第4話 倒されなかった火竜 [後編]
鉱山では、魔力石を運ぶ箱が山のように積まれていた。
商会の支配人は三人を見るなり、セレナへ笑顔を向けた。
「無事にお戻りでしたか。竜の素材は」
「ないよ」
「討伐は成功と伺っています」
「報告は訂正する」
支配人の笑顔が止まった。
「それでは、こちらの安全は」
「ここに来てから、竜に襲われましたか」
エルドが尋ねる。支配人は少し考えた。
「直接は。けれど火の息が」
「採掘を始める前は、出ていましたか」
「そんな昔のことは知りません」
エルドは台帳を見せてもらった。
採掘開始日は五週前。
灰の増加は四週前。
さらに、三週前から地下の温度が上がり、冷却魔具を増設している。
支配人は事故を避けるための支出だと説明した。
「地脈の温度を測っていますね」
「採掘業なら当然です」
「この数値、赤字になる直前で計器を交換しています」
「故障したので」
「故障の前日に、竜の討伐依頼を出している」
支配人は台帳を閉じようとした。
ミレイスが指を挟む。
「押収ではありません。写しをいただきます」
「監査局に鉱山の権限はないでしょう」
「勇者依頼の費用根拠を確認する権限はあります。あなた方が危険を知りながら依頼に記さなかったなら、その費用根拠に関わります」
言葉は丁寧だったが、指は動かなかった。
支配人は手を離した。
夕方、集落の会議所で三人は資料を並べた。
討伐依頼の写し。
採掘記録。
巣の鑑識結果。
セレナの結界の位置図。
集落の老人も同席した。
紙を見ながら、エルドは数時間前に見た採掘場の入口を思い出した。
作業員は日が傾いても地中から出てくる。
顔の横に白い粉がついていた。
支配人が「もう終業です」と声を掛けても、一人の男が道具を持ったまま残った。
「竜を倒したって聞いたんです」
男はセレナを見た。
肩幅の広い若者で、手袋には新しい裂け目がある。
「あれが嘘なら、明日から仕事は」
セレナは答える前に、支配人へ目を向けた。
支配人は口を開きかけ、閉じる。
「一部の坑道は止める必要があります」
エルドが言った。男の眉が下がる。
「全部じゃないのか」
「現時点では、巣へ近い南の二区画です。ただ、測定の結果で変わります」
男は手袋を外した。
指先に細かい傷がある。
「家の借金がある。三日休むと、今月の返しが足りない」
支配人がすぐに言った。
「休業補償は契約にない。危険区域外で働ける者は回す」
「残りの人は?」
ミレイスが聞く。
支配人は答えられなかった。
竜が生きていると分かれば、商会も困る。
だが依頼の理由を偽って討伐させていれば、危険を作った側の責任も消えない。
「私の報酬から出せる分は出す」
セレナが言った。
エルドは一瞬、それが早いと思った。
虚偽報告をした勇者の金で、働けない人の賃金を補う。
山へ登る前の彼なら、迷わず監査票に書いただろう。
だが作業員は首を振った。
「あんたが今月払ったら、来月は誰が払う。俺らは商会に雇われてる」
セレナは支配人を見た。
支配人は台帳に視線を落としたままだ。
エルドは自分の仮票に「報酬目的」と書いた跡を思い出した。
セレナを罰する計算を先にすると、商会が熱を知りながら働かせていた事実まで、彼女の嘘の下へ隠れてしまう。
「セレナさんの報告は別に訂正します。賃金と安全措置の責任は、まず商会にあります」
自分の口から言って、やっと順序が定まった。
セレナは礼を言わなかった。
代わりに作業員の破れた手袋を見ていた。
エルドは採掘記録の「地温異常」を指した。
「商会は熱を知っていました。働く人へは?」
「騒ぎになると思って」
支配人は破れた手袋を握る男を見た。
明朝、全員へ説明し、南の二区画を止めるという。
採掘を止める間は、運搬と測定を仕事にして、賃金は商会が払う。
男はようやく手袋をはめ直した。
セレナは鉱山の奥を見た。
「竜が子どもを抱えてるうちは、巣の近くへ私も行かせない。商会の人が困るのは分かるけど、あそこへ入ったら、竜の方だって守ろうとする」
