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勇者ギルド監査官―討伐報告二十体、証拠は十八体―  作者: えんびあゆ
勇者の監査、報告書の向こう側編

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第7話 功績を捨てた勇者 [前編]

報告書の討伐者欄には、ノエル・リーヴの名が六回続いていた。


六件とも、立会人はガイル・フェンリス。

対象は湿地の小型魔物で、どれもB級以上なら一人で倒せる相手だった。

ノエルの実習評価が急に上がったのは、あの村の件から三週間後である。


「ノエルは剣が得意でしたか」


エルドが聞くと、ミレイスは報告書をめくった。


「学校の実技は下位。治癒と拘束は上位。最近、剣術が急に伸びた記録もありません」


窓の外では雨が降っていた。

王都の石畳を歩く人たちが、軒下で足を止める。

エルドは六枚の報告書を雨の降る順に並べ直した。

すべて、ガイルの依頼にノエルが補助として同行した日だった。


「本人から聞きます」


ミレイスは頷いたが、椅子を立つ前に一枚だけ別の書類を示した。


「昇格審査が明後日です。記録を直すなら、今日中に動かないと」


ギルドの治療室で、ノエルは濡れた外套を乾かしていた。

部屋には薬草の匂いがある。

壁の棚には包帯が積まれ、寝台の脇に杖を立てた勇者が一人座っていた。

左脚に添木を当てている。


「俺の討伐記録ですか」


ノエルは書類を見て、逃げなかった。


「ガイルさんが倒したのもあります」

「いくつ」

「四つ。たぶん」

「たぶん?」


ノエルは傷ついた勇者へ一度目をやった。


「あの人は、たぶん二つと言います」


ガイルが入口に立っていた。

水を払った髪が、いつもより顔に張りついている。


「実際、こいつが拘束して、俺が最後を刺しただけだ。仕事の半分はこいつ」

「報告書には、討伐者がノエルさん一人と」

「最後の一刺ししか数えねえ制度の方が、おかしいだろ」


「あのゴブリンの件とは違う。逃がしたやつを倒したことにはしてねえ。ノエルが止めて、俺が刺した。こいつの仕事を、こいつの数字にしただけだ」

「報告を読んだ別の隊には、最後に誰が刺したか分かりません」


エルドが言うと、ガイルは答えなかった。

違うと思いたい顔だった。


ガイルは濡れた外套を壁に掛けた。

議論する前から、その答えを何度も自分に言い聞かせてきた声だった。


「ノエルは倒すのが下手だ。でも、こいつがいなきゃ三件は負傷者が出た。そこを見ずに『討伐数が足りない』で新人のまま置く。C級になれば、こいつは医療班を率いて現場へ出られる。村の治療も早くなる」


