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勇者ギルド監査官―討伐報告二十体、証拠は十八体―  作者: えんびあゆ
勇者の役目、勇者法改正編

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第28話 勇者を信じるということ [中編]

保護区域へ持って行った図は、矢印だらけで分かりにくかった。

エナは台所の卓へ広げ、最初に自分の家の場所を探した。


「これが今、私へ向かっている線?」

「はい。分岐させれば、流入量を減らせる可能性があります」

「減らしすぎたら?」


エルドは答えに詰まった。

流入が負担なら少ないほどよいと、無意識に考えていた。

エナは湯飲みを二つ並べた。


「いま私の身体は、この量に慣れてる。いきなり全部抜かれたら、どうなるか分からないでしょう」


ミレイスは図の分岐点に印をつけた。


「一度に変える量を決めます。あなたの体調と数値を見て、段階ごとに進める。夜の診察も入れます」

「私が止めてと言ったら?」

「止めます」


エルドが答える。

エナはすぐには頷かなかった。


「言ったときに、誰が聞くの。あなたが塔にいて、あの人が局にいるなら」


ミレイスは通信石の配置を書き直した。

保護区域の医療所へ一本、監視室へ一本。

エナのそばには彼女が選んだ医師ナタリアがいる。

体調の訴えを数値より後回しにしないよう、医師から直接停止を求められる回線を作る。


「私の声が届くなら、試していい」


エナはそう言い、続けて条件を足した。

試験の前日には医師と食事をし、当日は近所の子どもが来ないようにする。

何かが起きた場合、畑の世話を誰へ頼むかも書きたい。


エルドは最後の条件を聞いて、胸が詰まった。

世界の仕組みを変える図に、鉢の水やりの欄はない。

けれどエナが明日を考えるとき、そこから始まる。


「書きましょう」


ミレイスは別紙を出した。

エナが自分で書き、二人は読み返して署名した。

承諾書の一番下には、取り消しの欄がある。

エナはそこを見てから、最初の欄にも署名した。


エルドはアデルから渡された冊子の、白い最後の頁を見せた。


「僕が移行を断ったら、エナさんに何が起きるか。委員会は数字なら書けると言いました」


エナは頁を読んだ。

台所の窓から、鉢を運ぶ子どもの声が聞こえる。


「夜の痛みは、たぶん続く。ひどくなるかもしれない。だからって、私の名前を使ってあなたを急がせないで」

「ここへ書いてもいいですか」

「私の言葉でなら」


エナは「移行を断られた場合も、医療と分散の試験を続けること」と自分で書いた。

エルドはそこへ数字を足さなかった。

アデルへ返す前に、エナが読み返してから頁を閉じた。



*



午後、試作の準備を始めた。

まず、ギルドの地下倉庫にある古い魔具の状態を確かめる。


魔具を運び出す前に、地下倉庫の鍵を開けるところで揉めた。

ギルドの設備係は古い台帳を抱え、扉の前に立った。


「四十七台あります。でも、使えるとは書いてありません」

「状態を見て選びます」


ノエルが言うと、設備係は鍵を見せた。


「こういう時だけ出して、壊れたら『古かったから』で終わる。次の補助が下りないんです」


ギルドの予算では、新しい攻撃魔具は買えても、地脈を整える古い設備の修理は後回しになっていた。

壊れたときに困るのは、次にこの倉庫を使う人だ。


「修理費も試験の経費に入れます」


ミレイスが書いた。

設備係はすぐには鍵を開けない。


「上が認めますか」

「今ここで見積もりを取ります。後から落とされないよう、局長の印も」


彼女は見積欄の空いた用紙を差し出した。

設備係はようやく鍵を回した。


地下には銅の輪が並んでいた。

埃をかぶったもの、木箱に入ったままのもの、部品を外されて中身の見えるもの。

ノエルが一台ずつ銘板を読み、ミレイスが台帳の番号へ印をつける。


「四十七のうち、すぐ使えるのは二十八。修理で戻せるのが十六。残り三つは、部品取りにした方がいいです」


ノエルは傷んだ輪を床へ置いた。

ガイルが覗き込む。


「前にここへ来たのは、何年前だ?」

「記録上は十一年前です」


設備係の答えに、ガイルは舌打ちした。

倉庫の床には、開けたばかりの木箱から埃が落ちている。


ミレイスは作業台に紙を広げた。


「試験当日までに四十四台を整備し、そのうち三台を予備にする。直せない三台は部品取りに。どの台が故障したかは番号で追います」


設備係は彼女を見た。