支配人は頷かなかった。
「損失は請求します。賃金の件とは別です」
「請求は受けます」
ミレイスは認めるとは言わなかった。
支配人は男と目を合わせず、地温表の端を揃えた。
作業員が帰ったあと、エルドは鉱山の地温表をもう一枚もらった。
直近の値は、竜の息が強くなった日に必ず上がっている。
ただし順番は一定しない。
竜が原因の日も、地脈が先の日もある。
どちらか一方を犯人にして終わらせるには、現場は複雑だった。
「明日の観測に、商会の技師を入れますか」
ミレイスが聞く。
「はい。自分たちの数字を、自分たちで見てもらいます」
会議所へ意識を戻す。
目の前の地図には、作業員が明日も通る道が記されていた。
「で、結局どうなる」
老人が聞いた。
「竜を倒すのか。鉱山を閉めるのか。わしらは明日もここで寝たい」
エルドは一瞬、言葉に詰まった。
人間と竜のどちらを守るかという問いなら、答えるのは簡単だ。
けれど村人には暮らしがあり、鉱山で働く人もいる。
昨夜と同じ家で眠れることが、まず必要だった。
「今夜は山道を封鎖し、村の避難経路を確保します。採掘は危険区域だけ止めます」
エルドは地図に線を引いた。
巣を中心に、火の届く斜面を避ける道。
川側の水場は使える。
結界の維持はギルドに依頼できる。
「竜については?」
セレナが聞いた。
「討伐報告を撤回します。その上で、保全観察の指定を申請します」
「そんな区分があるの?」
「勇者法施行規則の旧条文に。数は少ないですが、危険な魔獣でも、生態の維持が災害防止に必要な場合に使われています」
エルドが資料を差し出すと、ミレイスが補った。
「指定には、村の同意と定期観測が要ります。問題が起きたら、保全のまま放置はできません」
セレナは資料より老人を見た。
「私が観測する。卵が孵ったあとの移動まで見る」
「お前さんが来るなら、わしらも見回りはする」
老人はそう言ってから、苦笑した。
「竜が畑を踏んだら、請求書はギルドへ出すぞ」
「私に出して」
「お前さん、書類が嫌いだろう」
「嫌い」
「じゃあ、ちゃんと受け取れるよう、誰か連れてこい」
セレナはエルドを見た。エルドは視線を逸らさなかった。
*
監査局へ戻ると、ミレイスはセレナの虚偽報告の認定書を作った。
記載したのは、一週間の指名依頼停止と、現地保全計画の提出義務。
S級の資格には触れない。
セレナ自身が訂正し、危険を抑える措置を取っていたことが理由だった。
「怒らないんですか」
帰り支度のセレナがミレイスに聞いた。
「怒っています」
「顔に出ないね」
「あなたが報告を偽ったことで、村に必要な情報が一日遅れました」
セレナは言い返さなかった。
「その分、明日からの観測記録は毎日出します」
「毎日です」
「分かった。毎日」
ミレイスは認定書を渡す。
セレナは印を押し、エルドにも目を向けた。
「あなたは、私が竜を助けたかったことを信じたんだね」
「信じたというより、卵を見ました」
「ひどい言い方」
「僕は監査官なので」
セレナは笑わなかった。
エルドは朝の監査票の、消した跡を思い出した。
「山へ行く前、報酬目当てだと書きました。根拠はなかった」
「私も報告に嘘を書いたよ」
「それは、別です。あなたに聞く前から、そういう人だと思いたかった」
セレナは印を押した指を布で拭いた。
「謝れば、私が気にしなかったことになる?」
「なりません」
「じゃあ、明日の観測はちゃんと来て。監査官なら、私の記録が足りないところを言って」
エルドは頷いた。
セレナは返事を待たずに部屋を出た。
彼女が出ていったあと、エルドは鑑識袋の黒い筋を見た。
ミレイスは谷で採った小瓶を横に置き、二つの試料へ針を当てた。
針先の石が、同じ鈍い色を返す。
「谷のゴブリンと、火竜の鱗」
「採取地点は離れています」
ミレイスは二つの袋の間に定規を置いた。
「偶然なら、ずいぶん広い偶然です」
エルドは地図を開いた。
北の谷と西の山を結ぶ線は、王都の外周をかすめていた。




