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勇者ギルド監査官―討伐報告二十体、証拠は十八体―  作者: えんびあゆ
勇者の歴史、英雄譚の綻び編

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第12話 消えたS級勇者 [後編]

ディルクは窓を開ける。

薬草畑の向こうに、国境の山がある。


「勇者の仕事をしていると、向かう先は依頼札に書かれていた。死んだことになってから、初めて自分で次の村を選んだ。笑うだろうが、最初は道を間違えた」


エルドは笑わなかった。

勇者になれず監査官を選んだ自分の道も、きれいに選んだと言えるか分からなかったからだ。


「今も、勇者へ戻りたいとは思いませんか」

「日による。宿の少年が熱を出した時は、勇者の免許があれば薬を急ぎで運べると思う。別の日には、名前を隠したままの方が村で話を聞ける」


ディルクは小屋の戸口に吊るした古い札を見た。

薬草を売る日は、その札を道へ出すのだという。

裏に、別の字で「英雄祭」とある。


「去年、ここでも俺の追悼をやった。広場で子どもが教本を読んだ。俺が魔王の手先を一人で退けたって話だ」

「違うんですか」

「あの日、一番先に敵を見つけたのは荷車の御者だ。俺は剣を抜く前に転んだ」


エルドは教本の挿絵を思い出した。

転ぶ場面はない。


「訂正は?」

「式の途中で立ち上がって、俺は生きている、しかも転んだと言うのか」


ディルクは少し笑い、札を裏返した。


「その子は読み終わってから俺のところへ薬草を買いに来た。英雄なら一人で勝てると思っていた。俺は、一緒に走った御者の話だけしておいた」


「あなたの名前は出さずに」

「出さずに。向こうが俺を知らないことも、俺がここにいる理由の一つだ。都合がいいと思って選んだ。でも、時々その子の顔を見ると、教本を取り上げたくなる」


エルドは札の上の擦れた文字を見た。

英雄祭の翌日には、また薬草の値が書かれたのだろう。


「その子は、御者の話を信じましたか」

「最初はな。帰り際に『それでもディルクなら一人で勝った』と言った」


ディルクは笑っていなかった。

畑で毎日顔を合わせても、子どもの中にいる勇者は別の場所で生きている。

訂正するなら、自分が死んでいないことから話さなければならない。


エルドは不合格通知のことを考えた。

自分の名が書かれ、受け取って、引き出しへしまった紙だ。

ディルクの死亡届とは違い、間違いようのない自分の結果のはずだった。

なのに、あの紙を開くたび、訓練場の光より先に赤い印を思い出す。


通知を受け取った翌日、エルドは勇者学校の前を通らずに帰った。

その翌日も、遠回りをした。

監査局の採用試験を受けると決めたのは、その道の先に募集の札があったからだ。

仕事を覚えるうちに、遠回りは通勤路になった。


現場から届いた数字を疑えるようになったことも、書き直した記録で誰かの給金が戻ったことも、嘘ではない。

監査官になった日々を、赤い印と一緒に消したいとは思わなかった。

ただ、その紙に書かれた自分が違うかもしれないとは、一度も考えなかった。

エルドは膝の上で手を組み直し、ディルクの手にある札を見ていた。


「戻って、訂正するつもりは」

「ある。どの村の誰が困るか、先に確かめてからだ」


ディルクは裏返した札を棚へ戻した。

明日の薬草の値段が書かれた面が、今度は表に向いた。


ディルクは机の上の小箱を開けた。

各地で集めた地脈試料が、紙に包まれて入っており、年月と採取場所がきちんと書かれていた。


「監査官なら、この記録の欠けが見えるか」


エルドは試料を並べた。

北方の三か所で、採取日が飛んでいる。

どれも勇者庁の巡回区域だったのが少し気になる。


「調べに入れなかった?」

「違う。入った時には、先に掃除されていた」


ミレイスが包みの端を見た。


「別の人が採った跡があります」

「そう。俺だけが秘密を探しているんじゃない。隠す側も、ずっと現場を見ている」


エルドは小箱を閉じた。

オルディスが書庫を封印しながら、外の異常を知らないはずがない。

