第16話 監査局の立入禁止書庫 [後編]
翌朝、二人は局長室へ呼ばれた。
オルディスは不服申立書を開いたまま座っていた。
机の脇には使われない剣が一本、革袋に包まれて立ててある。
「ハルトナー。君の父に、私は謝っていない」
ミレイスの顔が動いた。
「今、父の話をするために来たわけではありません」
「分かっている」
オルディスは書類を置き、エルドを見た。
「原本を見たい理由は、魔王の出現を予測するためか」
「まず、避難の時期を知るためです」
「予測が外れたら」
「記録を残して訂正します」
局長の眉がわずかに動いた。
「人の命は、訂正が利かない」
「だから、現場の観測と照合したいんです」
オルディスは立ち上がった。
窓の向こうに、勇者学校の屋根が見える。
「私が原本を閉じたのは、理由がある。見た者のうち、真実を正しく使った者ばかりではない」
「見せない理由にはなります。でも、今の異常を放置する理由にはなりません」
エルドの声は少し震えた。
相手は局長で、元勇者でもある。
試験に落ちた自分が勇者制度を知った顔で話している。
その感覚は消えない。
窓の下を学校の訓練帰りらしい若者が通った。
肩章をまだうまく留められず、歩きながら直している。
エルドもあの道を通ったことがある。
資格を得た友人と別れた帰りには、道の反対側を選んだ。
知り合いに見られたら、落ちた理由を聞かれると思ったからだ。
今、局長にそう聞かれたわけではない。
エルドは机の上の現場地図へ視線を戻した。
北通りの井戸が昨日まで使われていたことは、試験の成績とは関係がない。
「申請は却下する」
オルディスは言った。
「ただし、現在の災害監視に必要な数値は、封印資料から抽出して渡す。異議申立てへの回答も、正式に出す」
全部ではない。
けれど口頭の拒絶よりは、検証できるものが増えた。
「数値の出所を明記してください」
ミレイスが言う。オルディスは彼女を見た。
「君の父なら、そう言うだろうな」
「私が言っています」
短い沈黙のあと、局長は頷いた。
*
数値はその日の夕方に届いた。
魔力の流入量、減衰率、過去九度の異常値。
エルドは表を開き、指を止めた。
紙は薄く、測定地の半分以上が黒塗りだった。
過去九度の値は日ごとの最高値、今の値だけ一時間ごとの測定値だった。
エルドは表を並べた。
「このままでは、上がり方を比べられません」
ミレイスは今の測定値から一日ごとの最高値を拾い、過去の表と同じ間隔で並べ直した。
夜遅くまで計算し、値が大きく変わった日へ色を付ける。
エルドも手伝う。
二人の机の上には削った鉛筆の粉が溜まっていった。
六度目の時代は、高い値が長く続いている。
八度目は急に上がり、すぐに落ちる。
九度目は、戦役の一週間前だけ空白がある。
「計器が壊れたのか」
「壊れたなら、その後の値も戻りません」
ミレイスは空白の幅を測った。
「記録が伏せられています。昔の帳簿をそのまま写したら、ここには線があったはず」
エルドは空白の週について、測定値が無理なら欠測の理由だけでもと照会した。
番号照会をした係員が、返答期限の欄を指す。
「ここは空けないでください」
エルドは翌日の朝と書いた。
返事は翌朝、「測定中断」と来た。
添付された現場日誌には、計器の故障ではなく、危険のため人が撤収したとある。
つまり、その週に数字がないのは、本当に誰も測れなかったからだ。
「局長は隠したわけじゃない」
エルドが言うと、ミレイスは日誌を見た。
「隠されたと思うような資料の出し方をした。それも問題です」
王都周辺の観測拠点は七か所ある。
現状では地脈の流れを測るだけの設備で、流れを変える装置は備えていない。
今の監視塔でも同じことが起きるかもしれない。
人を避難させた後の空白を、後世の誰かがどう読むか。
エルドは現場日誌を数値の横に添えた。
数字がない理由まで残す。
表を最初の頁へ戻したとき、エルドは欄の数が合わないことに気づいた。
「十番目の欄があります」
まだ出現していないはずの魔王について、減衰率が毎年記録されていた。
測定場所は黒く伏せられ、人名欄もない。
だが表には十年以上の履歴がある。
ミレイスは数値を写し、最後のページを裏返した。
裏面には発送元の文書管理番号。
古文書館に保管された別の原本と、同じ番号だった。
「地下書庫の外にも、原本がある」
エルドは封印印のない管理番号を見た。
知っていることを話さない局長が、そこだけ黒く塗らなかった理由は分からない。
気づけと告げているのか、見落としただけなのか。
ミレイスは鞄を閉じた。
「明日は、古文書館へ行きましょう」




