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勇者ギルド監査官―討伐報告二十体、証拠は十八体―  作者: えんびあゆ
勇者の監査、報告書の向こう側編

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第3話 倒されなかった火竜 [前編]

火竜が討伐されたという報告が届いた翌朝、山の上に赤い雲が出た。


「火山の噴煙じゃありません」


監査局の窓を開けた職員が言った。

雲は西へ細く流れ、陽を受けると内側から光って見えた。

火竜が縄張りを示すときに吐く、熱の混じった息だ。


エルドは報告書を閉じた。

討伐者はS級勇者セレナ・ヴァルキス。

昨日の日付で「成体火竜一頭、討伐完了」と署名している。

素材の搬入欄は空白だった。


「倒した竜が、今朝も息をしているようですね」


ミレイスは鞄に鑑識具を入れた。


「本人に聞きましょう。セレナさんが素直に話すなら、午前中に終わります」

「素直に話す方ですか」

「監査官に対しては、特に」


その言い方で、終わらないだろうと分かった。


エルドは表紙に書かれたS級の文字を見た。

自分が勇者試験の結果通知を受け取った年、セレナはもう討伐実績を積んでいた。

同じ教本で学び、片方は剣を持って山へ行き、片方はその報告書を読む。

仕事に不満はない。

そう言える日と、言えない日があった。


今朝は後者だった。

素材もないのに「討伐完了」と書けるのは、S級だからだろうか。

そこまで考え、エルドは報告書を鞄の奥へ押し込んだ。


セレナは勇者ギルドの訓練場にいた。

銀色の髪を後ろで束ね、木剣を握った新人二人の間を歩いている。

誰かが距離を詰めすぎると、足首を軽く蹴って下がらせた。

訓練用の剣を持つ手は空だったが、その腰には炎色の鞘がある。


「セレナ・ヴァルキスさん」


エルドが声をかけると、彼女は振り返った。

青い目が、監査局の紋章を捉える。


「昨日の火竜の件?」

「はい。討伐証明の確認に来ました」

「書類は出したよ」

「素材がないので、現地確認が必要です」


セレナは木剣を新人に返し、エルドの顔を見た。


「肩書きは?」

「国家勇者監査局、第一監査課のエルド・カレインです」

「若いね」

「あなたと一つしか違いません」

「私は二十二。あなたは?」

「二十三です」

「一つ上か。ごめん」


謝り方があまりにも軽く、エルドは返事をしそびれた。

セレナは続けて、ミレイスに向いた。


「で、眼鏡の監査官は何を疑ってるの」

「報告書が事実と異なる可能性です」

「はっきり言うね」

「曖昧なまま山へ登るより安全ですから」


少しのあいだ、二人は互いを見ていた。

エルドは昨日の小瓶を思い出した。

青白い粉に混じった黒い層。

今朝の赤い雲とは別の現象だろうか。


「山へ行かせてください。あなたにも同行をお願いします」


セレナは訓練場の外へ目をやった。

二人の新人が、話を聞かないふりで剣を振っている。


「いいよ。見れば分かる」


山へ出る前、エルドは仮の監査票を作った。

「虚偽報告」の横に、鉛筆で「報酬目的」と書く。

討伐の証拠がないのに報酬を請求している。

筋は通ると思った。


ミレイスがその二語を見た。


「目的はまだ分かりません」

「報酬の請求書があります」

「受け取るために嘘を書いたかは、別です」


エルドは消しゴムを持ったまま、すぐには字を消さなかった。

訓練場を出てきたセレナが、二人の後ろで立ち止まる。


「私がS級だから、これで通ると思ったんでしょ」


仮票が見えたのかと思ったが、彼女の視線はエルドの顔にあった。


「通っていません。だから来たんです」

「そういうことを聞いたんじゃない」


セレナは馬の手綱を取った。

エルドは「報酬目的」を消した。

紙が少し毛羽立つ。

消せたのは字だけだと、山道へ出てからも気になった。



*



西の山道は途中から土が温かかった。

靴底を通して熱が伝わる。

山腹の集落では、屋根の上に薄い灰が積もっていた。

井戸の桶にも同じ灰が浮いている。


「竜が暴れたせいですか」


エルドが尋ねると、道案内の老人は首を振った。


「ずっと前からさ。ここひと月でひどくなった」


竜が村を襲うなら、家畜が先に騒ぐという。

だが羊は谷の草を食べ、水場にも近づいている。

困っているのは灰と熱だけだった。


討伐依頼を出したのは、この集落ではない。

山の南で新しい鉱山を開いた商会だった。

道案内の老人がその名を出すと、セレナは少しだけ足を速めた。


「商会は何を掘っていますか」

「白い石だ。魔具の芯になるって」


ミレイスがエルドを見た。

