし、タイヤが噛んでいるのは、荒れた地面ではない。
その上に敷かれた、シールドだった。
シールド……と言っても、騎士が持つような盾ではない。
白い光の巨大なタイルと言った方が、表現的には適切だろう。
それがアウトランナーを中心に円形に、数十メートル広がっているのである。
「すげぇ……」
思わずもれる。
何がすごいって、もちろん見た目もすごいのだが、それよりも路面の安定性だ。
異世界に来て怖いことのひとつに、路面の悪さというのがある。
馬車が通るような整備された道でも、日本の舗装されていない田舎道程度である。
雨が降ればぬかるむし、砂利で舗装されていても速度は怖くて出せない。
唯一、この近くに走る都市から延びる街道は石畳だったが、アスファルトの快適さに比べたら天と地の差がある。
しかし今、走っているシールドはアスファルトを越えている。
地面からわずかに浮いているせいで、地面の凹凸の影響を受けない。
それどころか、まったく真っ平らだ。
おかげで上下の振動はほぼない。
だからと言って、氷のように滑るというわけではない。
適度にグリップ力が得られて走りやすいという、理想の路面なのだ。
「これなら怖くない!」
オレはさらにアクセルを踏み、アウトランナーの速度を加速させる。
しかし、光る円形のシールド路面は、まったく遅れることなく追従してくる。
なんとも不思議な感覚である。
(これがミネケ・プスの魔法か……)
魔法が出てくるアニメ等でもだいたいそうだが、やはり魔術士は、いくら早く詠唱ができても連続した近接攻撃には弱いらしい。
それを補うために、クシィが契約したのが守護の力に長けたミネケ・プスというわけだ。
ミネケ・プスは多くの守りの力をもっているらしく、これは地面からの攻撃を防ぐ為の術だと言っていた。
動作には、アウトランナーに蓄えられた魔力が使われているらしく、魔力がなくなるまでずっと効果があるとのこと。
もちろん、地面からの攻撃などは今回ないのだが、先ほど説明したとおり速度を落とさずに、逃げ回るにはちょうどいい。
それにたぶん、ヴァドラの攻撃で地面が抉られまくることはまちがいないだろう。
そうなっても、このシールド路面があれば安心なわけだ。
「現人!」
希未が横からヴァドラを指さす。
見れば、ヴァドラの口に光が集まってきている。
「――やべぇ!」
ハンドルをすぐさま切って方向転換。
荷室に載せてあったトランクボックスが、軽く縛っていたにもかかわらずガッコンガッコンと動き回る。
だが、そんなことを気にしている暇もない。
すぐに、炎の玉がとんでもない速度で飛んでくる。
「うわっ!」
緊急方向転換のおかげか、直撃は免れた。
しかし、着弾地点はアウトランナーのすぐ後ろあたりだ。
きっと爆風とか来て、アウトランナーはひっくり返ってしまうんじゃないか。
一瞬、そんなことが頭をよぎった。
「……え?」
だが、爆風どころか、その爆音さえわずかしか届いてこなかった。
何しろ巻きあげられた炎の荒波は、見えない堤防ですべて防がれていたからだ。
バックミラーに映る煙と炎は、歪に押し返されて渦巻いてしまっていた。
「なるほど。全力ではなさそうですが、なかなかの威力ですわね」
ミネケ・プスがそう言って笑う。
いや。本当に笑っているのかはよくわからない。
顔は此方を向いていないし、そもそも猫の笑い顔などわからないと思う。
だけど、なぜかそう感じられたのだ。
「アウト、また光ってる!」
今度は後部座席のミューが叫ぶ。
弱めのを何発も撃って、こっちを仕留めようというのだろう。
ヴァドラの炎程度では、ミューの持っている魔封宝珠に傷ひとつつかないからといって、好き勝手やってくれるものだ。
「任せろ! また逃げ切って――」
「――いいえ。そのままで」
オレの決意をルーフテントの上に乗ったミネケ・プスが遮った。
「そのままって!?」
「わたくしに任せてくださいな」
ミネケ・プスの言葉に驚いている暇もなかった。
背後のために炎の玉自体は見えないが、強く夕日が当たったかのように、真っ赤な光が車の後方から迫ってくるのがわかる。
(――死ぬ!?)
そう思った直後、何か大きな打撃音のような音が聞こえた。
同時に、夕日のような赤い光が、すっと消えたのだ。
「な、なにが……」
「あら。外れましたわね。この速度で走りながらでは精度が確保できませんわ」
ミネケ・プスの呑気そうな言葉のあとに、ミューが説明してくれる。
「にゃぴょん! 炎の玉が白い何かに打ち返されていった!」
「打ち返された!? なにそれ!?」
最初、ミューの見まちがいではないかと思った。
しかし、すぐにそうではないとわかった。
その後も、炎の玉はミネケ・プスによって打ち返されまくった。
何度かその様子を見ることができたが、ミネケ・プス自身がまるで白銀の布のように瞬間的にだが姿を変えていた。
そして、まるで風に舞うかのような動きで、炎の玉を弾きとばしていたのだ。
さらにヴァドラ自身が体当たりをかましてきたときも、まるで闘牛をあしらう赤いマントがごとく、シルクのような布になったミネケ・プスは、その巨体を受け流してアウトランナーに触れさせることさえしなかった。
「ミネケ・プスさん……ぱねぇ……」
攻撃を跳ね返す以外、こちらから攻撃はしなかったが、盾としては万能ではないだろうか。
そこからしばらく攻防は続いた。
ヴァドラも手を替え品……ではなく技を替えて攻撃してくる。
炎の玉だけではなく、雷のような攻撃までしてきていた。
しかし、どんなヴァドラの猛攻でも、ミネケ・プスは跳ね返し、受け流し、拒絶する。
まさに守り神。
戦う前の自信ある発言も納得できるというものだ。
もちろん、オレも避けられるときは避けるように運転していたけど。
「そろそろ、あのデカ物の魔力も半分ぐらいは消費したのではないかしら」
結構な数の応酬を繰りひろげたあと、ミネケ・プスがそう言った。
戦い始めてから、どのぐらいの時間が経ったのだろうか。
数分しか経っていない気もするし、数十分経っている気もする。
ただ、確かに少しヴァドラの攻撃回数も減ってきていた。
「では、そろそろクシィの方におびき寄せて――」
――こっちに来ないで!
突然、頭に響くクシィのテレパシー。
その声には、緊迫感がこめられている。
――なにがあった、クシィ!?
ファイの音なき声にクシィが答える。
――敵に囲まれたわ!