ノエルは俯いた。

寝台の勇者が、杖の先で床を軽く叩いた。


「この脚も、こいつが止血しなきゃ失くしてた」


エルドは報告書を畳まずに持っていた。

六件のうち四件を訂正すれば、ノエルの討伐数は昇格基準に届かない。

訂正しなければ、次の現場では彼が剣を使える前提で配属される。


「現場へ出たとき、ノエルさん自身が困ります」


エルドが言うと、ガイルは鼻を鳴らした。


「腕前を知ってる連中と組ませりゃいい」

「別のギルドに派遣されたら?」


ガイルは答えなかった。

ノエルも顔を上げた。


「討伐者の記録は直します。その上で、治癒や拘束を功績として申請しましょう」


ミレイスが帳面を開いた。


「支援功績の認定は、通常の昇格審査とは別です。実績に対する立会人の署名が必要で、現場ごとの報告も」

「六件とも、書けます」


ノエルが言った。

ガイルが振り向く。


「お前、分かってんのか。二日後の審査には間に合わねえぞ」

「はい」

「新人のままでいいのか」

「よくはないです。でも、剣で倒したことにされるのは、もっと嫌です」


普段は声の小さい青年が、そこだけははっきり言った。

ガイルは何も言い返せなかった。



*



支援功績の記録を集めるため、エルドとノエルは六件の依頼先を歩いた。

最初の二件は簡単だった。

同行者の記憶も鮮明で、術式の痕も残っている。

三件目は、雨で地面が流れていた。

四件目には立会人が別の地方へ移っていた。


「もっと早く書けばよかった」


夕暮れの橋で、ノエルが言った。


「こうなる前なら、全部覚えていたのに」

「覚えていることを、今日書いてください」

「でも、証明できないこともあります」

「それは、証明できないと書きます」


ノエルは橋の欄干に肘を置いた。

下を流れる水は雨で濁っている。


「それじゃ、弱い記録になる」

「弱い記録でも、あなたが何をしたかは残せます」


ノエルはしばらく水を見ていた。

それから、鞄から小さな手帳を出した。

実習の日に自分で書いたメモだという。

傷の部位、治癒に使った時間、拘束術が持った秒数。

ページの角が湿気で丸まっている。


「これなら、現場の記録と合わせられるかもしれません」


エルドは手帳を受け取り、驚いた。

討伐数は一度も書かれていない。

代わりに、術が届かなかった距離まで残してある。


「ちゃんと、見ていたんですね」

「見て、覚えて、記録する。そうしないと次に直せませんから」


エルドは手帳を返した。


「その考え方、監査官に似ています」

「うれしくないです!」


ノエルは初めて少し大きく笑った。


四件目の立会人を探すため、翌朝は小さな宿場へ向かった。

馬車はまだ朝露の残る道を進み、午後前に着いた。

立会人だった勇者は一週間前に別の国境へ移ったという。

宿の主人は「何の用だい」と聞いたが、ノエルの手帳を見ても顔を思い出せなかった。


「あの日は魔物が出たんだろう。勇者が何人も来て、誰が何をしたかまでは」


宿の台所には新しい鍋が掛かっていた。

古い鍋は襲撃の夜に穴が開き、捨てたという。

主人が指した裏庭には、焦げた木柵が残っている。


「ここで拘束術を使いました」


ノエルが柵の手前に立つ。

ガイルは十歩向こうにいた。

魔物はその間を抜けようとしたので、ノエルが光の輪を張った。


「時間は?」

「三十秒くらい。手帳には二十七秒と」

「長かったか短かったか、私には分からんな」


宿の主人は腕を組んだ。


「ただ、あのとき、台所に子どもが二人いた。柵が破られなかったのは覚えてる」


エルドはその言葉を書き留めた。

術の持続時間は証明できない。

でも、拘束が子どもを守ったことは証言として残せる。

魔力の痕跡は雨で流れていた。


主人は台所の戸棚から、欠けた木皿を一枚持ってきた。

襲撃の夜、子どもがそこへ身を隠していたという。


「勇者が来て、光の輪が見えた。私は鍋を持ったまま動けなかった。何秒かなんて、数えてない」

「子どもはどちら側にいましたか」


ノエルが聞く。

主人は戸棚の位置を指した。

ノエルは庭の柵まで歩き、当時の立ち位置を確かめる。

手帳には自分の術の距離が書いてある。

庭と台所の間は思っていたより狭かった。


「俺が覚えてた場所、少し違います」


ノエルは手帳の余白へ訂正を書いた。

エルドは覗き込まない。


「不利になりますよ」

「でも、ここにいたなら、この子らへ届いた」