「整備する人手が足りません」

「勇者だけで作業しません。職人組合へ依頼します」


エルドは職人への発注書を書いた。

ギルドの台帳と違い、名前欄は勇者ではなく技師になっている。


翌朝、職人が三人来た。

最初の一人は新しい魔具の設計をしており、古い型を知らなかった。

設備係が分解図を出して説明する。

二人目は留め具の加工が得意だった。

三人目は測定器の細い針を直せるという。

ノエルは彼らに術式の負荷を説明し、誰も「勇者に任せればいい」とは言わなかった。

その日の午後には組合からさらに六人が来て、修理できる十六台を分けて預かった。


夕方には、選んだ三台が監査局の中庭に並んだ。

赤錆のついた留め具をノエルが直し、ミレイスが接続前後の魔力を測る。

セレナは火竜の巣で今の呼吸と熱量を記録し、戻ってきたところだった。

派手な装置ではない。

片方に水を入れた桶があり、壊れた場合に熱を逃がす砂箱がある。

ガイルは庭の出口を二つ確認し、見学者を線の外へ下がらせた。

エルドが最初の矢印を描いた紙を持つと、セレナがその横に立った。


「私の名前は、どこに書けばいい?」

「後で考えますので、今は結界をお願いします」

「書く欄がない」


ミレイスはため息をしつつ、試験記録の余白に「結界責任者」と書き足した。

セレナは満足した顔で印を押した。


最初の試験では、一台目の魔具が割れた。

音は小さかった。

けれど、表面に細い亀裂が入り、ミレイスはすぐ試験を止めた。


「流入が急すぎます」


ノエルは壊れた部品を持ち上げた。


「流れ出す量は少なかった。入口で受ける瞬間が一番強いんです」


技師の一人が割れ目を指でなぞった。


「輪そのものじゃない。留め具を新しいものに替えれば、この台は戻せる。ただ、同じ繋ぎ方ならまた割れる」


技師は手袋を脱ぎ、親指の赤い線を見せた。

破片が飛んだのではない。

留め具を押さえた瞬間、熱が手袋を抜けた。

ノエルが水で冷やすと、技師は「平気」と言ったが、工具を持ち直す指が震えていた。


「針は、危険値より下でした」


ミレイスは測定表を見た。

十七秒の平均値は予定内に収まっている。

入口で一瞬だけ高い圧がかかり、その短さを針が拾っていなかった。

彼女は表の余白に、技師が手を離した時刻を書き、次の試験では測定間隔を詰めることにした。


「入口の一瞬だけなら、僕が受けられるかもしれません」


エルドは言ってから、ノエルの顔を見た。

技師が工具を置く音がした。


「その一瞬を、どうやって測ります」

「僕の受容値は分かっています」

「受容値は、限界まで耐えた時間じゃない。割れた魔具なら替えられる。あなたが倒れたら、今日の試験は何のためですか」


ノエルの声は普段より低かった。

医療所でエルドの名を手帳に書いた人の声だ。

エルドは図の人の輪郭を消したつもりで、まだそこを最後の部品として数えている。


「今の提案は、取り下げます」

「次に思いついたら、先に俺へ言ってください。止めますから」


ノエルは破片を拾う前に、エルドの指を見た。

さっき起動台に触れていた指先はまだ冷たい。

セレナは口を挟まなかったが、エルドが図を畳むまで、隣に立っていた。


ノエルは破片を箱へ入れ、台帳の番号に「試験中断」と書いた。

稼働見込みの四十四台から、一台を黙って消さないためだ。

直せるとしても、いつ直したか残す。


「次の試験は、誰が止めますか」


エルドが聞く。

ガイルは庭の端にいる見学者を見た。

職人の一人が線を越えそうになっている。


「俺が合図を出す。ミレイスが針を見る。ノエルが弁を閉める」

「私も閉められるよ」


セレナが言った。

ガイルは首を振る。


「お前の結界が途切れたら、見学者が危ない。役を重ねるな」


セレナは言い返しそうになり、結界の外を見た。

仕事を見に来た設備係と、工具を持った職人たちがいる。

彼女は「分かった」とだけ言った。


壊れた留め具を作り直す間、エルドは試験の記録を読み返した。

開始から十七秒。

二十秒にも満たない。

その短さを見て、失敗した気がしていた。

けれど、壊れる場所も、止めるまでにかかる時間も分かった。

次の接続図に書き込める事実がある。


夕方、技師が新しい留め具を持ってきた。

交換した魔具は同じ番号のまま台帳へ戻した。

ノエルは「修理済み」の印を押し、試験で使う前に低い流れだけ通した。

針は落ち着いている。

誰も成功とは言わなかったが、もう一度試す準備はできた。


エルドは図の最初の矢印を見た。

そこに人間を置けば、これまでの継承と同じことになる。


