第1話 数の合わないゴブリン討伐 [前編]
討伐報告書に書かれた数字は、二十だった。
エルド・カレインは指でその数字を押さえ、もう一度、荷馬車の床を見た。
麻袋は九つ。
討伐証明には一体につき右耳一枚を使う。
ひと袋に収められた耳は、すべて二枚ずつ。
数え間違いようがない。
「十八です」
言うと、隣で眼鏡を直したミレイス・ハルトナーが頷いた。
「三度数えても変わりません。報告書は二十体」
「二体、どこへ行ったんでしょう」
「それを調べるのが、私たちの仕事です」
荷馬車の向こうでは、勇者ギルドの職員が朝の依頼札を掛け替えていた。
北の街道の護衛、井戸の魔物調査、山腹での薬草採集。
札の前には剣を下げた若者が三人、順番を待っている。
子どもの頃、エルドは勇者を一人だけの特別な存在だと思っていた。
実際には免許を持つ者がこの国だけで千人以上いる。
学校へ通い、試験を受け、登録先のギルドで仕事を選ぶ。
腕のよい勇者ほど、朝から依頼札の前で悩んでいたりする。
エルド自身も、その列に並ぶつもりだった。
今は国家勇者監査局の制服を着て、勇者が書いた数字を確かめている。
監査局へ入って最初に教わったのは、数字を疑う前に数字の作られ方を見ることだった。
ミレイスは朝、ギルドへ直行しなかった。
昨日の討伐現場へエルドを連れていき、地面に残るものから数えさせた。
谷の入口には、村人が作った細い木の柵がある。
魔物が越えてきた跡はない。
討伐は柵の外で行われた。
石の近くに古い火術の焦げ、斜面に剣の傷。
エルドはしゃがみ、一体ずつ倒れた位置を図へ写した。
「報告書を見ないで、何体だと思いますか」
ミレイスが聞いた。
「十七、いや、十八です」
「迷ったのは?」
「ここで跡が重なっています」
彼が指した泥には、三組の小さな足跡があった。
一組は倒れた魔物の下で止まり、残る二組は川へ向かって続く。
ミレイスは近くの草に付いた泥を取り、採取袋へ入れた。
川辺へ続く二組の足跡は、片方だけ歩幅が狭くなっている。
「負傷して、逃げた可能性があります」
エルドは言った。
「可能性、と書きましょう。確定は、現物か証言が出てから」
彼女は図の余白へそのまま書いた。
新人の自分が見つけた足跡を使ってくれるのが、少し嬉しかった。
川のそばには、子どもの赤い紐が落ちていた。
端に土が付き、結び目はほどけていない。
エルドが拾おうとすると、ミレイスが「先に位置を」と止めた。
彼は地図へ印をつけ、紐を袋に入れた。
持ち主はまだ分からない。
「討伐依頼が二十体なら、十八体で終えて報告を出した勇者は困りますね」
帰り道、エルドが言った。
「困るのは勇者だけですか」
「村も。二体が残っているなら」
「そうです」
ミレイスは歩調を変えなかった。
エルドは返事をもう少し早く言えたはずだと思った。
監査局の制服を着ても、勇者の評価ばかり気にする癖は残っていた。
ギルドへ戻ると、事務員が耳の入った麻袋を並べてくれた。
袋の外側には討伐日と依頼番号が記されている。
エルドは一つずつ開け、図の位置と照らした。
十八。現場の印と合う。
二体について、誰かが嘘をついているか、まだ持ち帰っていないかのどちらかだ。
事務員が帰ったあと、エルドは机の下で指を握った。
初仕事でA級勇者の報告を訂正する。
言葉を間違えれば、相手はすぐ壁を作るだろう。
ミレイスはそんなエルドに気づいたのか、鞄から水筒を出して机へ置いた。
「飲むなら、今です」
「緊張して見えますか」
「見えます」
エルドは水を飲んだ。
苦味のある茶だった。
勇者学校の試験前、友人から分けてもらったものに似ている。
少しだけ、喉の渇きが引いた。
「坊主。耳なら、ちゃんと全部持ってきたぞ」
荷馬車の持ち主、ガイル・フェンリスが近づいてきた。
A級勇者。
腕の太さはエルドの脚と変わらない。
笑えば頼もしい顔だが、今は笑っていなかった。
「全部で十八体分です」
「報告には二十と書いた」
「はい。なぜですか」