主人は皿を戸棚へ戻した。


「そこだけは、私も覚えてる」


三人の記憶は完全には重ならなかった。

ノエルの秒数、主人の子どもの位置、ガイルの討伐報告。

それぞれ別の線になる。

エルドは、一本へ無理にまとめないまま、現場図へ書いた。


宿を出ると、ノエルは手帳の訂正箇所を何度か見た。

数字を直せば自分の働きも小さくなると思っていたのだろう。

エルドはそうではないと説明しかけ、やめた。

本人がいま確かめた距離は、励ましより役に立つ。


ノエルは庭の地面を見ている。


「証明できないことが多いですね」

「人の記憶は、討伐証明の耳みたいに袋へ入れておけませんから」


エルドが言うと、主人は笑った。


「耳より鍋の方が覚えてるよ。今も困ってるからな」


鍋の代金は、魔物被害の補償を申請していなかった。

宿の主人は面倒で放置していたという。

エルドは申請用紙の場所を教えた。

主人は「また紙か」と呆れたが、新しい鍋の底を見て、夕方にギルドへ寄ると言った。


宿を出たところで、鐘が鳴った。

襲撃ではない。

川辺の工事で橋板が外れ、荷馬車が傾いたという。

宿場の人たちが一斉に走る。

エルドたちもついていった。


橋の途中で車輪が落ち、馬が前へ引こうとしている。

御者は手綱を持ったまま動けない。

荷台には石材が載っていた。

重量がかかれば、橋板がもう一枚抜ける。


「馬を止める!」


ノエルが手を伸ばし、足元に細い光の輪を張った。

馬の脚を縛る術ではない。

踏み込みの勢いだけを弱める柔らかい拘束だった。

ガイルは荷台へ回り、石材を一つずつ下ろす。


「エルド、橋の端に人を集めるな」


ガイルの声で、エルドは見物人を下がらせた。

宿の主人が小さな子を抱き上げ、離れた場所へ運ぶ。

御者は馬の首に手を置いた。

ノエルの術が持つ間に、ガイルが二つ目の車輪を支える。


橋板が軋んだ。


「あと十秒!」


ノエルの額に汗が滲む。

拘束を強くすれば馬が暴れる。

弱めれば前へ出る。

彼は呼吸を合わせて術を調整した。

ガイルが最後の石材を下ろし、御者が馬を後ろへ引く。

荷車は橋の手前へ戻った。


誰も魔物を倒していない。

報酬のつく勇者依頼でもない。

エルドが報告書を作るなら、まずどの欄へ書けばいいのか分からなかった。


「今の、勇者の仕事ですよね」


ノエルが聞いた。


「そうです」

「討伐数は増えない」

「増えません」


ノエルは橋板を見た。

ガイルが親方と一緒に応急の柵を立てている。

あの人が勇者として数えられているのは、今日も同じだ。

自分の仕事を数える仕組みが追いついていないからといって、ここで何もしない理由にはならない。


エルドは自分の試験結果を思い出しかけた。

あのとき、自分の不合格につながったと思っていた判断が一つあった。

いや、ノエルと一緒にはできない。

彼は不合格で、ノエルには今ここで救われた人がいる。

エルドは橋の下を見た。

濁った水へ、割れた板の欠片が流れていった。


エルドは宿の主人に、先ほどの襲撃の証言をもう一度頼んだ。

主人は「鍋の話も書いてくれ」と付け足した。

橋の件については、工事責任者が記録をつけるという。

エルドは二つの用紙の提出先を確認し、ノエルへ渡した。


「今度は、最初から本人の名で」


ノエルは受け取り、胸ポケットへ入れた。


五件目の現場は王都の外壁近くだった。

見張り塔の下で、前に魔物へ襲われた運搬人が荷を積んでいた。

彼はノエルを見るなり、車輪の影から小さな札を取り出した。


「あんたに渡そうと思ってた。あの日、荷車の下敷きになった荷は、全部助かった」

「俺がやったのは、車輪を止めた術だけです」

「だから助かったんだよ」


札はギルドへ提出する感謝状だった。

運搬人は字を書くのが遅く、清書に三週間かかったという。

そこには討伐のことが一行もなかった。


六件目では、あの水門の近くを通った。

魔物の拘束にノエルの術が使われ、ガイルが討伐した。

村の少女がエルドたちを見つけ、井戸水を汲む手を止めた。


「今日は、誰を助けに来たの」

「記録を直しに」


ノエルが答える。

少女は首を傾げた。


「壊れてないよ、井戸」

「井戸じゃなくて、俺の名前の横」


少女はますます分からない顔をした。

ノエルは諦めて笑い、井戸の桶を彼女の方へ寄せた。

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