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勇者ギルド監査官―討伐報告二十体、証拠は十八体―  作者: えんびあゆ
勇者の役目、勇者法改正編

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第22話 監査局長の告白 [後編]

エナは湯飲みを片づけながら答える。


「昼の医師はいる。夜のことは、翌朝の診察で話す」

「記録係は?」

「毎日来る。でも、痛いと言うと針を見て、変わってないから大丈夫って」


エナは嫌そうな顔をしなかった。

長く続いたやり取りを、いつもの順序で説明しているだけだった。

そのことがかえって重かった。


ミレイスは手帳のページを分けた。

器の測定値、本人の申告、医師が診た時刻。

これまで一つの欄にまとめられていたものを、三つにする。


「夜に連絡できる医師を、あなたが選べますか」

「選んでいいの?」

「希望は、先に聞きたいです」


エナはしばらく考えた。

保護区域の医師は長く付き合った人だが、夜は遠くの村へ帰る。

近くの医療所に若い女性の医師がいる。

鉢の水をやりに来る子どもが熱を出したとき、その人は子どもの話を最後まで聞いていた。


「あの人がいい。名前は、ナタリア」


ミレイスは綴りを確かめ、本人の希望として書いた。


「私の身体のことだから、私が選ぶ。そんな簡単なことを、今日はじめて言った気がする」


エナは笑ったが、目は笑っていなかった。

オルディスが何か言いかける。

エルドはその前に、連絡の方法を聞いた。

夜の門は警備のため閉まる。

急いで医師を呼ぶには、護衛の許可を待たなければならない。


「医師が入る手順を、今夜までに作れますか」


オルディスは頷いた。

世界の秘密を守る規則より、一人の家に医師を通す鍵の方が、今ここでは急いでいた。


「それは、私の落ち度です」


オルディスが言う。

エナはすぐには許さなかった。


「今夜から担当を変えて。私は、話を聞いてくれる人を選びたい」

「分かった」


エルドは二人の間を見た。

世界の危険を知る人と、世界を受け止めている人。

どちらの言葉も重いが、同じ重さではない。


「新しい器への移行を、どう考えていますか」


エルドが聞いた。エナは茶を置いた。


「必要なら、私が決めて手を離す。でも、次の人にも同じ茶を飲む時間を残してほしい。名前を隠しても、声まで隠さないで」


窓の外で、子どもたちが帰る声を上げた。

靴を取りに来た二人に、エナは「明日は鉢の水やりを頼む」と言った。

子どもは元気よく返事をし、また走っていった。


片方の子が靴を左右逆に履いていた。

エナが呼び止めると、もう片方がしゃがんで直した。

玄関に残った泥を、エナは箒で集めた。

左手を使うたび動きが遅くなり、オルディスが箒を受け取ろうとすると首を振った。


エルドは台所の薄い茶と、窓辺の鉢を見た。

局長がこの家を失わせたくなかったことは分かる。

だからといって、医師を門で待たせたことには納得できなかった。

エナは集めた泥を小さなちり取りへ移し、明日の水やりのために窓を少し開けた。

エルドは手を出さず、エナが箒を壁に立てかけるまで待った。


帰りの馬車で、セレナはしばらく話さなかった。

エルドも湯飲みの欠けを思い出していた。

あれを局長室へ持ち帰った人がいる。

守りたいと思う気持ちも、聞き逃した夜の症状も、同じ人の中にある。


監査局へ戻り、オルディスは途中だった話を続けた。

エナの家を見た後では、二十八年前に候補者の名が漏れた事件も、ただの制度史には聞こえない。


オルディスは戸棚から一冊の帳面を出した。

表紙の角が焼けている。

中には、避難者の名前と行き先が並ぶ。

半分ほどは途中で線が途切れ、別の町へ移ったとだけ書かれていた。


「当時の候補者は、エナ一人ではなかった。名が漏れたのは、別の青年だ」


局長は一頁を開く。

青年の名は灰色の線で消されていたが、その家族の欄は残っている。

父、母、弟。

逃げた先の宿まで書いてある。


