第30話 勇者法制度改正 [前編]
七つの観測拠点に灯りが入った。
王都の北から西へ、暗い地脈の上に小さな光が並ぶ。
各拠点には勇者が二人、技師が一人。
ギルドの伝令は拠点と拠点の間を走り、ノエルの医療班は水と包帯と薬を積んで待機した。
魔王の力を一人へ渡すための夜ではない。
誰かがそう言い切ったわけではないが、エルドには灯りの並びがそう見えた。
「第一仮設点、準備完了」
通信石から声が届く。
ミレイスが数値を読んだ。
七か所の流入量は揃っている。
整備できた古い魔具四十四台のうち、三台を予備に残し、残りは七つの列で段ごとに魔力を薄める。
エルドは中央の起動台に手を置いた。
熱くも冷たくもない石。
昨日までは人を探すために使われていた受容測定器が、今日は流れを整える入口になっている。
「中止の条件を確認します」
ミレイスは紙を見ずに言った。
「第一に、いずれかの拠点が危険値を越えた場合。第二に、遮断弁の反応が遅れた場合。第三に、エルド本人が中止を求めた場合」
「了解しました」
セレナは外の結界位置へ行く前に、エルドの肩へ手を置いた。
「言いにくくなったら、手を上げて。私が止める」
「あなたが止める権限は」
「ここにある」
彼女は許可書の写しを見せた。
緊急遮断の責任者として、セレナの名が書いてある。
ミレイスが追加したらしい。
「分かりました」
セレナが外へ出た。
ガイルから通信が入る。
避難路は確保済み。
住民には魔力調整試験と説明し、必要ならすぐ移動できるようにしてある。
オルディスは監視室の後ろに立っていた。
剣は持たない。
今夜の責任者として、七つの観測拠点の通信を聞いている。
「始めろ」
エルドは石へ魔力を通した。
実技試験で不合格になった時と同じ、身に覚えのある細い流れ。
すぐに北の塔が反応し、地下から集まるものが七方向へ分かれた。
第一段の魔具が青く光る。
続いて第二段。
第三段。
「流入、予定内」
ミレイスの声が届く。
ノエルが別の通信石から、支援術の具合を伝えた。
「調整を始めます。入口の圧が上がってますが、まだ抑えられます」
エルドは指先を見た。
冷たい針が皮膚の下を走る感じはある。
しかし、魔力は身体に留まらず、回路へ出ていく。
十七分後、第五塔の灯りが揺れた。
「流入が増えた。予測より二割」
ミレイスが数値を言う。
エルドは地図を見た。
第五塔はノルタ村へ向かう湿地の上にある。
以前そこで採った粉が、あの帯の初めの兆候だった。
「遮断弁を半分に」
「了解」
塔の技師が返事をする。
針が少し下がった。
その瞬間、第二塔で別の針が跳ね上がる。
流れを閉じれば別の場所へ押し寄せる。
紙の上で描いた均等な七本は、実際の地脈にはない。
「第二塔、危険値まであと少し」
ミレイスが言った。
オルディスの手が通信石へ伸びる。
「中止する」
「待ってください」
エルドは止める権利が自分にあることを思い出した。
続ける権利も、無条件ではない。
第五塔と第二塔の間に、空きのある第四塔がある。
「第四塔へ予備魔具を繋げます。第二の入口は閉めず、第四へ迂回を」
「予備は三台しか」
「一台で、波の最初だけ受ける」
ミレイスは即座に計算した。
「四十秒なら、耐えます。ノエル、第四塔の回路を見て」
ノエルの返事が一瞬遅れた。
「見えます。繋ぎます」
光が第四塔へ移る。
第二塔の針が下がった。
エルドの指先の冷たさも薄れる。
そこで、火竜の巣につないだ熱の逃げ道が、予想より早く止まった。
「西の山から報告。竜が巣の入口を塞ぎました」
セレナの声だった。
竜は卵を守るため、熱を回す道を自分で閉じたらしい。
「無理に開けないでください」
エルドが言う。
紙の上では使える出口でも、竜は設備ではない。
「開けない。こっちで受ける」
セレナの炎が山の外側に広がった。
巣に届かない高さで、余熱だけを空へ逃がす。
彼女がいつまで耐えられるか分からない。
ガイルは近くの村へ先に伝令を出した。
「西を止めるなら、早く言え。避難の合図を待たせるな」
「十分以内に決めます」
ミレイスの声が硬くなった。
エルドは起動台の石を見た。
人の身体が便利な逃げ道なら、誰でもそこへ戻したくなる。
自分の指先へ集まる流れが、それを誘っているようだった。
「僕へ回す量を、増やさないでください」
エルドは全員に聞こえるように言った。
「分かっています」
ミレイスが返す。
セレナからも短い返事があった。
誰かが黙って肩代わりする仕組みにしない。
そのために、七つの灯りをともした。
ノエルが通信石を叩いた。
「第四塔の余りを、医療用の冷却槽へ流せます。今日は負傷者が少なく、槽が空いている」
「医療所が明日の治療に使えなくなる」
ミレイスが指摘する。
「予備の槽を運びます。明日の朝までに戻せる」
ノエルは確認を取り、医療班の了承を得た。
冷却槽が一台ずつ接続される。
針は少しずつ下がり、セレナの炎も弱まった。
四十分後、七つの拠点の数値が安定した。
今の器へ流れ込む量は、昨夜より大きく減っている。
完全にゼロではない。
けれど、一人の限界へ迫る速度を落とせた。
「今夜の試験は成功、ですか」
技師が聞いた。
即座にミレイスは答えた。
「明日の値を見てから、そう書きます」
技師は苦笑した。
エルドも、ようやく手を起動台から離した。
膝が少し震えたが、立っていられる。
ノエルが水を持ってくる。
手を離しても、七つの線は消えなかった。
起動台の針が一度だけ揺れ、それから元の幅に戻る。
エルドはその動きを、目を逸らさず見た。
「僕がいなくても、続きますか」
「今の流量なら」
ノエルが答えた。
「ただ、魔具は消耗します。明日からも技師が測る。線が細くなったら交換し、必要なら全部止める」
セレナから通信が入った。
山の火はもう空へ逃がしていない。
彼女も両手を下ろしていた。
エルドは水を一口飲み、温度を感じた。
指先の冷たい針は残っているが、強くならない。
ミレイスは記録の欄へ、エルドが手を離した時刻を書いた。
起動の成功だけでは足りない。
いつ人の手から離れ、そこから何分持ったかを残して初めて、次の運用の資料につながる。
「あと十分、見ます」
彼女が言う。
誰も急がせなかった。
技師は各地点へ順に呼びかけ、針の値と人の体調を聞いた。
第一仮設点では、若い職員が「屋根は落ちません」と冗談を言った。
古い塔へ入らずに済んだことが、声の軽さで分かる。
最後に保護区域から、ナタリア医師の報告が届いた。
エナは起きている。
手首の熱は少し下がり、夕食は食べられた。
本人からの伝言は「明日の鉢の水やりは自分で見る」だった。
エルドは通信石の前で、ようやく短く笑った。
今夜の結果を誰より早く知る権利があるのは、あの家の人だ。
「検査は受けてください」
「はい」
「今度は、本当に」
「はい」