「入口を一つにしない」


ミレイスが言った。

地脈の観測拠点は七か所ある。

すべてから同時に少量だけ抜けば、一つの魔具に高い圧がかからない。


「観測点を、入口に変えるんですね」


エルドは監視表を見た。

長年、異常を見張るためだけに作られた設備がある。

転用には法の許可が要る。


翌朝、図を局長室へ持ち込む前に、エルドたちは七つの観測拠点を回った。


ミレイスは各塔の職員へ説明する時間を取った。

塔は地脈を測る場所であり、魔力を流すためには建てられていない。

古い壁の補強も要る。

そこへ立つ人間が、ただ命令で夜を迎えるわけにはいかなかった。


最初の塔の技師は反対した。


「うちの塔は去年、雨漏りしたんです。遮断弁を新しくしても、屋根が落ちたら終わりでしょう」


ガイルが見に行き、梁の腐った場所を確認した。

技師の言う通りだった。

第一塔は入口に使わず、別の監視点を仮設する案に変えた。


仮設の場所は、古い水路の脇に決まった。

第一塔から少し離れるだけで、地脈の測定値が変わる。

エルドはそれを誤差で済ませず、三回ずつ測り直した。


「塔の名前は、そのまま使いますか」


設備係が聞く。

通信の表には第一塔と書いてある。

現場が別の場所へ移れば、緊急時に人が間違えて古い塔へ走るかもしれない。


「通信では『第一仮設点』にします。地図も貼り替えてください」


ミレイスが言った。

若い技師は新しい札を受け取り、古い塔の扉に「運用停止」と書く。

腐った梁を直す仕事は、試験が終わっても残る。


「使わないなら、このままになるのかな」


技師が小さく言った。

ガイルは梁を指で押した。


「避難のときは、この道を通る。塔が倒れたら困る。修理の依頼は残せ」


エルドは仮設点の費用と、元の塔の修繕費を別々に記した。

緊急の装置だけ予算が付き、危険な建物がそのままでは、次にここを通る人が困る。

設備係は明日の見積もりに立ち会うと言った。


仮設点へ行く道には段差があった。

魔具を運ぶ荷車が乗り上げられるか、ガイルが自分で押して確かめる。

途中で車輪が一度はまった。職人を呼んで板を渡す。

紙の上では短い線だが、重い魔具を運ぶにはその一枚が要った。


二番目の塔では、夜勤の監視員が子どもを預ける先を心配した。


「いつまで続くか分からないのなら、泊まり込みは無理です」


ミレイスは勤務表を見直し、交代要員を二人付けた。

最初の案では、その人の名前が一行にしか載っていなかった。

何時間も魔力の針を見続ける人の生活が、図から抜けていた。


三番目の塔では、若い技師が進んで手を挙げた。

ただ、使われる魔具の操作を知らない。

ノエルが模型で手順を教えた。

遮断弁を閉めるときは、自分の身を守ることを先にする。

無理に原因を探し続けない。

技師は何度も練習し、途中で「止めるのが一番難しい」と言った。


エルドはすべての塔の前に、同じ説明文を置いた。

運用の目的、想定される危険、中止の条件、健康診断の頻度。

署名欄の横には「辞退する」を作った。


「これがあると、人が足りなくなるかもしれません」


役場の担当者が言った。


「足りないなら、ほかの方法を探します」


エルドは答えた。

自分には断る権利を求めて、ほかの人には与えないわけにはいかない。


七つの観測拠点のうち、一人が辞退した。

四番目の塔の技師だった。

朝は署名するつもりで出勤したが、幼い娘の弁当を包んでいるとき、夜間に塔から帰れない場合を考えたという。


「怖くなったんです。昨日までは、修理の仕事だと思えていた」


技師はエルドではなく、勤務表を見た。

自分の名が夜の欄にもう書かれている。


「辞退に理由は要りません」


エルドが言うと、塔の責任者が困った顔をした。


「ここで引かれたら、次の班が準備できない。せめて替わりの人間を探してからにしてくれ」

「今ここで決められると思ったから、辞退の欄を作りました」


ミレイスは勤務表の名前を消し、準備に使った時間の賃金を別に記した。

責任者はそれにも渋ったが、技師はすでに魔具を運び、屋根へ上がっていた。

働いた時間は消えない。


四番目の塔は一日止まった。

委員会の通知にある期限は、一日近づく。

エルドは空欄を見て、自分が器になればこの人を帰せる、と思った。

考えてから、あの技師の辞退を恨みかけた自分に気づいた。

断れる欄を作っておいて、使われると困るのだ。


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