「これが奪いに来た国の手へ渡った。役所に保管していた写しからだ」


ミレイスが帳面の綴じ目を見た。


「誰が持ち出したかは」

「分からなかった。調べる前に、火が出た」


局長は焦げた表紙を裏返した。

紙の内側は無事だった。

誰かが燃える建物から持ち出したのだろう。


「その青年はどうなったの?」


セレナが聞く。

オルディスは一度息をした。


「生き延びた。別の土地で暮らしている。だが家族は離れた。彼の名を知った者が、どこまで追ってくるか分からなかったからだ」


エルドは帳面を見た。

名前を消された青年の気持ちは、ここには書かれていない。

守るための分散だったのか、本人が望んだのかも分からない。


「その人には、事情を伝えましたか」

「後から伝えた」

「どう言いました?」

「私を殴った」


オルディスは頬の古い傷を示した。

初めてディルクの傷と似たものを、彼の顔に見つけた気がした。


「殴って終わりなら、よかった」


局長は帳面を閉じた。


「彼は二度と勇者庁へ来なかった。手紙を一通だけ寄越した。『私を守るために私から家族を奪うな』と」

「その人がまた家族に会えたか、知っていますか」


セレナが聞いた。

オルディスは首を振る。


「私からは追わなかった。行き先を知る者を増やせば危ないと思った」

「分からないままにしたんだ」


セレナは剣の鞘を持ち直した。

勇者だった局長の話を聞きたがっていたころなら、この傷を英雄の苦労だと思っただろう。

今は、手紙を出した青年がどこで朝を迎えたのかを先に知りたかった。


オルディスは否定しなかった。

手紙を挟んだページを一度開き、閉じた。


エルドは返す言葉を見つけられなかった。

局長の選択が誰かを救い、別の何かを奪った。

同じ話を自分へ当てはめられたら、まだ怒るだろう。

だが、理由のなかった嘘だとも言えなくなった。


「だから次は、もっとよく隠すと決めたんですか」


ミレイスが尋ねた。


「そうだ」

「手紙を読んで」

「ああ。私は、そこでも間違えたのかもしれん」


オルディスは帳面を戻した。

焼けた角が、戸棚の奥へ消える。


「民を落ち着かせるために、討伐の物語が必要だった」


オルディスは第零条の写しを見た。


「私は、削除に反対しなかった。現場の死者を減らせるなら、言葉を一行隠す方がましだと」

「事故も、隠しましたか」


ミレイスの問いは鋭かった。

局長は目を逸らさない。


「すべてではない。だが、君の父が調べた採石場の魔力異常は、封印した」


ミレイスは机の縁を握った。


「そのせいで、イサークさんが十年」

「あの裁定は誤りだった。今、取り消されたからといって、私の責任も消えない」


局長は言い訳を続けなかった。

ミレイスも許すとは言わなかった。


「父は、あなたに謝ってほしかったと思います」

「だろうな」

「私も、そうです」


オルディスは頷いた。

声に出して謝ったのは、そのあとだった。

短い言葉だった。

ミレイスは受け取り、返事はしなかった。



*



部屋を出たエルドは、廊下の窓から訓練場を見た。

新人たちが木剣を振り、ノエルが倒れた相手の手を引いている。

あの中の誰かを、何年も「候補」として記録する人間がいるのかもしれない。


「局長の話、信じる?」


セレナが隣に立った。


「記録は確かめます」

「そうじゃなくて」


エルドは少し考えた。


「守りたかった人がいるのは、信じます。守り方が正しかったかは、まだ……わからないです」


セレナは頷いた。

ミレイスは最後に出てきた。

彼女の手には、新しい監視表がある。

過去の周期と今の数値を重ねたものだ。


「局長の予測より、上がり方が早い」


エルドが表を見た。

北の谷で初めて小瓶を採った日から、三本の曲線が跳ね上がっている。


「次の定期測定は明日ですよね」

「はい。でも待てません。今日の値を取りに行きます」


その夜、北の監視塔から急報が届いた。

測定器が、上限で止まったという。

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