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勇者ギルド監査官―討伐報告二十体、証拠は十八体―  作者: えんびあゆ
勇者の監査、報告書の向こう側編

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第2話 数の合わないゴブリン討伐 [後編]

畑へ向かった一体は、午後になる前に見つかった。

川辺に置かれた水桶を倒し、農具小屋の下へ潜り込んでいた。

ガイルが剣で入口を塞ぎ、ギルドから呼んだC級勇者が捕獲した。

危険が去ったことを確認するまで、エルドたちは畑に人を入れなかった。


問題は、もう一体だった。


「血が途切れています」


水門の石段で、ミレイスがしゃがんだ。

砂の上には細い赤茶色の筋が続いていたが、鉄扉の手前で消えている。


「水へ入ったんでしょうか」

「その可能性はあります。ただ、傷を負った足で流れに逆らうとは思えません」


エルドは石段の下を見た。

川の水位は低い。

水門の扉は半分閉まり、下部に人の腕ほどの隙間がある。

ゴブリンなら通れる。

しかしその先は、村の共同井戸へ続く古い導水路だった。


「井戸を使う家は?」

「今は二軒だけです」


後ろから声がした。

昨日救われた少女だった。

母親の手を握り、土手の上に立っている。

エルドが声をかける前に、ガイルが母子へ向かった。


「家へ戻れ。井戸も今日は使うな」

「あの」


少女はガイルではなく、ノエルを見ていた。


「昨日は、ありがとう」


ノエルは何か答えようとして、言葉を見つけられないようだった。

少女の膝には新しい包帯が巻かれている。

ノエルが昨日巻いたものより、ずっときれいだ。


「君、ここへ来ちゃだめだ」

「お母さんと一緒だよ」

「そうじゃなくて。まだ、危ないから」

「じゃあ、早く終わらせて」


少女は正直だった。

ノエルは頷き、ガイルとともに水門へ向かった。


エルドは導水路の図面を探した。

村役場の保管箱に、一枚だけ残っていた。

四十年前の改修図。

現在の井戸へ続く管のほかに、使われていない点検口が二つある。


「ここを閉めれば、出口を一つにできます」

「閉めるだけなら私がやります」


ミレイスが言い、役場の職員から鍵を受け取った。

小柄な背中が石段を降りる。

戦えないと口にした人の歩き方ではなかった。

怖くないのではなく、怖くても手順を守る歩き方だと、エルドには思えた。


鉄扉の下で、ノエルが片手を伸ばした。

淡い光が水面を薄く覆う。

治癒術の応用で、触れた魔力の流れを遅らせる術だという。

剣で追えば狭い管の中を逃げ回る。

出口を限定して捕える方が、村への被害も少ない。


「昨日は、これを使うつもりでした」


ノエルはエルドに聞こえる距離で言った。


「でも、あの子の声がして、手が勝手に動いて」

「今日も、手は動いています」

「慰めですか」

「見たままです」


点検口の蓋が閉まる音がした。

ミレイスが手を上げる。

ガイルが水門の扉を開いた。

冷たい水が流れ出す。

光の膜が揺れ、泥の中から小さな影が跳ねた。


ノエルが一歩踏み出す。


「そこです」


光の輪が影を捕らえた。

ガイルの剣が、その前へ突き立つ。

逃げ道を失ったゴブリンは歯を剥いたが、近づくことはできなかった。

ギルドの勇者が拘束具を掛ける。

ようやく二体目が確保された。


誰も歓声を上げなかった。

村の水路が汚れていないか、これから調べなければならない。

点検口も元に戻す必要がある。

仕事は、剣を収めたところでは終わらなかった。



*



夕方、ギルドの小会議室には四枚の書類が並んだ。


元の討伐報告書。

訂正届。

追跡記録。

少女の救助申告書。


「虚偽の数字を記した事実は残ります」


ミレイスはガイルを見た。


「監査局への報告と、ギルド内の戒告を勧告します。追加の討伐報酬は支給できません」

「承知した」


ガイルの返事は短かった。


「ノエルさんの件は?」


エルドが別の用紙を出す。


「勇者法施行規則に、依頼遂行中の緊急救助を実習評価へ算入する手続きがあります。討伐未達の減点は消えません。ただ、少女の救助と今日の拘束は、別の実績として審査できます」


ノエルが用紙を受け取った。

文字を追う目が、途中で止まる。


「こんな項目、学校で習いませんでした」

「試験には出ます」

「出ましたっけ」

「去年の筆記、三十二問目」


ノエルは少しだけ笑った。

ガイルが横から覗き込む。


「お前、よく覚えてるな」

「僕も受けましたから」


部屋が静かになった。

エルドは用紙の角をそろえた。

国家勇者試験の最終実技で落ちたことは、監査局では隠していない。

けれど勇者の前で口にしたのは初めてだった。


「実技は駄目でした。でも、筆記は得意だったんです」


ガイルはしばらくエルドを見ていた。

やがて、苦い顔で笑った。


「俺は、監査官ってのは数字を減らしに来る連中だと思ってた」

「減らす数字もあります」

「そうだな。二十を十八に戻した」


エルドは返事をしなかった。

昨日の時点で正しい数字を書いていれば、水門の確認はもっと早くできた。

それは消えない。


ノエルは救助申告書の空欄に、少女の名前を書いた。

文字は少し歪んでいたが、最後まで書き直さなかった。


「これで、俺は勇者を続けられますか」

「審査の結果は、僕には決められません」


エルドは正直に答えた。


「ただ、昨日あなたがしたことを、討伐失敗の一行だけで終わらせずに済みます」


ノエルはその一行を見つめ、それから頷いた。


帰り際、ミレイスが現場鑑識の小瓶を卓上に置いた。

中には水門の石から採った、青白い粉が入っている。


「ゴブリンの魔力痕に、異質な層が混じっていました。村の地脈より濃い」

「魔物が増える前触れですか」

「まだ分かりません。たまたまの偏りかもしれない」


ミレイスは小瓶を窓明かりにかざした。

粉の一部が、光を受けて黒く見えた。


「念のため、持ち帰ります」


エルドは外へ出た。

ギルドの依頼札は半分ほど外され、朝よりずっと静かだった。

村へ帰る荷車の上で、少女が母親に何か話している。

ノエルが拘束の輪を作ったときの手振りを、何度も真似していた。


エルドは朝拾った赤い紐を、母親へ見せた。

少女が身を乗り出す。


「それ、私の」

「谷の川辺にありました」

「走ってるとき、ほどけたのかな」


紐はまだ汚れていた。

母親は礼を言い、荷の隅から小さな布を出して拭いた。

少女はその場で髪に結び直し、ノエルへ得意そうに見せる。

ノエルは「今度は、そこへ入らないで」と言った。

少女は分かっているのかいないのか、真剣な顔で頷いた。


ガイルはその姿に気づき、ノエルの肩を軽く叩いた。


「生きて帰りゃ勝ちだ。帰ってから、ちゃんと書け」

「はい」


エルドは訂正済みの報告書を鞄にしまった。

二十と書かれた数字には一本線が引かれ、その横に十八とある。

余白には、当初の依頼から逃れた二体を別の追跡作業で捕らえたことと、救助の経緯が小さな字で追加されていた。


数字は減った。

けれど、その紙に書かれた人間の仕事は、朝より少し増えていた。

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