第14話 百年前と同じ報告書 [後編]
翌日の夕方、エルドはギルドへ行き、ガイルとセレナに地脈の変化を伝えた。
魔王の仮説は話さない。
確かなのは、複数の場所で魔力が強まっていることだけだ。
「依頼が増えたと思ってた」
ガイルは最近の札の数を数え直した。
「先月の同じ週より、魔物討伐が十二件多い。どれも小さな群れだが、同時に出たら手が足りねえ」
ガイルは札を十二枚、机へ並べた。
町の名を読むと、王都の北だけではない。
西の火山の麓、ノルタ村の湿地、南の旧街道。
離れた土地で、同じ週に小さな被害が出ている。
「ふつうなら、雨の後に虫みたいな魔物が増えることはあります」
ギルドの受付係が言った。
彼女は過去三年の依頼帳を出す。
春の長雨の週には、確かに依頼が増えている。
「でも今年は雨が少ない」
セレナが窓の外を見た。
乾いた石畳を人が歩いている。
エルドは天候欄と依頼日を照らした。
雨が降った日に増えたわけではなく、谷の魔力濃度が上がった翌日に、近くで依頼が出ている。
偶然かもしれない。
だが、受付係もその日付へ指を置いた。
「この日は、朝から変な匂いがしました。窓を開けたら、油を焦がしたみたいな」
火竜の山とは離れている。
エルドは匂いの報告も書き足した。
「最近、依頼を断った村はあるのか」
ガイルが受付係へ聞いた。
「断ったというより、討伐料が払えなくて取り下げた村が二つ。どちらも被害はまだ軽いです」
ガイルは二枚の札を抜いた。
依頼の末尾に赤い線が引かれている。
「被害が大きくなってから戻ってくる。その頃には金より人手が足りなくなる」
エルドは監査局から出せる費用を調べ、ギルドの設備台帳もめくった。
地脈の流れを分ける旧式の補助魔具が載っていたが、修理費の欄は何年も空白で、使える状態かどうか分からなかった。
魔物の発生が災害由来なら、緊急調査としてギルドへ先に人を送れる。
討伐を頼むかどうかは現場を見てから決める。
「二村へ観測班を出しましょう。危険が少なければ、それで終わります」
受付係はすぐ伝令札を作った。
ガイルは自分の班を割り振り、セレナも山へ戻る前に一村へ寄ると言う。
「全部あなたが回る必要はありません」
エルドが言うと、セレナは札の数を示した。
「分かってる。今日は一つだけ。残りはギルドがやる」
彼女も、初日に火竜の件を一人で抱えた人とは少し違う。
夕方、観測班の最初の報告が来た。
一村では魔物の痕跡なし。
もう一村では井戸の温度が上がっていた。
エルドは「被害なし」の札を取り下げず、翌週も測る欄を作った。
温かくなった井戸の村から来た伝令は、袖を濡らしていた。
村の人に頼まれて、水を実際に汲んだという。
「皆、昨日も飲んでます。変な味はしないって」
「安全だとも言えません。結果が出るまでは飲用を止めてください。代わりの水も手配します」
伝令は頷いたが、濡れた袖を見下ろした。
帰れば、あの井戸を使う家族へ同じことを言わなければならない。
エルドは水利局から別の水を運ぶのに何時間かかるか尋ねた。
答えはまだなかった。
今夜、村で誰かが水を汲む時間に間に合うかどうかも分からない。
セレナは自分の水筒を伝令へ渡そうとして、やめた。
一つでは村へ足りない。
明日の朝、観測班と一緒に水車の通れる道を確認すると言った。
「何も起きなかった村まで、記録するんですか」
受付係が聞く。
「あとで比べるとき、何も起きなかったことが必要です」
エルドは答えた。
怖い予測ばかり見ていると、すべての村に前兆があるように思えてしまう。
違う日と違う場所も、同じ地図へ置かなければならなかった。
「村への連絡網を確認してください」
エルドが頼むと、セレナは腕を組んだ。
「あなた、何か隠してる?」
「確証のない仮説です」
「聞くだけなら、料金取らないよ」
エルドは少し迷い、村の古い記録の順番を話した。
セレナは最後まで聞いたあと、壁に掛かった討伐依頼札を見た。
「魔王が来る前に、魔物が増える」
「過去の記録では」
「だったら、今は前なんだね」
彼女の言い方は、思ったより静かだった。
「山の竜も、何かを先に感じているのかも」
エルドは火竜の鱗にあった黒い筋を思い出した。
彼女は竜を守ったが、その理由が卵だけとは限らない。
山全体が変わっている。
監査局へ戻る途中、エルドは広場の石碑の前を通った。
ディルク・ヴァレンツの名が、ほかの勇者と並んでいる。
字は雨に濡れ、指でなぞれるほど浅くなっていた。
死んだとされた男は、国境で畑を耕している。
倒したとされた火竜は、卵を抱いている。
討伐されたはずの魔王についても、どこかに別の記録があるのかもしれない。
必ずしも歴史や書類の記録が正しいとは限らないのだ。
エルドは石碑から離れた。
地下書庫の申請書を、明朝提出することに決めた。