局長の沈黙には情報がある。

なら、その沈黙が守る人と危険にさらす人を、分けて考えなければならない。


「誰かを見つけたら、先にそいつが眠る場所を考えろ」


エルドは頷けなかった。

自分ならどうするか、まだ決められない。



*



宿へ戻ると、戸口の少年が眠っていた。

熱は下がったらしい。

宿の主人が小さな毛布を掛け、ディルクへ会釈した。

彼が運んできた薬が効いたという。


少年の足首には新しい包帯が巻かれていた。

ディルクは靴を脱いで、床に落ちた薬草の葉を拾う。

伝説の勇者の手が、戦いではなく小さな葉を集めている。


「治療院へ運ぶべきですか」


ミレイスが尋ねると、ディルクは少年の額を見た。


「今夜は眠らせてやれる。明日、熱が戻れば連れていく」

「必要な薬は足りますか」

「宿の分なら。隣の村からも要ると言われてる」


エルドは薬の袋を見た。

調合印はあるが、緊急輸送の札がない。

免許を失ったディルクには、ギルドの伝令を優先して使う権限がない。

別の勇者へ依頼すれば済むはずだが、彼がここにいると知られたくないため、遠回りして運んでいた。


「輸送の依頼を、監査局から出せます」


エルドが言うと、ディルクは眉を上げた。


「宿の薬を、死亡者のために運ぶのか」

「宿の患者のためです。医師が必要量を出し、宿の主人が受け取る。あなたの名義を使う必要はありません」


主人は話を聞き、すぐに隣村の医師へ伝言を書いた。

夜の伝令が動けるか確認する間、ディルクは椅子へ座り、少年が目を覚まさないか見ている。


「俺がいたことを隠すために、余計な仕事を増やしてるな」

「患者さんの名前を、記録から消すよりはましです」


エルドが答えると、ディルクは苦笑した。

彼自身の名前は守られてきた。

けれど、それによって使えなくなった手続きもある。

完全な秘密は、本人にとっても便利とは限らない。


ミレイスは保護付きの登録を調べた。

公示欄には住所を載せず、限られた医療輸送だけ本人確認できる手続きがある。

ディルクの死亡登録を改めるには時間がかかるが、暫定的な支援者登録なら今夜申請できた。


「これなら、宿の仕事を続けながら伝令を使えます」

「名前は誰まで届く」

「ギルドの登録担当と、調査権限のある監査官です。一般の依頼札には出ません」


ディルクは書類を受け取った。


「七年前に、こういう欄はあったか」

「ありました。ただ、対象が限られていて」

「俺は探さなかった」


彼はそこで黙った。

制度の秘密を調べる旅を続けながら、自分を助ける小さな欄は読んでいなかった。

エルドはその気持ちが少し分かった。

自分も勇者の資格を失ったと思ってから、ずっと別の道を探すことだけで手一杯だった。


少年が寝返りを打った。

ディルクは書類を端へ置き、毛布を肩まで掛け直す。

その手つきは、剣を握っていた頃より上手なのかもしれない。


「死亡者への支払いは、訂正が必要です」


ミレイスが言った。

ディルクは笑った。


「そう来ると思った」

「ですが、失踪の事情を理由に、住所の公開は猶予申請できます」


エルドが補う。

ディルクは二人を見比べた。


「監査官も、いろいろいるな」


出発のとき、ディルクはエルドに教本の一ページを渡した。

余白に、九度の討伐年が手書きで書かれている。

どれも戦いのあと、決まって数年だけ魔物の発生が減っていた。


「記録を探せ。俺の言葉より、そっちを信じろ」

「どこで」

「百年前の報告書から始めろ。同じ文章がある」


エルドは紙を受け取った。

ディルクは畑へ戻り、曲がった畝にまた鍬を入れた。

勇者の石碑に刻まれた名前と、泥のついた背中が、エルドの中でなかなか重ならなかった。


帰りの馬車で、ミレイスは問わなかった。


――十人目は誰か。


エルドも口にしなかった。

窓の外を流れる山道で、飛び立った鳥の群れが一度だけ進路を変えた。


紙の余白には、百年前の討伐年の横に小さく印がある。


『第六次移行の前兆』


討伐と教わった出来事に、別の分類が付いていた。

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