ガイルは一度、ギルドの建物へ目を向けた。
入口の陰に、青年が立っている。
肩に白い包帯を巻いた新人勇者ノエル・リーヴだ。
「現場で二体、焼けて耳が残らなかった」
ミレイスの細い指が、帳面の端を叩いた。
「使用された火術は、ガイルさんの小型発火弾が一発。現場の魔力痕も確認しました。焼失なら、灰の中に骨片が残ります」
「あんた、もう現場に行ったのか」
「報告書が提出された日に」
ガイルは低く息を吐いた。
エルドは荷馬車から降りた。
地面には昨日の雨がまだ残り、靴底に泥が張りつく。
「二体は生きていますね」
ガイルの視線が、まっすぐエルドへ来た。
「何を根拠に」
「証明がないことだけなら断定できません。ただ、現場に残された足跡が二組、川の方へ向かっています」
「耳の数を調べに来たんじゃなかったのか」
「それも仕事です。逃げた二体が村へ来るなら、そちらも」
ガイルは答えなかった。
代わりに、入口の陰のノエルが動いた。
「俺が逃がしました」
声は小さかったが、届いた。
ノエルは包帯を巻いた肩をかばいながら歩いてきた。
「谷の手前で、二体を足止めする役でした。でも、術式を外して」
「ノエル」
「いいです。もう」
ガイルが止めても、ノエルは引かなかった。
ただ、エルドの顔は見なかった。
「見習い登録の最初の討伐です。失敗したら再評価になる。それでガイルさんが、数字を」
「俺が書いた。こいつに責任はない」
責任がないわけではないだろう。
けれどエルドは、その言葉をすぐに訂正しなかった。
二人が隠したかったものは、数字だけではなさそうだった。
「谷で、何がありましたか。術を外したところから聞かせてください」
ノエルは肩の包帯を見た。
結び目だけが新しい。
中の布は、乾いた泥で茶色くなっている。
「子どもがいました」
村はずれで薬草を摘んでいた少女が、討伐区域に入り込んでいた。
ノエルは二体を拘束するはずの光の輪を少女の足元へ飛ばした。
転んでいた少女を引き寄せ、その間にゴブリンが逃げた。
「少女は無事でしたか」
「擦り傷だけ。家まで送りました」
「報告書には?」
「書いてません」
ガイルが先に言った。
「討伐依頼に救助は含まれねえ。二体逃げたと書けば、ギルドはあいつを失敗で処理する。救助のことを書いたって、点にはならん」
「それでも、逃げた二体の報告は必要です」
エルドが言うと、ガイルは口の端を曲げた。
「分かってる。だから、探しに戻るつもりだった」
「いつですか」
「今日だ」
「昨日の夕方に村へ向かっていたら、今日では遅いです」
少し強い言い方になった。
ガイルが眉を寄せる。
エルドは息を整えた。
「僕は、あなたがノエルを守りたかったことを否定しません。ただ、その二体から村を守るためにも、正しい位置を知る人が必要です」
ノエルが顔を上げた。
ガイルは黙って腕を組む。
「ノエルさん。逃げた二体は、同じ方向でしたか」
「最初は。川へ下りたあと、一体が先に土手を登って、もう一体は水の中へ」
「片方は足を引きずっていました?」
「……そうです。どうして」
「現場に歩幅の狭い足跡があったので」
エルドは地図を広げた。
川は上流で二股に分かれる。
片方の岸には畑、もう片方には古い水門がある。
足の速い個体は畑へ、傷を負った個体は水門の暗がりへ隠れる可能性が高い。
「私も行きます」
ミレイスが地図の端を押さえた。
「あなたは戦えませんよ」
「知っています。だから、道を選びます」
「私も戦えません」
「知っています」
「二人揃って知っているなら結構です」
ミレイスは地図を畳んでガイルに渡した。
「緊急の追跡依頼を発行させます。逃走の届出も、今ここで。虚偽報告の扱いは、村の安全を確保してからです」
ガイルが少し驚いた顔をした。
「先に処分を言い渡すと思った」
「順番を間違えるほど、書類好きではありません」
その言い方にエルドは横を向いてしまった。
笑うところではない。
ミレイスは気づいて、眼鏡の奥から睨んできた。