火竜が住む山で採れる魔力石。

採掘が始まった時期と、灰が増えた時期は重なる。


昼過ぎ、三人は尾根の穴に着いた。

竜の巣は岩の割れ目の奥にある。

入口には削れた鱗がいくつか落ちていた。

エルドが屈むと、セレナが腕を引いた。


「そこから先、私より前に出ないで」


岩の奥で何かが動いた。

暗がりから、大きな金色の目が一つ見える。

その下で、さらに小さな影が身じろぎした。


火竜は生きていた。

翼の端は裂け、左の前脚には古い傷がある。

身体を巣の中央へ寄せ、卵を三つ抱えていた。

殻の一つには、小さなひびが入っている。


「これが、あなたの倒した火竜ですか」


ミレイスの声は静かだった。


「違う」


セレナは嘘を続けなかった。


「討伐したと書いた。でも、斬ってない」

「なぜ」

「子どもがいるから」

「それだけでは、依頼を虚偽で完了にできません」


ミレイスが言うと、セレナは唇を噛んだ。


「巣を壊せば、卵が割れる」

「巣を残す選択はあります。討伐したと報告する必要はありません」

「正直に『生きてます』って書いたら、次の勇者が来る。商会が高い素材代を乗せて、また依頼を出す。私が逃げたと思われるだけなら構わない。でも、こいつは次で殺される」


竜がゆっくり頭を上げた。

セレナの声を覚えているように見えたが、エルドには確かめようがない。


「村に危険はありませんか」


エルドは巣の外を見た。斜面には乾いた草がある。

火竜の息が一度強まれば、谷まで火が走る。


「ないとは言わない」


セレナが答えた。


「だから昨日、岩の裂け目を塞いだ。熱が巣の中へ戻るように。村へ向かう道には結界を張った」

「それも報告していない」

「討伐の欄しかなかったから」


ミレイスは反論しなかった。

報告書には確かに、討伐対象、使用術式、素材、報酬の欄しかない。

撤退や捕獲の欄はあるが、繁殖中の魔獣を保護した場合に何を記すのか、一目では分からない。


エルドは足元の鱗を一枚拾った。

表面に黒い筋がある。

火竜の本来の色ではなかった。


「傷ではありませんね」


ミレイスが鑑識針を当てた。

針先の小さな石が鈍く光る。


「外から入った魔力です。南側の地層と同じ傾向」


竜が巣を離れずに熱を吐いていたのは、鉱山の採掘で地脈が揺れ、卵を守るために熱を循環させていたからかもしれない。

セレナはその説明を聞いて、岩壁に手をついた。


「やっぱり、商会が先に山を起こしたんだ」

「まだ仮説です」


ミレイスは鱗を小袋へ入れた。


「採掘現場の記録と比べれば、もっと確かなことが言えます」


巣を離れるとき、卵の殻が内側からわずかに動いた。

セレナが足を止める。

火竜は彼女の方を向き、短く息を吐いた。

熱は届かなかった。


山道を下りてもしばらく、セレナは振り向いていた。

エルドは巣の位置を地図へ書き込む。

金色の目を見たあとでは、印一つで囲うのがためらわれた。


「最初に依頼を見たとき、何を聞きましたか」


エルドが尋ねる。

セレナは少し考えた。


「竜が熱を吐いて、鉱山が危ないって。支配人からね」

「村の人とは」

「話してない。急いで山へ来たから」


自分で言ってから、彼女は口を閉じた。

巣に卵があると分かったのは、竜の前へ立ってからだった。

そこで斬るのをやめ、商会へは討伐したと伝えた。

村へ降りて、本当に困っていることを聞く手順は残っていた。


「商会がもう一人の勇者を呼ぶのを止めたかった」

「それは分かります」

「でも、報告書に竜が生きてると書いたら、依頼は未完了になる。次の日には別の剣が来る」

「だから、完了にした」

「そう」


セレナは石を蹴った。

小石は山道の端で止まった。


「良い方法だと思ったんじゃない。ほかの方法を、その場で考えられなかった」


エルドは返事を急がなかった。

彼女が嘘をついた理由は、卵を見れば理解できる。

だが報告を信じた集落では、危険が終わったと思って山道を使う人もいる。


「次に同じことがあったら、僕らへ連絡してください」

「あなたたちが来るまで待てないときは?」

「結界を張って、避難を頼んでください。その時間で、現地保全の許可を取ります」

「規則にあるの?」

「古い規則を探します。なければ緊急措置として記録します」


セレナは疑問の表情を浮かべる。


「ずいぶん監査官らしくない」

「記録を残すのは、監査官の仕事です」


言い切ってからエルドは少し不安になった。

ミレイスが後ろで聞いている。

彼女は何も言わず、鱗の入った袋に採取時刻を書いていた。その沈黙に助けられた。


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